なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴

FNSドキュメンタリー大賞2019

カテゴリ:国内

2018年3月、東京・目黒区で5歳の船戸結愛ちゃんが死亡した虐待死事件。

搬送される結愛ちゃんを目撃した人は、「女の子がいた事自体知らなくて。運ばれた女の子を見たときに、顔色が完全に土色みたいになっていて…。あからさまに細すぎだろって、足とかちょっと細すぎっていうのが…」と、ひと目で感じた異常さを語っていた。

事件後、国会に児童虐待防止法の改正案が提出され、今年6月に参院本会議で全会一致で可決し、成立。親の体罰が禁止されるなど、この国のシステムを変える“きっかけ”となった衝撃的な事件だ。

事件のことを報道で知った時、誰もが考えたに違いない。

「結愛ちゃんを救うチャンスがあったのではないか?」
「なぜ社会はあれほどの虐待に気づかなかったのか?」

その答えを出すために、加害者である父・船戸雄大被告(逮捕時33歳)の半生をたどった。

誰もが目もそむけたくなる程の虐待を行い、世間には「鬼畜」「悪魔」と呼ばれた船戸雄大という男は、一体どんな人物だったのか?

“社交性”が高く、皆の中心だった雄大

「不思議な感覚でしたね。違う人を見てるような感覚です」

事件後、小学校の同級生はこう語った。
北海道札幌で育った雄大は、バスケに熱中する誰もが羨むヒーローだったという。

「プロになれるんじゃないかという感覚は小学生ながらでもありました。多分次元が違ったと思います。皆彼から教えてもらうとか、そういうレベルです。そこら辺の先生より、体育の先生より上手みたいな」

万能感に満ちた少年時代のみなぎる自信は、「日本人初のNBA選手になる」と卒業文集にも刻まれていた。

また、その同級生は「もう話題の中心というか、遊ぶ時の中心っていうか。明るくて楽しい友達っていう感じですかね」と、雄大には人を惹き付ける力があったと当時を振り返った。

2003年4月、大学進学のため東京に出てきた雄大。
当時の親友は事件後、「あいつだったらそんな事せんやろうと思うところもあるので」と目頭を押さえた。

「バスケもうまかったです。試合とかでも結構怒られてましたけどね、『お前それちゃんとしろよ』みたいな。何かと色々やってくれましたね。体育館取ってくれたりとか、チームに連絡したりとか」

大学でもバスケサークルのリーダーで、世話焼きなまとめ役だったという。

雄大は卒業後も東京に残り、2007年4月、通信関係の大企業に勤めるようになる。
仕事もでき上司の評価の高い。世話好きな性格はここでも顔を出し、同期会ではいつも幹事を引き受けた。友人も、親しければ皆自宅に呼ぶ、雄大の“社交性”の高さ。


雄大の身近にいた人たちが、口をそろえて語るのは、いつも仲間の輪の中心にいる、私達からすると意外な素顔だった。

点々と生活の場を変えていく雄大

そんな雄大は、1〜2週間に一度は通っていた行きつけの飲み屋で「仕事を辞めたい」と言い出すようになっていた。相談をしていたのは、雄大被告が兄のように慕っていた男性だ。

「『今の仕事が飽きちゃった』っていうのは聞いて。『辞めたい辞めたい』と言っていて、『もう通信関係の仕事はやりたくない、他の仕事がしたい』って。具体的に何かということは聞いてないけど」

飽きっぽい性格だったのだろうか。
雄大は勤め先に地元への異動を希望し、2014年5月には願いは受け入れられ、札幌に戻ることになった。

ところがーー

「最初は自分の会社に普通に勤めていたけど、すぐに辞めましてね。それで夜のすすきので、紹介じゃないと行けないような高級クラブのボーイをやるって言って。なんでいきなりそんなところで働くんやと思って。先は全く見えないんだろうなと思いましたけどね…」

