女性の自我と皇室

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今上陛下が即位し、新元号にあらたまってすぐ、皇后雅子さまが赤十字の名誉総裁を引き継がれた。このニュースを見たときに、いつもと違う印象を受けた人は多かっただろう。表に出る皇族のお立場というだけでなく、ご自分の意思で振る舞い、何らかの確固たる存在たろう、という自我の表れのようなものがそこから感じられた。その態度は自信として表出し、堂々とした貫録と気品を感じさせた。その結果だろうか、世間では皇后雅子さまに期待する声が俄かに大きくなった。かつての雅子妃バッシングを考えれば、まるで掌返しのような極端な反応の変化であった。

天皇が国家の象徴であることは憲法に謳われている。一方で、天皇の配偶者は夫の存在を通じてはじめて意味を与えられる存在でありながら、他方で理想的な女性のシンボルのような役割を期待されてきた。

しかし、現代女性にとってのひとつの理想形のようなものは存在するのだろうか。私たちは皆、男女問わず同じような教育を小学校から高校くらいまで受けて育つ。学校では、速く走ったり、いい作文を書いたり、綺麗な絵をかいたり、手を挙げてはきはきと解答したりすることを求められる。そうした個別の能力に秀でていれば必ず先生に褒められるし、優秀な生徒だと見なされる。

けれども、学校を出た後の女子の人生に、果たしてそのような評価は継続的についてくるだろうか。より本質的な問題設定をするとすれば、女性の「自我」というのは、この社会において果たして積極的に推奨されているものなのだろうか、ということである。

美智子さまのやり方

上皇后美智子さまは、強い自分というものを持っている方だと思う。困難や不当なバッシングに耐え、大衆の好奇の目にさらされるなか、常に自制心を保たれてきた。「自我」とは、「自分で自分を定義する意思」と密接に関わっている。美智子さまはご自身をかくありたいと定義し、上皇陛下を在位期間中、影に日向に支えてきた。その意志の強さや覚悟は、際立っていた。とりわけ印象的なエピソードは、上皇陛下が、天皇としてのお務めを私的なものに優先させる覚悟でいるけれども、それでもよいかと求婚されたおりに、そのような態度こそが尊敬すべき好ましいものと思って申し出を受け、連れ添うことにしたという話である。

これは、立派な意志を持つ夫を尊敬し、その公的な生活に自分自身の人生をも捧げる、という美智子さまの覚悟を示すエピソードとして好意的に引用されてきた。それは、美智子さまが育った背景からしても、その世代からしても、配偶者として夫を支えることが女性のいきがいであることをほぼ疑わない前提があってはじめて成り立つ、「一億総感動」だったのだと思う。

美智子さまは、夫を支える使命を前面に出す一方で、音楽や児童文学を初め、さまざまな活動をされてきた。結果的には、世間はその幅広い教養と個性を通じて美智子さまを尊敬するに至ったのであって、決して配偶者を支える務めだけで今の人望を築いたわけではない。それでも、教養ある女性が家庭に入りまずは夫を支えることが当たり前とされた時代の中心で、美智子さまが生きてきたことは疑いない。

もしも、美智子さまの振る舞いとは違う立場をとりたいと思う人がいれば、それは私的生活を優先させたい「我がまま」であると糾弾されただろう。もちろん、皇室制度はそもそもより次元の高い目標のために個人の自由を妥協させる制度だ。しかし、美智子さまのような生き方とそれにはまることのできない人たちの違いは、単に「至高の自己犠牲」対「わがまま」の対立軸だけで理解することはできない。仮に誰かの配偶者であることによって公人となる場合でも、その立場をわきまえながら、かつ連れ合いとの間に線を引き、個としての別個の意味を持つ生き方をできるようになったのが現代女性だからである。

