日銀の異次元緩和“敗北宣言”? “アベノミクスも検証”のすすめ

経済学と経済政策は政治学、歴史、社会学など複合分析で解の追求を

カテゴリ:ビジネス

  • 世界的な格差の問題を増幅させているのは「過剰流動性」
  • 日銀の「異次元金融緩和」の敗北宣言も、グローバル化の中でのこと
  • 従来の経済学が通用しない状態で、日本はどうアプローチすべきなのか

グローバル化は政治・経済・社会のすべてを根本的に変える総合的なプロセスであり、その分析には経済学だけでなく政治学、社会学、文学など学際的なアプローチが不可欠である

引用元:「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」(水野和夫/日本経済新聞出版社/2007年)




近代は国民に均質であることを要求したが、グローバル経済の時代には国家単位の均質性は消滅する運命にある。日本に即して言えば「一億総中流意識」の崩壊であり、格差拡大の時代の到来である。格差は構造的問題となり、景気回復では解決できない。だから政策で成長を目指せば目指すほど時代の流れから取り残される人が増え、人々の将来への不安が高まる。その結果将来に備えることよりも毎日の生活の充実を優先する刹那主義が蔓延し…

引用元:同上

米大統領選、株価への影響は?

引用したのは、現在、法政大学教授で、上記著作を上梓した2007年当時は証券会社のエコノミストだった水野和夫氏の本からの一文である。

水野氏は、昨年2015年に話題になったトマ・ピケティの「21世紀の資本」(みすず書房)よりもかなり前の2007年、さらに2008年9月のリーマンショックの1年以上前に現在の世界の経済状況と本質を事実上指摘していた。慧眼である。(「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」は2007年上半期のベスト経済学書に選ばれている)

本稿を書いているのは日本時間11月7日なので、米大統領選の結果判明の前であるが、今年2016年は政治イベントがマーケットを常に揺らしてきたことが顕著だった。

6月のイギリスの国民投票でのEU離脱の決定の際は、東京株式市場は短時間に一気に1000円以上値下がりし、「ブレグジット・ショック」が起きた。

マーケットの専門家たちは11月8日(日本時間は11月9日・水曜日の日中)にアメリカでトランプ氏が当選(大勢判明)した場合、世界の先進国の中で規模の大きな株式市場でリアルタイムで取引されている東京株式市場が、世界のマーケットの“最初のリトマス試験紙”になり、また、1000円前後の大荒れの可能性がある、と異口同音に指摘している。

イギリスのブレグジットの流れに至った根底には、主に東欧諸国などからの移民労働の増加でイギリスプロパーの労働者の賃金が逓減傾向にあることなどの不満が表出した、という政治的な分析がある。

また、過去1年以上世界のメディアを沸かせている“トランプ大統領候補”の数々の保護主義的な言動や、ヒスパニック系労働者への言及などが、アメリカ国内の富裕でない白人層の熱狂的な支持を集めている、という政治的な分析もある。

日銀の“敗北宣言”、その原因はそもそも…


衣食足りて礼節を知る、という観点では、この政治的な“不満のうねり”という現象も根底には、21世紀に入ってさらに急速に進んだ経済のグローバル化があることは論を俟たない。現象的には格差の問題であるが、それを増幅させているのは、世界的な過剰流動性だ。

金融市場では、主に先進国の金融緩和によってボラティリティ(価格の変動性)が肥大し、2008年のリーマンショック以降は米国の中央銀行のドルの資産規模が3倍以上、日本の日銀も円資産の規模は3倍以上となっていて、世界の過剰流動性は当面下がることはない。

新興国に流れた主にドル資金の流動性がアメリカの利上げで急速に引き上げられたことによって2016年前半の新興国経済が鈍化したことも、原理的には金融市場とそこから派生した問題とみることができる。

つまり、水野が10年近く前から指摘しているように、“尻尾(金融市場)が犬(実体経済)を振り回している”状態が常態化した中、流動性(おカネ)はあるときは新興国に、ある時は石油、エネルギーなどコモディテイに、食糧に、と、“利回り”を求めて、幽霊のように世界中を徘徊し、神出鬼没のごとく利ザヤを抜いた後は、また徘徊しながらどこかで何かをターゲットにしてまた姿を現す。



こうした状況の中、11月初め、日銀は、2013年4月4日に宣言した「2年2倍2%」(2年間で金融市場での円の量を2倍にし、2年間で消費者物価指数<インフレ率>を2%にする金融政策)という異次元の金融緩和による物価上昇率2%の達成時期の見通しを2018年度頃まで延期した。これまでに5回の達成時期の延期がなされ、特に、今回は2018年4月の黒田総裁の日銀総裁任期中の達成を断念したことを正式に発表したので、事実上「異次元金融緩和」の“敗北宣言”と受け取られている。

実際、「2年2%」は本来なら2015年4月に達成できていなかったので、この時点で“勝負はついていた”とみることもできる。

物価上昇率2%の達成が遅れていることの理由について、日銀は9月に原油価格の下落や新興国経済の減速、消費増税の影響などを挙げているが、そもそも、日本の金融当局の政策と政府の経済政策だけで、将来を自由にできるという発想が2013年以降、間違っていた可能性が高い。

グローバル化に取り込まれている経済は、価格もグローバルなコスト競争に巻き込まれるのであり、極端な人手不足等の供給制約などの場合を除き、上方硬直的であり、デフレ圧力も強まる。ことほど左様に一国の経済政策、金融政策では、グローバル経済の複雑な様相の中、すべてをコントロールして予定通りの目標を達成することは、変数が次々に出現する“複雑方程式”を日々考えながら対応するしかない。

