世界の政治家やセレブ・要人のツイートをモーリー流に翻訳・解説する「Twittin’ English」。今回は8月26日、BBC のツイート。



モーリー:

Indonesia's capital city is to be relocated to the island of Borneo
インドネシアは、首都をボルネオ島に移転する予定がある。


インドネシアのジョコ大統領は8月26日、首都を現在のジャカルタからボルネオ島に移転すると発表しました。
「the island of Borneo=ボルネオ島」と書かれていますが、この広大な島におけるインドネシア領の正式名称は、カリマンタンといいます。

ジョコ大統領は約3.5兆円を投じて2024年にも行政機能の移転を始める考えですが、なぜ移転の必要があるのか?
それは、ジャカルタが深刻な地盤沈下にさらされているからです。近年は違法に地下水を採取する人が増加し、沈下が加速しているという情報もあります。

そこで、思い切って首都を移転しようということになりました。

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「私たちはサルじゃない」パプア州で人種差別への抗議デモ

首都移転の理由は他にもあって、ジャカルタは世界最悪と言われるほど交通渋滞が深刻で、社会問題化しています。実は、首都移転のアイディアはスカルノ初代大統領が1957年に検討課題として挙げたもので、これまでにも議論されてきました。

しかし、インドネシアには格差の問題もあります。首都であるジャカルタと比較すると、その他の地域では1人あたりのGDPが10分の1以下とアジアでも著しく国内格差が激しいのです。1万を超える島で構成されているため、国の隅々まで富を分配する難易度も高いといえます。
また、民族構成も多様で、国内に約300の異なる民族が共生しています。一口に「インドネシア人」といっても、民族として見ると実に多種多様なのです。

そんなインドネシアで、ある騒動が起きています。こちらもBBC、8月23日のツイートです。



Papua protests: Racist taunts open deep wounds
パプアのデモ…人種差別主義者は深い傷口を開いてしまう


ニューギニア島の西側に位置するインドネシアのパプア州と西パプア州で、地元住民に対する差別的な発言や行為があったとして、抗議デモが起きたというニュースです。

記事の見出しにも「We are not monkeys(私たちはサルじゃない)」とありますが、インドネシアの一般市民や治安部隊から「サル、イヌ、ブタ」などと罵倒されたというのです。
現地の報道によると、この騒動からパプア独立を叫ぶ者も多く、デモは過激化。一部で暴徒化し、治安部隊との銃撃戦で死者も出ているといいます。

ジョコ大統領は「対話をすれば解決する」としていますが、この騒動を掘っていくとインドネシアのダークな部分が垣間見えてきました。これほどまでの“暗黒の鉱山”を見るのは久しぶりです。

欧米とインドネシアの思惑に巻き込まれたパプア

表面的には、少数民族が社会的地位の低さや富の分配が行き渡らないこと、また、開発から取り残されてしまったことなどに不満を持つ中、侮蔑的な発言を浴びせられたことで怒りがピークに達し、今回のデモに繋がったと見えるでしょう。

しかし、歴史をたどっていくと、パプアは以前にも独立国になりかけた時期がありました。

かつてインドネシアとパプアはオランダ領でしたが、第2次世界大戦後に国連が誕生し、イギリスやフランス、オランダなどに植民地として統治されていた国々が、独立して民族自決の国民国家になろうという動きがありました。

しかし、オランダが統治していたインドネシア地域は、ジャワ系のマジョリティーと民族的に関係のない少数派のパプアが一緒くたになっていました。

オランダは、インドネシアを国家として認める際、「パプアは民族が違うので、ここは我が国の勢力下の独立国にするというのはどうでしょう」と国連に動議を提出。国連はこれを受け、パプアがインドネシアに帰属するか、または独立するのかを地元住民の投票で決定することとしました。

しかし、この決議はきれいごと。実際は、戦後の国際秩序において、インドネシアが1万超の島々をまとめ、強大なアジアの中心地になってしまうことをアメリカをはじめとする西側諸国は恐れていました。
被植民地であった非白人からなる国が力を持つことを恐れ、インドネシア内で頻発していた部族抗争に武器を提供するなどして、秘密裏にインドネシア政府を揺さぶっていたのです。

インドネシアのスカルノ大統領(当時)は、これに対してどのようなカウンター攻撃をしかけたか?
「アメリカなどの国々が、我が国の辺境で部族抵抗を支援している?それなら私にも考えがある。ソ連が武器を売ってくれようとしているから、買ってしまおうか」とにおわせたのです。

すると、アメリカは待ったをかけて「パプアには金山、銅山などの地下資源が眠っている。緑があって魚も捕れる。どうでしょう、この土地を共同開発しませんか。アメリカには資本がありますよ」とインドネシアに呼びかけます。
スカルノ大統領はこれに「悪くない話だね」と答え、アメリカはインドネシアへの内政干渉を否定しました。

そして、第2代・スハルト大統領への移行期に、インドネシアでは共産主義者の疑いをかけられた何十万人もの人々が虐殺された“赤狩り”が行われました。この事実をインドネシア政府は現在も認めていませんが、パプアと同様に分離独立を求めていた東ティモールに対しても、人々を飢えに追い込んで攻めていきました。

圧力によって捻じ曲げられた独立住民投票

その後、パプアでも独立を求める人々を銃撃。パプアの独立をめぐる住民投票の日になると、インドネシア政府は「パプアは辺境で道も整備されていないから、全員が投票所に行くことは困難だろう。それぞれの部族長約1000人をジャカルタに招集して、挙手で独立の賛否を決めよう」と提案。
アメリカは、パプアの金へ投資をしながら「どうぞみなさんのルールで進めてください。それも民主主義です」とこれを容認しました。

そうして集まった部族長らに対し、インドネシア政府は「インドネシアから独立することに賛成したらどうなるか分かっているのか?あなたもその家族も生きてはいられない」と個別に脅しをかけました。
その結果、全会一致でインドネシアに帰属することに同意し、独立の意思を示す者はいませんでした。国連はこれをアメリカお墨付きの「自由意志に基づく投票結果」として認めてしまったのです。

その後、スハルト大統領のもとで親米・開発独裁政権が続き、工業化によって経済は上向きになりましたが、その分配は不均一。富はジャカルタへ一極集中してきました。
同じ頃、韓国の朴正熙大統領もインドネシアと同様の開発路線をとっていました。そして今、文在寅政権ではその積弊清算を進めています。

親米・反ソ連国家であるとして赤狩りを行い、国内の少数派民族を虐待してきたというのが、インドネシアの闇の歴史です。そして、今回のデモによって、この過去の恨みが浮かび上がってきます。パプアの問題は非常に闇が深いのです。

(BSスカパー「水曜日のニュース・ロバートソン」 9/4 OA モーリーの『Twittin’ English』より)

モーリー・ロバートソン
モーリー・ロバートソン

日米双方の教育を受けた後、1981年に東京大学とハーバード大学に現役合格。1988年ハーバード大学を卒業。タレント、ミュージシャンから国際ジャーナリストまで幅広く活躍中。