当時そう思っていたという親友は、「アンダーグラウンドな感じの人たちに憧れていたというのはあるかもしれないですね」と、理解も示した。
自尊心が強い雄大は、ありきたりな人生を嫌ったのではないか、と。

高松市の繁華街

しかしクラブでのボーイ生活もすぐに終わることとなった。
北海道行きからわずか1年後の2015年には香川県へ。

親友は「香川に行ったのは、友達が『ちょっとお店が困ってる』って言うんで、雄大は手の届かない範囲でも人を助けようとする心があるから、困ってる人を助けたいということで、香川まで行った」と、雄大なりの大義名分があったと言う。

キャバクラの人手が足りない。
そう請われ、高松の繁華街でボーイとして働き始めた雄大。

ここで3人は出会ってしまった。

出会ってしまった3人

大学時代から11年を過ごした東京を離れ、故郷・札幌での転職、縁もゆかりもない香川にきた雄大。

香川に来てからも東京で兄のように慕う男性には連絡を取り続けていた。

「しばらくして香川から連絡があったんですよ。結構2カ月に1回くらい頻繁に連絡が来てたんですよ。電話とかLINEでも」

2016年には、その男性にこんなLINEを送っていた。

「香川で今付き合っとる仔と籍を入れることが決まりました…(笑)」
「田舎で子供と3人暮らしです(笑)」
「とりあえず今は派遣なんで近場で就活しよります★ まぁ金はないですけど幸せは幸せです(* ̄▽ ̄*)」
「ついでにお腹に子供も出来まして…9月末には2児のパパになります」
「まぁとりあえず家族持ってしまったんで、大人しく働きます(ノД`)…」
(原文ママ)

勤務するキャバクラで働いていた、シングルマザーの船戸優里(事件当時25歳)被告と、3歳の娘・結愛ちゃんと出会い、LINEからは幸せそうな雰囲気が溢れている。

優里との関係が店にばれ、キャバクラを追われた後、3人の暮らしが始まっていた。

親友も、「雄大がバスケするって言って、こっちにいるバスケの連中と練習したこともあります。その時に2人(優里被告と結愛ちゃん)も付いてきて。試合の横を結愛ちゃんが走ったりして、ボールとか触って遊んでいましたね。奥さんはずっと体育館に座ってるみたいな、大人しい感じかな。でも雄大は優里さんのことを好きでしたよ絶対。あいつは好きになったら結構一途なんで」と、その頃の幸せな3人の姿を目の当たりにしていた。

2人目の子を授かったことに腹をくくったように、地元の優良企業である食品会社の面接を受けた雄大は、すぐに採用が決まった。

勤務先の上司は、「家族ができるのでやらなきゃいけないという、本人も覚悟を決めて面接に望んでましたので、非常に印象は良かったし、やる気というか熱意がよく見えたっていうのはありますね」と、当時の印象を語る。

しかし、こうした外向きの顔とは裏腹に、近所の人々は不穏な空気を感じ始めていた。

ある女性は、「お母さんがいなくなると、結愛ちゃんがバーっとすごい勢いで怒鳴られているのを聞いて、お母さんいなくなると(雄大被告は)態度が豹変するのかなって。そのうちパパって呼びだすようになったので、あっ結婚したんだって」と話す。

同居と同時に始まっていた結愛ちゃんへの虐待。
怒鳴り声はやがて聞き捨てならない音へとエスカレートしていった。

「お風呂場からバシャバシャ聞こえて、顔をつける練習か何かをしていて。ちょっと激しめだったんで普通じゃないなって思って、結愛ちゃんが『やめて』」って。これ危なくない?って児童相談所に電話して」

