「球場の石拾いから…」荒波を乗り越えてきた楽天のスゴすぎるスポーツ事業

  • 球界に一石を投じた「楽天」だが、設立当時は茨の道だった
  • 「試合前にゲーム」初代主将が懸念した参入メンバーのプロ意識
  • 石井一久GMが仕掛けた浜田雅功、人生初の始球式はドッキリ!?

どんなスポーツでも、それを支える企業や人がいる。

7月14日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、スポーツ事業に数千億円にものぼる桁外れの投資を行う『楽天』に注目。中でも最初に世間の注目を集めるきっかけとなった東北楽天ゴールデンイーグルスの創立と現在に迫った。

楽天のスポーツへの投資がすごいことに

日本を代表するIT企業で、ネット通販や金融、通信事業など多岐にわたるジャンルで事業を展開する楽天。そのグループ総売上は約1兆1000億円。会長の三木谷浩史さんは、54歳という若さで日本長者番付2019で5位にランクインし、その資産額は推定6670億円と言われている。

そんな楽天によるスポーツ事業の投資が“すごいこと”になっている。

野球では、2005年に球団加盟料30億円を支払い、東北楽天ゴールデンイーグルスが新規加入。

サッカーでは、Jリーグのヴィッセル神戸を運営し、名門クラブのFCバルセロナともスポンサー契約を結び、7月27日には楽天カップでの来日が決定。リオネル・メッシ選手を中心に、10年間で7度のリーグ優勝を誇る最強チームとの契約額は4年間で約260億円。

そのバルセロナからヴィッセル神戸が獲得したのが、世界的スターのアンドレス・イニエスタ選手。その推定契約額は3年間で約96億円。さらに、スペイン代表で歴代最多得点記録を持つダビド・ビジャ選手や、元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキ選手など各国トップ選手6名とも契約し、その推定年俸総額は14億円と言われている。

バスケットボールでは、ここ5年間で3度のNBA王者に輝いたゴールデンステート・ウォリアーズ選手と契約。その推定契約額は3年間で70億円。

テニスでは、120年続く国別対抗のトーナメント戦が行われるデビスカップのグローバルパートナーとなり、サッカーW杯のようなテニス最高峰の大会にしたいという願いのもと、三木谷会長が共同で設立したコスモス社が投資する額は、25年間で約3300億円となる。

球界に一石を投じたが苦難の道に…

そんな楽天が、世間の注目を最初に集めたきっかけは、東北楽天ゴールデンイーグルス。創立9年目で日本一に輝いたが、球団設立までには様々なドラマがあった。

2004年6月13日、「一球団が消滅」という球界に予期せぬニュースが舞い込む。近鉄バッファローズが消滅し、オリックス・ブルーウェーブと合併することに。赤字経営が続く、球団親会社の苦渋の決断だった。

またプロ野球の人気低迷により、もう一球団を消滅させ、セ・パ両リーグ計12球団から1リーグ制の10球団になるのではという話も浮上していた。

「球団が減ることで球界から去ることになる選手が出る」と選手たちが異を唱えるが、球団経営側が強引に合併を決定したことで、選手たちは12球団の維持を求め、プロ野球界初となるストライキを決行。選手会と球団経営側の緊張状態が続く中、三木谷会長が楽天の球団経営参入で一石を投じた。

50年ぶりの新球団誕生。これにより、12球団の存続が決定したが、ここからが苦難の連続だった。

球団の設立が決まったのは2004年11月。開幕まで4ヵ月という短期間での準備が必要になったが、その時3つの問題が浮上した。

一つ目は「選手がいない」こと。選手獲得の際に、オリックスと楽天の2球団による分配ドラフトが行われたが、戦力をバランスよく分けるわけではなく、主力のほとんどは統合チームのオリックスが獲得。そのため、野球ファンの間で楽天は“2軍の寄せ集め”と揶揄されるように。

二つ目は「球場がない」こと。楽天の本拠地は、当時県営だった宮城球場。1950年に建てられたこの球場はすでに老朽化し、プロが試合をする環境とは言えず、大改修を行うこととなった。

そして三つ目は、「ユニフォームがない」こと。発注が間に合わず、チーム設立直後の最初の練習では、真っ白なユニフォームを着用していた。

その後、まだ手書きだったスコアボードを電光掲示板に改修し、チームロゴが入ったユニフォームも完成。迎えた開幕戦では、苦難を乗り越え勝利を飾るも、第2戦ではプロ野球史上最大の大敗を喫し、参入初シーズンは最下位という結果となった。

創設時の楽天は「プロ意識がなかった」

スタジオには、楽天の初代選手会長で初代主将の礒部公一さんと、参入メンバーの山﨑武司さんが登場。

苦難が絶えない楽天の道のりに衝撃を受けた番組MCの浜田雅功さん。当時の様子について聞くと、山﨑さんは「グラウンドに入るときに、最初にやることは何か分かります?球場の石拾いから。グラウンドがガタガタだから、まず石から拾おうって監督が…みんなで横に並んでやりました」と振り返った。

さらに、山﨑さんは「分配ドラフトで主力は礒部と岩隈(久志)だけ。あとは、オリックスの方に行ってしまいましたから。全てにおいてプロ野球選手のレベルではなかった。一番気になったのが、プロ意識が全くなかったこと。試合が始まる前にゲームをやっているんですよ。それを見た瞬間に時間が掛かると感じました」と明かした。

やっとプロとして戦えるチームになったのは、田尾安志監督の後、野村克也監督に変わってからだという。その理由について礒部さんは「(野村監督は)厳しい監督ですし、当時は茶髪やヒゲもなんでもアリだったんですけど、野村さんが来たら全部禁止。大改革です。選手たちも考え方が変わったと思います」と話した。

