騒動に乗っかる政治家
この記事の画像(6枚)あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を巡る騒動については、主催者がたった3日で展示を取りやめたことが残念でならない。脅迫は犯罪だ。警察による捜査を強く求め警備警戒を強化するなど、取りやめではない毅然とした対応はなかったのか。
しかし何よりおかしいのは、騒動に乗じて「表現が悪い」怒ってみせる政治家である。
政治家が、脅迫と同じ角度で表現を弾圧してどうするのか。政治家は「表現の自由を保障する」ことの担い手である。政治家が自ら進んで、表現の自由の保障を後退させるような言動をすべきではない。
「表現の自由を保障する」とは
湧き上がる感情を、歌や絵や彫像や詩など目や耳で触れる形にすること。「人生はかくあるべき」という思いや「世の中をこうしたい」という考えを言葉にして書いたり話したりすること。私たち一人ひとりには、文字通りの「表現する自由」が「保障」されている。
「表現の自由が保障される」ということは、原則として誰からも禁止もされず邪魔もされないということだ。他人の具体的な権利や利益と衝突するという例外的な場面でしか「表現の自由」は制限されないというのが教科書的な説明となる。
しかし、ここでいう保障は、中身を伴う保障でなければ意味がない。例えば四方八方が壁にふさがれ窓もない部屋の中で、好きに歌って演説をしても、それは表現の自由についての中身を伴う保障とは言わない。
表現は、誰かに届いて伝わることで初めて意味をもつ。そして表現を受け取った相手からの何かしらのリアクションこそが、表現にとっての価値ある実りである。表現の自由を保障するというのは、「どうぞ自由におやりなさい」と放置することではなく、その表現が誰かに届く状態を積極的に確保し、禁止も邪魔もしないということだ。
表現は人の感情をうごめかせるもの
誰かが歌った、絵を描いた。誰かが文章を書いてスピーチをした。それら表現を受け取った人は、時には心を揺さぶられ、そして時には感動を味わう。しかし人によっては、その表現がいちいち気に障り、反発心だけが膨らむということもある。ただ、この感動も反発心もどちらも、表現が相手の心に届いたからこその実りなのだ。表現の自由が、中身を伴って保障されているからこそ、表現を受け取った人の感情はうごめくのだ。
人と人はそれぞれ全く違う存在だ。同じ年齢や国籍や文化を持っていても、似たような境遇を経ていても、細かく見れば見るほど私と貴方は違うことばかりだ。だから誰にとっても心地よい表現、誰もがハッピーになれる表現を探すことのほうが、まず不可能だ。いやむしろ、全ての人に同じ感情を抱かせようとする試みこそ、恐ろしい洗脳である。
芸術作品はもちろん、社会問題についての論評、政治信条に基づくスピーチ、あらゆる他人の表現に、受け取る側の感情をうごめかす可能性が秘められている。それは表現に込められた発想や価値観が自分と違うからである。表現に接したときに、感動や反発心が多く起こる社会は、それだけ表現の自由が幅広く保障された社会である。自分と異なる他人の発想や価値観を否定せず尊重できる、自律した個人により成り立つ社会ということだ。
まずは「表現されてこそ」
表現の自由について日本国憲法第21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定する。かたやアメリカ合衆国憲法修正第1条は「議会が表現の自由を制限する法律を作ることはできない」と規定し、「表現の自由の保障」の本質をよりストレートに明示する。
表現に対する評価は、人々がその表現に抱く感動や反発心の積み重ねにより、自ずと社会に浮かび上がる。しかしそのためには、なにはなくとも「表現されてこそ」である。まずはその表現が社会に投げかけられなければならない。
政治権力の介入による、「良い表現と悪い表現」の選別、そして「悪い表現」と選別された表現の締め出しは、「表現されてこそ」そのものへの否定であり、「表現の自由の保障」にとってのいちばんの脅威となる。
民主主義の自殺行為
政治家も人間だから「これが好き」「これは嫌い」という生身の感想がある。しかし政治家が思わず漏らす感想ですら、周囲の忖度を招き、表現を届けることを萎縮させてしまう。ところが中には、個人的な感想を漏らすに留まらず、ムーブメントに乗っかって「あの表現はけしからん!締め出せ!」と、特定の表現を積極的に禁止させるような発言をする政治家までいる。およそ予想の範囲内の表現に対してまで、パフォーマンスのように激高してみせる。
政治家が率先して、表現の自由の保障を後退させようとするなど、もはや民主主義社会の自殺行為である。「私の個人的感想がどうであるかに関係なく、表現の自由の保障を後退させるムーブメントに対して、私は政治生命を賭けて闘う」と言ってみせるのが、令和の時代の政治家に求められる新しいポリコレではないか。
【執筆:弁護士 南 和行】