買い物や電車や車での移動の際など、最近では現金ではなく、クレジットカードやスマートフォン決済などで済ませてしまう人も多いだろう。さまざまなサービスが台頭する今、「給与の支払いも電子マネーで」という話が持ち上がっている。
 
まだあまりピンと来ないかもしれないが、すでに2018年12月に開かれた政府の国家戦略特区諮問会議で、現行法では認められていない電子マネーによる給与支払いを解禁する方針が決められている。
 
この方針が実現すると、企業はプリペイドカードやスマートフォンの決済アプリなどを利用して給与の支払いができるようになる。銀行口座の開設が難しい外国人労働者の受け入れ基盤になることも期待されているが、実際に導入されるとなると解決しなければいけない課題もたくさんあるようだ。
 
今回は「電子マネーによる給与支払い」が解禁されたら、どんな課題があるのか、様々な視点から専門家に話を聞いた。

限度額の上限はどうなるのか? 

東洋大学教授・川野祐司氏
東洋大学教授・川野祐司氏
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まず、日本キャッシュレス化協会で代表理事を務める、東洋大学教授の川野祐司氏は2つの問題点を挙げた。

「給与の電子マネー化が認められれば、さまざまな企業が参入することになるでしょう。なぜなら製造にコストがかからないから。ところが、大きな問題もあります。まず価値の担保が難しい。現状では、どんな企業でも電子マネーを発行できる状況にあるので、信用度の高いものから低いものまで種種雑多に生まれる可能性があるわけです。それが給与でも起こってしまうと、大問題になるのは予想がつくはず。
 
次に電子マネーで受け取れる金額の問題。現状、交通系IC系カードのチャージ金額は数万円程度に上限が定められていますが、これはアンチマネーロンダリングのためです。誰でも無記名でカードを作成できるので、犯罪に使われるリスクがあるわけです。とはいえ、給与の支払いに電子マネーを使うのならば、数万円程度の上限では無理があるのは明白でしょう」
 
例えば、給与を受け取っている電子マネーの業者が倒産した場合、その電子マネー残高が無価値となってしまうことがあり得る。また、給与を無記名の電子マネーカードで受け取っていた場合、盗難にあった際の保証の手立てがない。
 
こうした諸問題をクリアするためには、国が電子マネーの信用を担保したり、電子マネーの流れを把握できるようにトークン化するなどの整備が必要だという。

給与の電子マネー支払い…参入のハードル

法律事務所ZeLo・南知果弁護士
法律事務所ZeLo・南知果弁護士

次に法律面ではどのような課題があるのだろうか。これまで給与は、法律によって現金での直接支払いや銀行口座への振り込みなどの手段に限られていた。それを電子マネーで支払うためには改正などが必要なのか。キャッシュレス問題に詳しい法律事務所ZeLoの南知果弁護士に聞いた。

「電子マネーによる給与支払いを実現するためには、賃金の支払方法について定められた労働基準法施行規則第7条の2第1項に例外規定を付け加える改正を行うことが考えられます。その中で一番の懸念となっているのは、安全性の担保です」
 
安全性の担保、つまり私達の生活の基本となる給与がきちんと支払われるようにしなければいけない。そして、いつでも使用できて、いつでも現金と交換できるようなものでないといけないのだ。
 
そのため、給与の電子マネー支払いを扱うことができる業者は、銀行免許を取得せずに送金サービスを実施できる資金移動業者として認めてもらう必要があるが、検討されている条件は非常に厳しい。資本金や自己資本比率が一定以上の水準に達していることが求められる。それだけでなく、資産保全の状況および財産的基礎を担当省庁に報告しなければならない。
 
つまり、大きな資本力がある企業でないかぎり、この条件をクリアするのは現状では難しく、参入のハードルは高い。

企業側・受け取る側のメリットは? 

それでは給与を支払う企業側と受け取る側にとってはどうなのだろうか。自社事業で電子マネーを手がけている場合は別だが、給与を支払う企業側にあまりメリットがないことも課題だ。メリットよりも場合によっては負担が大きくなる可能性だってある。
 
「電子マネー化を喜ぶ人がいる一方で、これまで通り現金を口座に振り込む形での対応を希望する人もいるはず。そうすると複数のオペレーションが発生することになるので、企業にとっては手間が増えてしまう」
 
そう話すのは、プリペイドカード「バンドルカード」を運営する株式会社カンムの代表取締役社長の八巻渉氏。キャッシュレス問題に強い関心を抱く八巻氏が注目しているのは、むしろ銀行だという。

株式会社カンム・八巻渉代表取締役社長
株式会社カンム・八巻渉代表取締役社長

「今後、地方銀行を中心とした大規模な再編が予想されます。スタートアップ企業からではなく、銀行側からイノベーションが起きたらさまざまな可能性が拓く気がします。イギリスや中国ではすでに、銀行と新規参入企業が協力してイノベーションを起こそうとしています。また、アメリカでは銀行連合軍の送金アプリが普及しはじめました。そういう動きが日本でも起きれば。

例えば、全銀ネット(全国銀行資金決済ネットワーク)が運営する『全銀システム』は銀行の中枢の仕組みですが、これがプラットフォーム化され、さまざまな企業が利用できるようになれば、口座振替の代替がユーザー視点でできるようになると思います。いろいろなものがシームレスに繋がるようになるし、それこそ金融のサブスクリプションのように大きな可能性を持つのではないでしょうか」
 
資金力のない企業にとって参入障壁の高い分野だけに、銀行主導のサービスの登場を八巻氏は期待しているという。
 
一方、受け取る側としては、先述したように、給与を受け取る電子マネーの業者が倒産した場合に、その電子マネーの残高が無価値になってしまう可能性や、無記名の電子マネーカードで受け取っていた場合、盗難などに遭った際の補償の手立てがないことがデメリットとなる。
 
またメリットとしては、銀行口座を開設する必要がなくなったり、金融がシームレスにつながったり、さらには、さまざまなデジタル情報とつながりながらお金を使うことができるようになることが挙げられる。

実現するためにやらなければいけないこと

給与の前払いを実現するサービス「Payme」を提供している株式会社ペイミーの代表取締役社長・後藤道輝氏は、給与の電子マネー化が実現したときの可能性について次のように話す。
 
「現在は企業からの給与の一部を前払い金として銀行口座に振り込む形で対応していますが、電子マネー化が実現すればPaymeのWebサイトやアプリからダイレクトに買い物ができるようになったり、それによってポイントを付与したりといったことも不可能ではありません。多様なサービスへとつなげることができると考えています」

電子マネー化によって購買などの行動がデータで視認できるようになれば、さまざまな新しいビジネスが生まれる可能性を秘めている。例えば、プリペイドカードやアプリでお金を一元管理し、それを購買データに紐づいた信用スコアの測定などに活用できるし、健康状態や生活状況の推測も実現できるようになる。

「すでに北欧ではキャッシュレス化が進んでおり、銀行口座と紐づく形で支払いや個人間送金、資産管理などができるようになっています。日本でも民官が一緒になって共通のルールをつくるなどしていかないと実現までのハードルは想像以上に高いでしょう」
 
冒頭に登場した川野教授がこう語るように、キャッシュレス化が一気に加速しているものの、給与の電子マネー化の日本での実現のためには、クリアしていかなければならない課題がまだまだありそうだ。

取材・文=村上広大(EditReal)

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プライムオンライン編集部
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