従来の経済学が通用しない日本人の消費

また、21世紀のグローバル化の中では、20世紀の冷戦下や世界経済全体が拡大する趨勢が大きな所与の環境となっていた時代に学説として想定された、貨幣の量をコントロールすれば景気をコントロールできるというマネタリズム的な方法論はもう通用しないという21世紀の先進国の経済・金融政策の“実験”の途中経過の一つの例を今回、日銀が図らずも示した形にもなっている。

日銀は世界の中央銀行の中で唯一株式なども買っている珍しい政策をとっている(国内で発行されるETF<上場投資信託>の半分ほどを日銀が購入、2017年には多くの上場企業の筆頭株主や上位株主が事実上日銀になる可能性が指摘されている)。

日銀の金融緩和の規模も突出しており、大量の国債を購入しての資金投入量はGDP=国内総生産の8割に達している(欧米の中央銀行は2割ほど。日銀の国債保有残高は3割超、400兆円近く、毎月発行の国債の8割から9割を購入してきた)。

これだけの異様な規模の金融緩和、まさに異次元の金融緩和をしても、物価上昇(いわゆる緩やかのインフレを想定)が起きないのは、もう、経済学の学説の域を超えている可能性の方が強いのではないか。

物価が上がるには、コストが上昇する(コストプッシュインフレ)、またはディマンドプルインフレ(需要が増えていくことで物価が上がること、マイルドなディマンドプルインフレが望ましいとされている)の2つが主に考えられるが、日本の場合、GDPの約6割、300兆円の個人消費が少しずつでも増えていくことが必要だ(このことは景気上向きの好循環の必要条件であろう)。

しかし、多くの日本人は将来不安、老後不安のために預貯金を進めており、消費を劇的に増やす気配はない。若干賃金が上がれば消費が上向くのは確かであるが、一気に消費者物価を2%上げることにはつながりにくいことがこれまでの経済統計などではよくわかる。

最新の日本人の金融資産に関する調査では、金融資産の保有目的について「老後の生活資金」が70.5%(前年の調査より上昇)、「病気や不時の災害への備え」が63.7%となっていて、さらに、老後の生活については『心配である』(「非常に心配である」と「多少心配である」の合計)と回答した世帯は、83.4%と前年(80.6%)比で上昇した、という結果になっている。(金融広報中央委員会<事務局:日銀>、家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査] 平成28年調査結果、2016年11月4日発表)

日本人は、グローバル化の複雑な経済の将来不透明感を皮膚感覚的に通奏低音にしつつ、老後の備えを念頭に、消費より預金、貯蓄に励む、キリギリスよりはアリに近い人たちである。そのことを安倍政権は「人々に長い間に染みついたデフレマインド」というが、その気持ちを政府の政策や金融政策、一部の経済学の方法論では、変化させることが難しい、またはできないことを今回日銀が証明したともいえる。

また、「アベノミクスをさらにふかす」(安倍首相)という方向の中、21世紀型の付加価値産業分野のさらなるイノベーションは正鵠を得ているが、同時に、国民の持つ不安の中の、老後資金確保のための預貯蓄、老後の備え、将来不安が最も大きな理由の部分についても、グローバル化の影響と合わせ重層的に分析を加える必要がある。おそらく、将来不安、老後不安の払しょくができなければ、物価上昇率2%は永久に達成できず、良くて”永遠の0(ゼロ)“で終わるのではないか。

前代未聞の状態の日本が模索すべき道とは


日銀の黒田総裁は、11月1日の記者会見で、今の政策を続けて行けば今後物価は上昇する、と、従来の見解を繰り返した。中央銀行だけで経済状況を変えることはきっともう無理で、日本人の頭の中の8割が将来不安、老後不安を占めているのだから、その、社会保障の将来像の部分を何とかしないと、老後不安で人々は貯蓄、預金を増やすだけである。

それに、グローバル化の影響の変数にも適時対応しながら、世界でも例を見ないスピードで少子高齢化が進み、世界でも例を見ないGDPの200%以上という異常な規模の1000兆円以上の国の借金が膨らみ続ける日本こそ、より深く社会や人々の気持ち、若者の気持ち、老人の気持ち、日本人の文化的気質、生活様式、価値観なども合わせて、これまでの経済学とは違う方法論を模索しなければならないだろう。

経済学では、すでに行動経済学という分野が21世紀に入って確立されているように、もはや人間を“経済合理性ロボット”と数式でだけ見て計算することも限界が来ているのではないか。

まさに、政治学、社会学、文学なども合わさったアプローチが必要なことを今回の日銀の動きは示し、それは“アベノミクスの検証”を含み、政治家にも投げかけていることは明白だ。



何ごとによらず、深く掘り下げたことのない人間だけが、信念を持つ。「生誕の災厄」(E・M・シオラン、出口裕弘 訳/紀伊國屋書店/1976年)



これは、ルーマニア人で、フランスで主に活躍した、ある思想家のアフォリズムの一つである。誰ということなく、この言葉について、政治、経済政策の立案者、指導者は、そして先進国で例を見ない特別な状況の国、日本にいるに私たちもよく考え、“これだけやれば未来はバラ色だ”のような喧伝文句を疑いつつ、経済政策、金融政策の解を見つける必要が出てきているのだと考える。


(執筆: 大山泰)