西日本豪雨で被災した我が家を解体

愛媛県宇和島市吉田町の赤松洋子さんは、去年の豪雨で自宅が浸水被害に遭い、現在は市内の仮設住宅で独り暮らしをしている。

この日、久々に訪れたのは住み慣れた我が家だった。

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赤松洋子さん:
蔵も古い古い。もう見納めかな…本当に懐かしいところです

かんきつ農家を営む赤松家に洋子さんが嫁いだのは、戦争が終わって間もなく、高校を卒業してすぐの18歳の時。2歳年上の夫・梅雄さんと義理の父母や祖父母のもと4人の子宝にも恵まれこの家で、子育てに農作業業にと忙しい日々を送ってきた。

そして、子供たちも巣立ち、梅雄さん亡き後は、この家で独り暮らし。
しかし、去年の7月、豪雨とともに流れ込んだ大量の土砂はあっという間に人生を過ごしてきた家を飲み込んだ。

槇野洋子さん:
こちらは支援物資を置いている場所です

被災した後、赤松さんは地域で復旧支援活動をしていた槇野さんたちの要請に応えて、この家をボランティアの滞在拠点として提供した。

利用者:
ゆうべ1泊しました。泊まれれば1日でいいかなと思うところを2日とかできますからね

泥をかき出し、1ヵ月かけて改修した赤松家は布団や台所、風呂やトイレを備えた無料の宿泊施設・「Mステーション」として生まれ変わったのだ。

我が家がボランティアの滞在拠点となってから10ヵ月。赤松さんは国と自治体が費用を負担する「公費解体」の制度を利用して、この家を解体することを決断した。

赤松洋子さん:
私一人が7年ほど暮らしてますから。孤独さも十分味わってるし

赤松家に嫁いで60年余り。この家で結婚式を挙げ、この家で出産をし、家族を築いた時間はゆるぎなく今も変わらぬ佇まいに刻まれている。
しかし、子供たちが巣立ち独り暮らしの赤松さんにとってこの家はあまりにも大きすぎた。

赤松洋子さん:
自分の行く末はどのようにでもなるから、みんなの意見に従って、これは時代の変わり目と実感して踏み切った。一抹の寂しさもあるし、本当は断腸の思いです

我が家での最後の日

解体を翌日に控えたこの日、赤松さんは我が家での最後の日を槇野さんと過ごすことにした。最後の食卓に並んだのは槇野さん手作りのおすしだ。

赤松洋子さん:
美味しいわ。これは上等

槇野洋子さん:
被災してよくここで生きてたと思った

赤松洋子さん:
私は(家が)元に戻らないと思った。絶望よ、完全に。自分も(復旧作業の)労力に限界が。歳だしね。しようと思っても出来るわけない

槇野洋子さん:
災害は辛いことだけど、こんな素晴らしい家に出会えて、ここをMステーションとして沢山のボランティアさんに使って頂くことができたということは、ものすごくご縁でもあるし、ものすごく素晴らしいことでもあるし、去年のあの決断というかいいよと言ってくれたことが、後押しをしてくれてお母さんがいつ帰ってきても前の家と一緒と思えるような家にしようというので、みんなで一生懸命土砂出してきれいに床もまた張り替えたりして

赤松洋子さん:
(家がきれいで)本当にきてみてびっくりという状態で、本当に人の情けと力が本当にありがたく初めての経験でこの年になって実感しました。だから家がなくなる辛さもあるけど、それよりももっと感謝して、あと自分の生きる道を探して生きれる範囲で。年齢は高齢ですけど、頑張って地域の今後の様子を孫たちの成長も楽しみやし生きていこうかと

仮設住宅の入居期間は2年。赤松さんは同じ吉田地区にあるマンションに引っ越すことにしている。

この場所に桜を

愛媛県内で西日本豪雨による被害を受けた住宅は全壊や半壊など約6700件。
そのうち、公費解体の申請が出されているのは791件、今年9月には全ての解体が完了する見込みだ。

赤松洋子さんの自宅の解体も終わろうとしている。我が家があった証に…

赤松さんはこの場所に桜を植えたいと考えている。

(テレビ愛媛)

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