その時、初めて社会は結愛ちゃんへの虐待に気づいた。

救えなかった香川での生活

通報を受けた児童相談所は、幼稚園や市の協力を仰ぎ、一家の見守りを開始。

幼稚園が結愛ちゃんの体に痣を発見したのがこの頃だ。

しかし、雄大は職場にも親しい知人にもそんな素振りを見せてはいない。

職場では愛妻弁当を持ってきて男性陣から羨ましがられ、パソコンの使い方を教えるなど、同僚の評判はよかったという。

兄のように慕う男性にも「『子供の行事も出てます』って。運動会行ってるとか。バザー行ってるとか。『ちゃんとお父さんやっているのか?』と聞くと『やっています』と。それは楽しそうに話してたかな」と、虐待の影は見せなかった。

そんな中、雄大はついに一線を超える。

2016年12月25日、凍てつくようなクリスマスの夜だった。

「ピンクの薄いパジャマの上下で、裸足だったんですね。夜の9時くらいだったんですけど、『ご飯食べてない』って。裸足で放り出してるのはひどいと思って、冷たかったので背中をさすってあげて、少しでも暖かくなればと。警察待ってる間に『お家に帰る?』って聞いたんですけど『帰りたくない』ってはっきり言われたので…」

このとき結愛ちゃんの唇からは血が流れ、おでこには痣。児童相談所は結愛ちゃんの安全を優先し、一時保護に踏み切った。
しかし書類送検されたものの不起訴となった雄大は、大学時代の親友にこう話している。

「結愛ちゃんを外に出してたら泣いていて、近所の人に通報されて、警察来て面倒くさいというか、その対応が大変だ、みたいなこと言っとったんで。そんな事あるんだと思って」

児童相談所の職員の家庭訪問などを条件に、2カ月ほどで一時保護が解除され、自宅に戻った結愛ちゃん。
しかしわずか1月半後の2017年3月19日、再び寒空の下、一人で外に出されていた結愛ちゃんを警察が発見。2度目の一時保護となった。
このとき結愛はちゃんは、顎の下の内出血に、腹部の強い打撲、腰の骨と腿にも外傷が認められた。

これを受けて医療機関は児童相談所に、一時保護から施設入所に切り替えるように進言。家庭裁判所が承認すれば保護者の同意なしで施設に入れることができる『児童福祉法28条』の申し立てを提案した。

しかし、結果としてそれは叶わなかった。

事件後、香川県がまとめた報告書には、その反省が書かれている。

児童相談所の役割は、保護者と子供を引き離す「介入」と、子育てを助ける「援助」という、相反する二つの側面がある。
しかし家庭裁判所に申し立てをすると、その事実が保護者に知られてしまう為、万が一承認されなかった場合、保護者との信頼関係は一気に崩れてしまう。
結愛ちゃんの場合も、怪我の程度から家庭裁判所が申し立てを認めないリスクがあった。
そのため香川児相は介入を断念してしまったのだ。

結局2度目の一時保護も、結愛ちゃんが指定された病院に通うことを条件に、4カ月で解除されている。

そして家庭内の抑止力となるべき、母親・優里被告の怒る声も近所の人に聞かれていた。

「結愛ちゃんが時計の勉強をしているのが聞こえて、お母さんが『なんでできんのや!』みたいな。『あんたがそんなんやけんママがパパに叱られるやろ』って怒ってて。お母さんもお父さんを怖がっているんだろうなって」

絶望的な状態だった。

厚生労働省の検証報告書には、雄大は優里に対してもDVの疑いがあり、支配的であったと記されている。

唯一の救いは、2017年8月頃から結愛ちゃんの病院通いが始まり、雄大の暴力が減っていたことだった。結愛ちゃんの心と体もこの時期、少しずつ回復していったという。

一方で、こうして多くの機関に見られているという感覚は、雄大に過度のストレスを与えていたのかもしれない。

近所の人は、階段を逃げるように走って降りたり、接触を避けるように車から出てこないような雄大の姿を見ている。どんどん内にこもってしまっているように見えた雄大を不安に思っていたという。

