スコセッシが語る表現者としての姿勢 「僕の作品は、原作者の想いを、きちんと表現できているだろうか」

公開まであとわずかとなっている映画『沈黙 -サイレンス-』。世界文化賞受賞者であるマーティン・スコセッシ監督が語った。

田代尚子
カテゴリ:ワールド

  • 長崎を訪ね17世紀の“隠れキリシタン”の信念、犠牲、力強さを実感
  • 伊移民の子としてニューヨークに生まれ、「愛」と「暴力」が混在した幼少期
  • ボブ・ディランのノーベル平和賞受賞から考える「言葉」への敬意

原作者への敬意。舞台・長崎を訪ねて

マーティン・スコセッシ監督作品『沈黙 -サイレンス-』(日本公開は2017年1月21日)は、四半世紀以上に渡り監督が映画化への熱い想いを積み重ねてきた作品だ。

映画化へのインスピレーションを得る為に度々訪れた長崎では、五島列島や外海町へも足をのばし、沢山の人と出会い、言葉を重ねた。彼らはポルトガル語やラテン語、日本語を交えて話し、それはまるで17世紀の“隠れキリシタン”に出会っているような時間だったと監督は振り返る。

静かで簡潔なミーティングの中に、彼らの力強さ、犠牲、信念を強く印象付けられたのだと。日本語で書かれた『沈黙』の原作が持つ意味を可能な限り理解したいのだという原作者への並々ならぬ敬意が強く伝わってくる。

「愛」と「暴力」の混在の中で苦しみ続けた幼少期

イタリア系移民としてニューヨークに暮らした時代。社会情勢の悪化から犯罪階級が誕生し、移民たちは自分たちの世界にこもりがちになった。加えて、ひどい喘息に悩まされていた幼少期の監督は、スポーツも禁止、走るのも禁止、笑うのも禁じられた。

そんな中、映画館と教会だけが監督の逃げ場となっていった。教会の中で聞く「愛」「善」「救済」という言葉と、現実世界に見る「暴力」「死」という言葉のギャップに苦しみ続けたのだという。何故、人間にはその両方が混在するのかと。その歴史と哲学が、彼の代表作の多くに巧みに表現されている。当時出会った若い神父は、監督に音楽と教育と本の素晴らしさを教えてくれ、後の彼の人生の指針となったのだという。

創造とは、心の声を伝えること


そんな監督がボブ・ディランのノーベル平和賞受賞について語った。

「とても驚いたが、同時にすごく嬉しかった。僕はボブをミュージシャンだと思ったことはない。彼の仕事はまさに“詩”だ。楽器がなくても言葉そのものが音楽なんだよ。

日本の“俳句”だってそうさ。大事なのは「愛」だよ。ボブの詩からは、「人間」を感じることができるんだ。

VRや3Dなど現代には様々なテクノロジーが発達して、いろいろな表現方法があるけれども大切なのは、一人の個人として、どんな声を人に伝えたいかなんだよ。その声はどんな声で、その声を伝えるまでは眠れない、生きることさえできない、それほどの熱い想いをもっていなければ、自分の思いを表現することなんてできないさ」

監督は、今回の来日で、原作者・遠藤周作の子息との会話を心待ちにしていたという。尋ねたのは一つ。

「僕の作品は、原作者の想いを、きちんと表現できているだろうか。君の感想を聞きたいんだ」

原作者へ最大限の敬意を払う“表現者”としての彼の姿勢に、私自身、熱い想いがこみ上げてきた。そして、日本好きの監督は、家族へのお土産として着物を大人買いして帰国の途についた。



映画『沈黙 ーサイレントー』

原作:遠藤周作「沈黙」(新潮文庫)
監督:マーティン・スコセッシ
公式サイト:http://chinmoku.jp/