- 船戸優里被告が夫へ寄せた大きな信頼と尊敬
- いつからか何かが狂い始めた二人の関係
- 170か所にのぼる娘の傷を、母は本当に気付かなかったのか・・・
夫への大きな信頼と尊敬が・・・
「結愛が暴行されているのを見たのは・・・2回です」
船戸優里被告は弁護人に聞かれうなだれながらこう答えた。
え、どういうことだろう、と咄嗟に思った。
5歳11か月で命を落とした結愛ちゃんは、長期にわたり雄大被告から身体的にも暴行を受けていたとされている。であるならば一緒に暮らしていた母の優里被告が、たったの2度しか暴行を見ていないなどということはあり得ないだろう?
聞き違いだろうか。
優里被告によれば、優里被告が初めて雄大被告が結愛ちゃんに暴行しているのを見たのは2016年11月だと言う。それは二人が結婚して半年が過ぎたころだ。
優里被告は2012年3月、一度目の結婚で19歳のとき結愛ちゃんをもうけた。22歳で離婚し、2016年4月に雄大被告と再婚した。職場での出会いだった。結愛ちゃんはそのとき4歳。はじめ雄大被告になついていたという。雄大被告を「おにいちゃん」と呼び、「膝に乗ったり甘えたりしていた」結愛ちゃん。雄大被告もスキンシップをたくさんとって「仲が良かった」。
優里被告が証言台の前で語る雄大被告との出会い当時の様子は、もうこの世にいない結愛ちゃんのことを思うと空しく辛い。それが、すべての始まりであり、終わりの始まりだった。雄大被告の膝に乗っていた結愛ちゃんはそれからたった2年で死んでしまった。がりがりに痩せてあばらが浮き、全身に170もの傷を負って。
「わたしが社会に出たとき無知だったので雄大はすごく幅広い知識を持っていて、そういうのを教えて欲しいと思いました」
「前の夫は同い年で、雄大は8個上。なんでも教えてくれました」
雄大被告に大きな信頼と尊敬を抱いた優里被告。
その感情はいつしか雄大被告に結愛ちゃんのパパになってほしいとの強い願いに変わっていった。
優里被告が夢見たその家庭像は「結愛が一番楽しく過ごせる家庭」だった。
働きながらシングルマザーとして結愛ちゃんを育てる優里被告の心の支え、それは結愛ちゃんの存在だった。
「とにかく結愛の笑顔を・・・見るのが仕事の疲れを癒す感じだったので・・・、結愛が楽しくなるのを心がけて生活していました」。法廷で優里被告は声を詰まらせた。
何かが狂い始めた時
何が、どこで、くるってしまったのか。
話を優里被告が見たという1度目の暴行に戻そう。
結婚から半年が過ぎた2016年11月。香川時代。この頃、夫婦には長男が生まれている。
2人の子供の父となった雄大被告が、寝ていた結愛ちゃんのお腹を、「サッカーボールのように」蹴っていたのを見た、というのだ。
満席になった傍聴席の一隅で、覚悟はしていたもののわたしは沈鬱な気持ちになる。成人の男が「サッカーボールのように」幼い女の子のお腹を蹴る・・・小さなこどものお腹は筋肉が発達していないのでとてもやわらかい・・・どんなに痛かったことだろう。蹴られながら、きっと結愛ちゃんは同じ部屋にいる母の姿も見えたのではないか。ママ、と・・・。
その優里被告はそのときどうしたか。自分の娘が蹴られているそのとき。
・・・「見てました。止められませんでした、体と口が動かなかったです、うっ・・・うっ・・・」証言台で答える優里被告の声は涙で小さくなっていった。
優里被告にはこの前後の具体的な記憶がなく、あるのは「怖い・・・悲しい・・・痛い・・・辛い・・・」という感情の記憶のみだという。
暴行後しばらくしてからようやく雄大被告に「やめて」と言うことができたが、雄大被告は優里被告に「お前が(結愛を)かばう意味がわからない」と一蹴されたという。
「泣いている意味がわからない」とも言われたので自分は泣いていたのではないかと思うと、自信なさげに答えた。
そして優里被告はその後もう一度だけ雄大被告の結愛ちゃんへの暴行を見たと言っている。
それは香川から東京に引っ越した後のこと。2018年2月2日。結愛ちゃんが亡くなるちょうど1か月前だ。
結愛ちゃんは自宅アパートの風呂場の脱衣所にいて、結愛ちゃんの前には雄大被告がトイレの便座を下ろして座っていた。優里被告はリビングのソファに座って息子の授乳中だった。トイレのドアは開いていた。すると、後ろからパチン!と聞こえた。振り向くと雄大被告が結愛ちゃんの目のあたりを手の甲で叩いているのが見えたという。記憶では2回。
弁護人が聞く「やめてと言えなかったのですか」
優里被告「言えませんでした」
「バリバリとヒビが入ってズドンと落ちた」
傍聴席からは被告人はちょうど背を向けながら話しているのでその表情は見えない。なぜ、という思いが募る。涙声で供述するこの若い母親は、なぜ止めなかったのか。結愛ちゃんが頼れるのは母親しかいない状況だったのではないか。詮無き事だが、そのときに時を戻せるものなら・・・、そう思いながらわたしは何度もため息をつかずにはいられなかった。