近所の目に追い詰められていく雄大は、2017年3月、幼稚園からも結愛ちゃんを退園させる。
社会との糸はまた一本が切れ、雄大はまたしても逃げ道を探し始める。


「その時また連絡が来たんですよ。仕事をやめたいと。田舎だから話も色々すぐ広まっちゃうし住みにくいと。だから東京に戻りたいという話は連絡があったんです」

再び東京に戻るという、結果的に最悪の結末につながる決断だった。

周囲が事件に気がつけなかったワケ

職場の上司には、こう語っていたという雄大。

「結愛ちゃんがとにかく人見知りがひどくて、全くご近所の人にも挨拶もできないし、そういったところを今のうちに直したいと。タイミング的には小学校1年生から新しい小学校に行かせたいので、もう辞めるのが今しかできない。12月まで仕事を続けて、年明けにはもう東京にいくというですね」

しかし大学時代の親友は「職に関して言うと、紹介してくれたりっていうのが多分あるはずだっていうのがあいつの認識なんですよ。何かは絶対にあるって。具体性が全く無いというか安易というか…」と明かす。

この東京への逃避行が、香川で作られた包囲網を安々とくぐり抜けてしまった。

2018年1月8日、目黒区内に部屋を借りた雄大は、早速近所のバーに顔を出していた。その店主に対し、芸能マネージャーになりたいと話していた。

「この界隈のことを知りたいとか、前の仕事を辞めて新たなスタートを切ろうと思って来ましたと。『実は僕は芸能界に興味があって、芸能マネージャーをやろうと思ってる』と。自分のお尻を叩いて頑張っていくんだって、希望に満ちて来たんだろうなということは、表情も無邪気でしたからね」

「一週間後に奥さんとお子さんがいらっしゃると。『上の子が今度小学生なんですよ、でも僕の自分の子供じゃないんですよ』って言うことはおっしゃってました。でも『今度小学校1年生で入学なんで』っていうのは、ちょっと嬉しそうに話してましたから、可愛がってらっしゃるのかなという風に素直に思いましたけどね」

どこから見てもいい父親。
外ではそんな顔を見せていた雄大。

2018年1月23日、東京へやってきた結愛ちゃんの直前の体重は16.6kgだった。
雄大からしばらく離れ、せっかく元気になっていた結愛ちゃんは、この日から灯りも暖房もない部屋に一人閉じ込められることになる。

2DKの物置代わりの部屋で、一人寝起きさせられ、外へ出ることは叶わなかった結愛ちゃん。そこからの毎日は報道で伝えられた通りだ。

・午前4時、自分でかけた目覚まし時計で1人起床
・ノートに体重を記録
・ひらがなの練習が日課
・朝食スープ1杯
・昼食ご飯茶碗3分の1
・夕食ご飯茶碗2分の1
・言うことを聞かなければ1日1食

そんな仕打ちの一方で雄大は、近所の住民に挨拶をして打ち解け、結愛ちゃんを除いた家族3人で近所の神社での豆まきにも参加していた。

かけ離れた“表”と“裏”の顔。

外食でも幼い弟だけが一緒だった。

「お父さん、お母さん、お子さんと座ってたね。子供にも普通に食べさせてあげてたね。見た感じ本当仲がいい家族って感じ、3人はね。結愛ちゃんは友達のところに預けているって聞きましたけど」

こうして近所の誰もが、結愛ちゃんへの虐待に気づけなかった。

起きてしまった事件と変わっていく社会

2018年2月9日、香川から引き継いだ東京の児童相談所が自宅を訪問したが、母親の優里から、結愛ちゃんとの面会を拒否され、5分ほどで帰っている。

そしてこのとき、香川での児童福祉司による指導が解除。怪我の写真や今後の危険性を評価する書類も引き継がれることはなかった。

東京の児童相談所は緊急性の高さを見抜けず、結愛ちゃんの叫びは都道府県をまたぐシステムの中でかき消され、虐待はエスカレートしていく。

氷のようなシャワーを浴びせられ真冬のベランダに出された足は、しもやけだらけだったという。捜査では部屋からも風呂場からも結愛ちゃんの血痕が見つかっている。

5歳の彼女は一人ノートに謝り続けた。

ママ もうパパとママに いわれなくても
しっかりとじぶんから きょうよりかもっと
あしたは できるようにするから
もうおねがい ゆるして
ゆるしてください おねがいします
きのう ぜんぜんできてなかったこと
これまで まいにちやってきたことを なおす
ぜったい やくそくします
もうあしたは ぜったいやるんだと おもって
いっしょうけんめいやる
やるぞ

