「心から深くおわびを申し上げます」という安倍首相の謝罪に、涙を見せたハンセン病の元患者の家族。

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元患者家族の原田信子さんは、面会後の会見で「本当にうれしかったです」と語った。

家族への賠償を命じた熊本地裁の判決に対して控訴を見送った安倍首相と家族との面会が、7月24日に実現したのだ。

しかし、ハンセン病について街で取材すると、21歳の女性から「詳しくは全然わからない。名前を知ってるくらいです」という声が聞かれたように、若い世代にはその実情を知らない人も少なくない。

元患者家族が涙した背景に、どのような歴史があったのかを見ていく。

「患者以上に家族は苦労していたかもしれない」

東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館によると、ハンセン病は「らい菌」に感染することで皮膚と末梢神経が侵される病気。

提供:国立ハンセン病資料館
提供:国立ハンセン病資料館

治療薬がなかった時代には、 顔や手足などが変形してしまうこともあった。

国立ハンセン病資料館 木村哲也学芸員:
顔や手足、目に見えるところに症状が出やすいので、外見からある種の差別を受けることがあった病気です。

他の人に感染することはほぼないが、偏見からハンセン病患者は療養所での隔離生活を強いられてきた。

元ハンセン病患者の森元美代治さん:
社会の迫害している白い目っていうのは、言葉にならなくてもわかりますよ。タクシーで拒否されたり、鮮魚店で魚売るのを断られたり。

差別を受けたのは、患者本人だけではなかったという。

元ハンセン病患者の森元美代治さん:
大阪に姉がいて、姉にも田舎に恋人らしい人がいたらしいけど、その人とも別れて。私が原因で。別れて、大阪で私の病気を全く知らない人と結婚したんですよ。
国家公務員の弟がいてね、兄さんの病気がばれたら自分職場を追われると。
ハンセン病の家族はね、本当に苦労してる。ある意味、我々以上に家族は苦労していたかもしれない。

初の元患者家族への賠償を命じる判決

国による「らい予防法」の隔離政策が解かれたのは、1996年のこと。以来、元患者が国の責任を問う裁判が各地で行われた。

一方、元患者の家族561人は、隔離政策で差別や家族離散などの被害を受けたとして、2016年に国に対して謝罪と1人あたり550万円の損賠賠償を請求。

そして今年6月28日、熊本地裁は国の責任を認め、20人を除く原告541人に対して、総額3億7000万円あまりの賠償を命じた。

裁判所が元患者の家族について被害を認める判断を下したのは、これが初めてだ。

安倍首相は判決を受け、7月9日に元患者の家族に対して控訴しないことを表明。そして24日、両者は直接面会した。

安倍首相:
皆様が強いられた苦難と苦痛に対しまして、深く深くおわび申し上げます。

原告団団長の林力さんは、面会後の会見で次のように話した。

原告団 林力団長:
何よりも総理が私どもの直接の声を聴いていただいた。「父ちゃんようやくここまで来たよ」 という思いが一杯になりました。

(「めざましテレビ」7月25日放送分より)