米露で食い違う主張

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6月7日、太平洋西部の公海上で、米海軍の巡洋艦チャンセラーズビルとロシア海軍の駆逐艦アドミラル・ヴィノグラードフが衝突寸前の距離まで接近した。

チャンセラーズビルは、横須賀所在の米海軍第7艦隊所属の巡洋艦であり、同日中に、第7艦隊広報は、次のように公表した。「2019年6月7日午前11時45分頃、“フィリピン海”での行動中、ロシアの駆逐艦「UDALOYⅠDD572(アドミラル・ヴィノグラードフのNATO表記)」がUSSチャンセラーズビル「CG-62」に対し、50~100フィートに近づく安全でない操艦をした。米艦はヘリコプター揚収作業のため、一定のコース・スピードを維持し航行していたが、ロシア艦は後方から右舷側に加速して近づいてきた。その結果米艦は、後進一杯(エンジンを逆回転させ全力でバックする)により衝突を避けた。このロシア艦の行動は「Unsafe and Unprofessional(安全性とプロ意識に欠けるもの)」であり、“国際海上衝突予防規則(COLREGS)”や“海上衝突予防法”など国際的な海事慣習に基づいていない。」

同日シャナハン国防長官代行も記者団に対し、「安全性とプロ意識に欠ける」事案があったとし、ロシア側と軍レベルで協議を行い、外交上の正式な懸念表明を行う考えを示した。

一方ロシア太平洋艦隊は、「米海軍の巡洋艦が、“東シナ海”でロシア駆逐艦の航路を突然横切り、あわや衝突するところだった」と発表。「米艦艇は突然針路を変更し、ロシア艦からわずか50メートルの距離を通過し、衝突を避けるため、ロシア艦は緊急な針路変更を余儀なくされた。」と発表。ロシア太平洋艦隊は、「米艦の司令部に対して抗議を表明し、このような行動は許しがたいことを指摘した」と主張し、非難合戦になっている。

プロ意識に欠けるロシア艦艇の行動

しかし米側公表の動画を見れば、米側が正しいことは明らかだ。ロシア艦の航跡は、米艦よりも白さが際立っており、米艦よりもかなりの高速を出していたことがわかる。更に、うねった航跡からは、米艦の右後方から近接し、近接直後に急に右に舵をとったこともわかる。

また法的にも米側主張が正しい。当初ロシア艦は、米艦の「正横後22度30分を越える後方の位置」(右真横より少し後ろ)にあり、これは法律上「追越し船」に該当する。「追越し船」は、「追い越される船舶を確実に追い越し、かつ、その船舶から十分に遠ざかるまでその船舶の進路を避けなければならない」と定められている。今回ロシア船は、「追越し船」という「避航船(相手船を避けなければならない船舶)の立場にありながら、「保持船(針路・速力を一定に保つ義務がある船舶)」たる米艦の進路を避けるどころか妨害した、「安全性とプロ意識に欠ける」明らかな違法行為なのだ。

今回第7艦隊が主張した“国際海上衝突予防規則(COLREGS)”は1972年に国際社会で採択されたものだが、これとは別に米ソは、二国間の条約として“海上事故防衛協定(INCSEA)”を同じ年に締結している。これは1960年代後半以降、両国の軍艦や航空機の衝突事故が頻発し、これらの不測事態を大戦争に拡大させないため、危機管理として、冷戦中に作られたものだ。冷戦後は米国以外の国々にも枠組みは拡大され、日本も1993年に11番目の国として“日露海上事故防止協定”を締結した。国際条約の当事者たる艦長や艦艇乗り組み士官たちに対し、各国海軍ともこのルールを厳しく教育してきた。

不足事態から大戦争にする愚を避ける

今回と同様の事案といえば、昨年9月30日に南シナ海で米海軍イージス艦に中国艦艇が異常接近したことを思い出す。「航行の自由作戦」を行う米艦艇に対して、41メートルの至近距離まで接近し、米側の警告にもかかわらず、繰り返し攻撃的な動きをみせたという。

ただ異常接近した事案は、全て公表されており、それほど頻繁に起きているわけではない。にらみ合いをしていても、安全な距離は保っているのだ。

昨年1月に公表された米国防戦略で、「競争相手」と名指しをされた中露と米国の関係は益々厳しいものになっているが、この米中露は、他国や国際社会に対して、従来の外交に加え、経済、情報、軍事活動を投射する「戦略的コミュニケ―ション」を行っている。そして海軍艦艇はこれに最適なツールとして使用され、特に南シナ海における「航行の自由作戦」を含む「警戒監視活動」は既に常態化しており、今後活発化することはあれ、なくなることはない。

後甲板で日光浴をする乗組員
後甲板で日光浴をする乗組員

海軍艦艇とは、「国家そのものが移動している」という存在であり、国際法上も特別な地位が与えられている。他国艦艇と近接するのに、後甲板で日向ぼっこしているといった品のない行動も含め、異常接近など、艦艇乗り組み士官としてあるまじき「安全性とプロ意識に欠ける」行動に対し、各国海軍はもっと声を上げるべきだ。そして冷戦中に米ソが知恵を絞ったように、衝突事故のような不測事態を大戦争にする愚は絶対に避けなければならない。

【執筆:金沢工業大学虎ノ門大学院教授・元海将 伊藤俊幸

伊藤俊幸
伊藤俊幸

海上自衛官の道に進んだのは防衛大学校で先輩の言葉に感銘を受けたため。海上幕僚監部広報室長時代に、「亡国のイージス」といった映画に協力して海自隊PRにも努めた。

防衛大学校機械工学科卒業、筑波大学大学院修士課程(地域研究)修了。海上自衛隊で潜水艦乗りとなる。潜水艦はやしお艦長、在米国日本国大使館防衛駐在官、第2潜水隊司令、海上幕僚監部広報室長、海上幕僚監部情報課長、情報本部情報官、海上幕僚監部指揮通信情報部長、海上自衛隊第2術科学校長、統合幕僚学校長、海上自衛隊呉地方総監を経て、2016年より現職。