東京パラリンピックまであと1年。

今年はじめて東京で国際大会を開催したパラ卓球のポスターには、『不自由はある。不可能はない。』という言葉が掲げられた。

“レジェンド”別所キミヱ選手(71)、若手の金メダル候補・岩渕幸洋選手(24)ら、選手たちのプレーがこの言葉を体現している。

レジェンド別所キミヱが極める『いやらしい』卓球

パラ卓球界に、この人あり。
髪に蝶々をあしらった姿がきらびやかな、別所キミヱ選手。
現在、71歳の“レジェンド”は、リオ大会では日本選手団最年長だった。
若い選手に押される場面もある彼女だが、とっておきの技がある。
パラリンピック4会連続出場の原動力「バタフライショット」。
蝶の如く、空中へと打ち上げたボールを、相手が届かないネット際に落とす必殺技だ。

別所キミヱ選手
どうやったら私の嫌らしい卓球を磨き上げられるかなと。打ち合いしたら本当に厳しいと思うんですよね。だからその中で自分のプレースタイルを決めていけたら、まだまだ勝てる試合もたくさんあると思うんですよね。

年齢を超越する為に磨き上げたのが、自らも認める『いやらしい』プレースタイル。

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リハビリの一環からスポーツ本来の戦いへ

初めて『パラリンピック』の名が使われたのは1964年・東京大会。
リハビリの一環から歴史は始まった。

そして今は、アスリート。
スポーツ本来の姿に発展している。

「不自由はある。不可能はない。」
選手のプレーがそれを教えてくれる。

運動神経抜群だった少年がパラ卓球でぶつかった壁

日本選手で世界ランキング最上位の岩渕幸洋選手。
東京パラリンピックの金メダル候補だ。
岩渕選手は、生まれつき両足首が内側に曲がる先天性内反足という障がいを抱えながらプレーしている。

幼い頃から水泳、体操、そしてスキー、運動神経抜群な少年だった。
中学3年生でパラ卓球と出会い、日本代表にまで成長。
競技を始めた頃は戸惑いもあったと言う。

岩渕幸洋選手
最初の試合で、自分より障害が重いであろうと思われる人に全く歯が立たなくて。たとえ体が動かなくても、工夫次第で勝つことができたり、卓球っていう競技ができるんだっていうのを感じて、そこから頑張ろうと思えました。

足や腕など、異なる障がいを持つ選手が同じクラスで戦うパラ卓球。
足に障がいを持ち、左右の動きが苦手な岩渕選手が勝つために見いだしたのは、“超攻撃的な前陣速攻型のプレースタイル”。
卓球台にくっつく事で、左右の移動距離を縮め、最小限の動きで戦うスタイルだ。

『狭く』『速く』
自分が左右へ動けない不自由さは、勝てない理由には、しない。
得意なスタイルを追求している。

リオ大会の悔しさをバネに目指すのは『金メダル以上』

1勝も出来ずに終わったリオ大会の悔しさをバネに、世界ランキングも12位から3位に上昇。

東京大会の金メダル候補となった今、いつも口にするのは…

岩渕幸洋選手
目標は金メダル以上。この「以上」ってところに、金メダルとって東京終わっても、パラリンピック、パラスポーツが盛り上がっていく。その先につなげるためにも、金メダルというものが大事になってくると思います

不自由はある。不可能はない。

『不自由はある。不可能はない。』
歩くこと、立つこと、手を伸ばすことに不自由を抱えた選手たちが十人十色、個性豊かなプレースタイルで1年後の東京を目指す。

(フジテレビ 報道スポーツ部 斉藤 葵)

斉藤葵
斉藤葵