裁判員からの「あなたは雄大被告と結婚してから一度でも身体をはって(雄大被告の暴力を)とめたことがありますか」という質問に優里被告は力なく「ないです」と答えている。
暴行の次の日、結愛ちゃんの目がすごく腫れていた。優里被告が「顔めっちゃ腫れてるんやけど」と言うと雄大被告は「ボクサーみたいだ」と言ったという。
そのとき、優里被告のなかでなにかが「ズドンと落ちた」のだというのだ。
法廷で優里被告が答えるとき、たいていはそんなに長くはないのだが、このときは違った。明らかに聞いている人に知ってほしいという思いが伝わってきた。
「わたしは自分に感情があることを知らなかったので(そのときは)何も思わなかったけど、わたしの体のど真ん中にある、心を覆っているものがあるんですが、それがバリバリとヒビが入って、お腹にズドンと落ちて、音も聞こえなくなって・・・目の前の人はスローモーションのように見えて・・・。この現象が終わると口が動くようになります」
暴行後しばらくしてから雄大被告に「やめて」と伝え、雄大被告も「わかった」と答えたという。
夫・雄大被告の供述調書
優里被告はまたこんなことも明かした。2月下旬に雄大被告が結愛ちゃんに激しい暴行を加えたことが雄大被告自身の供述調書にあるが、その調書を見るまで優里被告はまるでそのことを知らなかったのだと。
「雄大被告が結愛ちゃんの顔を手拳で殴ったと書いてあるのを見たときどう思ったか」と尋ねられた優里被告。
聞こえないくらいの震える声で「・・・信じられないな・・・信じられないなって、思いました」と泣いた。
優里被告が見せる母親の顔。
その一方で優里被告は結愛ちゃんのことを『メスゴリラ』と呼んでいたと検察が証拠を示した。
「メスゴリラさんはテストに向け勉強中」優里被告が雄大被告に送ったLINEの文章だ。
また雄大被告の暴行が児相に知られないようにしようと優里被告から雄大被告に報告しているLINEのやり取りはこうだ。
優里被告「目黒の児相のやつきたし。(略)ほんまに気をつけようね」
雄大被告「すいません」
優里被告「いや結愛が悪いやって(笑)」
優里被告の裁判で示された雄大被告の供述調書。結愛ちゃんへの暴行について次のように記されている。読むに堪えないが、わたしには、同じ結愛ちゃんという存在を語りながら雄大被告と優里被告はまったく違う光景を見ていたのかと思えてならないのだ。
『優里と交際し結愛と交流するようになりました。結愛は挨拶をせず甘えたい放題でしつけがされていないと思いました。(略)結婚を見据えていて、しつけないと、という思いになり、説教したり腹が立って頭を平手で叩いたり足を足蹴りしたりしました。
2016年に(優里被告と結婚して)認知しましたが、結愛は私を毛嫌いして、説教を無視したり約束をごまかすようになりました。平手打ちをすると結果的に守るので、いい子に、という思いでした。』
優里被告の回顧にあるような、結婚前は仲が良かったという雄大被告と結愛ちゃんはそこにはいない。雄大被告自身が結婚前から結愛ちゃんに手をあげていたとしている。そして結愛ちゃんは自分のことを毛嫌いしており、暴力によって従わせていたとも供述しているのだ。
雄大被告の裁判は10月1日に始まる予定だ。より詳細に語られるのを待ちたい。
見えなかったのか、見なかったのか、見たくなかったのか
しかし、優里被告の裁判を数回にわたり傍聴して思うのは、やはりわが子の全身の170にも及ぶ傷に気づかないことなど本当にあるのかということだ。服で隠れているところだけではなく顔や手足にもあったというのに、だ。一緒に住んでいながら本当に見えなかったのか、それとも見なかったのか、見たくなかったのか。優里被告の供述を聞いていると、当事者なのに傍観者のような、ときには傍観者にまでもいっていないような、そんな不思議な立ち位置の入れ替わりが起きているような気がしてくるのだ。
ただひとつ、厳然たる事実がある。幼い結愛ちゃんがたったひとり身体的・精神的暴行を受け、狭いアパートの中で逃げることも助けも求められることもできないまま理不尽な要求に応え続けなければならなかったということ。
死の直前、優里被告と二人きりだった結愛ちゃん。横で添い寝する母の瞳に何を見たのか・・・。真実がどうであったにせよ、結愛ちゃんはせめて最期の瞬間だけは母の愛を感じることができていたのだ、と信じたい。
(「そして結愛ちゃんは息をしなくなった」 に続く)
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【執筆:フジテレビ アナウンサー 島田彩夏】
【取材:フジテレビ社会部+フジテレビ アナウンサー 島田彩夏】