ロールモデルはなりたたない

週刊誌などは、美智子さま個人の努力による個性と滅私奉公の絶妙なバランスに魅了され、次代の雅子さまにも同じようにふるまうことを求めた。その時点で美智子さまと全く違う人格である雅子さまの個性を、(あるいは逆も)認めていないことになる。女性が、あるいは皇后が、一つのロールモデルに象徴されえないのは、女性がひとりひとり違う人間だからだ。

通訳を担当される雅子さま(1989年)
通訳を担当される雅子さま(1989年)

とりわけ、雅子さまの世代を考えたとき、ご本人が受けた国際的な教育もさることながら、1985年に男女雇用均等法が成立して以降の社会変化を見落とすことはできないだろう。女性は高校や大学を出た後、誰もが普通に就職し、男性と肩を並べて働くようになった。寿退社も当然視されなくなった。そのうえ、女性が子育てを機に退職する傾向も弱まり、M字カーブは徐々に解消されつつある。海外の王室では、家事手伝いではない何らかの職業を持つ女性が結婚して王室に入る事例がほとんどであり、その分、王室の一員となっても王妃像に独自性を追求しようとする傾向が強い。彼女たちは「言葉」を持っており、それは日本の皇室女性が発するものよりもパーソナル色が強い。「私」がこう感じたという主語を明確にしたストーリーに基づいているからだ。

したがって、そのような女性が注目を集めたり、ほかの悩める女性の支えになったりすることはあっても、一律のロールモデルとなることはない。雅子さまに、当初美智子さまと同じ道をなぞってゆくことを要求してきた日本のメディアや国民は、雅子さま自身の存在感を通じて、女性は一人一人違う人間であり、個人としての自我を持つのだということをようやく理解しつつあるのではないか。

個であること

日本では異なる世代が共存して生きている。女性に男性と肩を並べることや自我を許容しなかった世代から、男女共同参画世代、さらにその子どもの世代に至るまで、日本人の価値観は多様である。しかし、世代交代を通じて徐々にいまの若い世代の価値観が当たり前になっていくだろう。

女性にとって、個である、とか、自我を持つ、ということは一体何なのだろうか。謙譲の美徳はもちろん男女問わずあるし、自分の欲望を抑えて相手に思いやりを持とうとする美徳も重要なものだと思う。けれども、男女を問わず、人間は一人一人別の存在であり、夫とも子どもとも同化することはできない、という覚悟は、人間にとって必要なものだ。

そして、夫と同化できない以上、皇后はどこまでいっても天皇ではない。しかし、公的な存在ではある。伝統と法律に基づいた身分制度上、結婚相手を通じてしか公的な存在として位置付けられないというのが皇后という特殊で困難な立場なのである。婚姻関係という極めてパーソナルなはずのものが、大衆の関心の的となり、天皇の個人としての限界部分を補完する人格として期待される。ガチガチの権威主義体制であれば、皇后は表に出て人気を集める必要はない。民主国家において皇后を特別視する風潮は、大衆的なポピュリズムと因習や伝統との異様なミックスによって成り立っている。私たちは皇后に自分勝手な要求をつきつける「民主主義の暴走」に気を付けなければならない。

皇后は神格化されるべきではない。皇后個人は、生身の人間として自分なりの生き方を模索する旅を続けるだろう。私たちにできることは、その個としての生きがい発見の旅を、離れたところから心の中で応援することくらいだ。皇后という困難な立場を制度として設けている以上、そこに最低限の思いやりを寄せることは、国民としてのつとめではないかと思う。

【執筆:国際政治学者 三浦瑠麗】

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三浦瑠麗
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人々の考えや行動が世界にどんな変化をもたらしているのか、日々考えています。リベラルのルーツは「私の自由」。だけどその先にもっと広い共感や思いやりを持って活動すべきじゃないか、と思うのです。でも、夢を見るためにこそ現実的であることは大事。。
国際政治学者、山猫総合研究所代表。代表作は『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』岩波書店(2012)、『21世紀の戦争と平和ー徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』新潮社(2019)。成長戦略会議民間議員、フジテレビ番組審議委員、吉本興業経営アドバイザリー委員などを務める。