事件発覚まで直前の2月20日、母・優里は結愛ちゃんが通う小学校の入学説明会に出席していた。それは結愛ちゃんがノートに体重を書くことができた最後の日だった。

後に雄大は、浴室内で娘の顔面を殴ったと供述している。

東京の児童相談所が結愛ちゃんに会えていないことを知り、香川の病院が慌てて電話をかけたのは翌日の2018年2月21日。
「心配な家庭」と、リスクの高さを伝えた。
しかしこの時、すでに結愛ちゃんは食事も受け付けず、起き上がることさえできなかった。

それでも雄大はかつての同僚達と飲み会に出かけ、「娘が言うことを聞いてくれない」「小学校にあがるので、ちゃんとしつけないといけない」などと話していたという。

近所の住民も事件の数日前、「ご主人が上から小さな子を抱いて帰ってきて、挨拶して、保育園が決まりましたっていうそんな報告を受けて、上の子は小学校なんですよって」と普段どおりの雄大の姿を目にしていた。

こうして全ての目をすり抜けていった雄大の“社交性”。

3月2日午後6時29分、119番通報したのは雄大自身だった。
「食事をとらず嘔吐し、心臓が止まっているようだ」と通報したという。

近所の住民は、「まず消防車が来た時に、お父様が上から『こっちの部屋です』って案内されてたのはチラッと上から拝見して。慌てた様子で」とその時の様子を話す。

午後6時59分、結愛ちゃんは肺炎からの敗血症で死亡が確認された。

16kgあった体重は、東京でのたった一月余りで12.2kgになっていた。

翌3日、船戸雄大被告を、傷害の容疑で逮捕。
「言うことを聞かず、数日前に拳で殴った」と供述していた。

6月8日には、母・船戸優里容疑者を保護責任者遺棄致死の容疑で逮捕。
「自分の立場が危うくなるのを恐れて、見て見ぬふりをした」と話した。

兄のように慕われていた男性は言う。
「事件のことだけを思うんであれば多分会わない。雄大として見るのであれば会う」

大学での親友は言う。
「事件があった最初はお前も同じ目に合わせてやるって思ってたんですよ。日が経つと、それも違うかなっていう」

小学校の友人は言う。
「香川に行ったりとかしてたみたいなんで、そこで多分友人関係がリセットされたとか考えると、同情はもちろんしないですけど、相談する相手がいれば変わってたんじゃないかなとは思います」

香川の通報者は言う。
「警察から『以前通報していただいた件なんですけど覚えていらっしゃいますか?』っていう電話が来て、『実は亡くなったんです』って言われて。もう返す言葉がなくてただただ涙が出てくるだけで」

香川で結愛ちゃんを診察していた主治医は言う。
「雄大被告もどこかでSOSを出しているはずなんです。そこを思ったら、ここまで親がしてしまう前に、なんかできるのではないかといつも思います。お父さんが加害者やから、お父さんに何か入らないと、再発の予防には一つもならないんです。このお父さんに直接入れるのって児相しかないんですよ。そこはやっぱりすごい専門性がいるところだと思うので、システムを変えていかないといけないと思います」


冒頭でも書いたとおり、この事件をきっかけに児童虐待防止法の改正案が成立した。
・しつけ名目の体罰を禁止
・一時保護と保護者支援の担当を分離
・児童相談所への医師、保健師の配置
などが、盛り込まれたものだ。

結愛ちゃんの命が、懸命に生きようとした命が、今社会を動かしている。