ゲストの上地雄輔さんが「IT企業ならではの特徴」について質問すると、山﨑さんも驚いたことがあると言い、「例えば、1億円もらっていたとしたら、今年の活躍も含めて1億2345万3221円だなと言われるんです。その瞬間に『夢がない!何百万単位で端数は切って』と言いました」と、年俸は選手のグッズ売上も含め、1円単位できっちりと提示されたことを明かした。

最近では、お立ち台に立った選手は楽天スーパーポイントが10万円分もらえるそうだが、山﨑さんと礒部さんの選手時代は試合に勝てば三木谷会長のポケットマネーで“ご褒美”が出たりすることがあったという。

ホワイドボードに“今日勝ったら、スタッフ1人1人に30万円”と書かれていたこともあり、驚いたというエピソードを礒部さんが明かすと、浜田さんは「当然、勝つんですよね?」と問う。だが、山﨑さんは「それが、勝てないんです」と苦笑した。

浜田雅功、人生初の始球式はドッキリ!?

現在、楽天でゼネラルマネージャー(以下、GM)として手腕を振るっている、元メジャーリーガーの石井一久さん。2018年9月に、パ・リーグ最下位だった楽天のGMに就任した。

GMとは、選手をはじめ、監督の決定にまで関わる球団社長に次ぐポジションだ。ドラフトやFA選手の獲得など、チームの編成を決める役職で、選手の年俸を決めるのもGMの仕事の一つ。

就任後、大型補強やスタッフ編成を行い、“敏腕”と噂が立ち始めている石井さんの仕事ぶりを確認するため、楽天生命パーク宮城へと足を運んだ浜田さんをGM自らが出迎えた。石井さんは「GM付き広報として働いてもらいます」と冗談交じりに浜田さんに提案した。

石井さんのペースに巻き込まれながら、試合前の選手に会いに行ったり、GMイチ押しの球場を上から見渡せる観覧車に乗ったりと、“遊び心ある球場”を体験する浜田さん。

楽天イーグルスのチームショップは12球団トップクラスの品揃えと大きさを誇り、約4000種類の商品が並び、帽子だけでも100種類以上あるという。さらに、目玉のスマイルグリコパークは、日本の球場では類を見ないスタジアムに併設されたテーマパーク。多くの人に野球観戦を楽しんでもらうため、家族で遊べるアトラクションが充実しているというのだ。

すると、浜田さんは「GM室を見たい」と要求。その交換条件として石井さんは「観覧車を『ジャンクSPORTS』仕様にしたい」と提案し、了承した浜田さんは、まだ誰にも見せたことがないというGM室へと案内された。

ちなみに、番組仕様のゴンドラは、7月19日から登場するという。

石井GMのために作られたGM室は、年俸交渉や他球団選手の調査など重要任務が行われている。浜田さんが気になったホワイトボードには、各球団の1軍に登録している選手などが書かれ、日々チェックしているという。

浜田さんの想像以上に働いていた石井さん。さらに、「本当は見せない」と言いつつ、選手がミーティングする部屋も特別に見せてくれた。そこは、映画館のような部屋で、試合前に集まり、映像を見ながら攻略を練っているという。

そして、“GM広報付き”の浜田さんに、 “真の目的”である重要な任務が告げられる。それは、「始球式をする子どもが風邪で来られなくなったので、浜田さんにやってもらいたい」ということ。

人生初の始球式にやる気満々の浜田さん。だが、これは石井さんが考えたドッキリだった。その内容は、マウンドへ上がった浜田さんのもとに、風邪で来られないと言われていた少年がやってくるというもの。

球場全体がこのドッキリを楽しみに待つ中、浜田さんがマウンドへ。観客の声援にテンションが上がる中、少年が登場したことで、ぼう然とする浜田さん。そして、ボールが欲しいとせがむ少年に一度は拒否するが、落ち込む少年に浜田さんがボールを渡すと、スタジアムが拍手に包まれた。

まんまと石井さんのドッキリにはめられたことで、「ないわ!」と納得のいかない浜田さん。スタジオでも、「あの子のキャラがよかった」と少年を褒めつつも、「ホンマ、ええ球投げたんで」と悔しそうな顔を見せた。

始球式で、なぜバッターは空振りするの?

さらに『野球の疑問』では、「始球式で、なぜバッターは空振りするの?」という、ゲストの稲村亜美さんの疑問も解決。

まず、世界初の始球式は1892年にアメリカで、観客席からグラウンドに向け球を投げる形式で行われた。そして、日本で最初の始球式は、1908年にアメリカの選抜チーム対早稲田大学野球部の試合で、初めてアメリカの選手を呼んだ記念に、バッターを立たせた状態でマウンドから投げるという形式で行われた。

このときに始球式を務めたのが、第8・17代内閣総理大臣で、当時早稲田大学の総長を務めていた大隈重信。そして、バッターを務めたある青年の行動が、後世に大きな影響を与えることとなった。

歴史上、初めて始球式のバッターボックスに立ったのは、当時の早稲田大学野球部主将だった、山脇正治さん。そして、ボールを投げるのは大隈。しかし、ボールを投げるのではなく転がすという行動に出た大隈に、会場が静寂に包まれる中、ボールを拾いにアメリカ人のキャッチャーが走り出してしまう。

キャッチャーが捕ると判定がボールになってしまうこと、大隈に恥をかかせられないと思った山脇さんは機転を利かして、空振りをし、見事ストライクに…。

これ以降、バッターがキャッチャーに敬意を表すため、どんなボールでも空振りをするようになり、それが海外でも広まっていったという。

気の利いた大学生の大隈への“忖度”が、バッターが空振りをする始球式のスタイルになったことに、スタジオでは驚きの声が上がっていた。

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送

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