【女川原発を現地視察】夏を前に、いま改めて電力・エネルギーについて考える時だ

日本のエネルギー自給率はたった6%、世界的なエネルギー情勢はあらたな“不透明ゾーン”に。

カテゴリ:国内

  • 東北電力女川原子力発電所を現地視察した
  • 女川原発で見たのは、”飽くなき安全追求の哲学”
  • 改めてエネルギー、電力について政治家、国民全体で熟考を

エネルギー自給率6%の日本で


毎年ゴールデンウィークを過ぎると30度近い日が時々来るので、冷房を入れるケースが増えてくる。夏の暑さが厳しければ冷房、冬の寒さが厳しければ暖房、何も考えることなく電気はいつでもどこでもスイッチを入れれば安定的に豊富にあり、便利なので、何も考えることなく使いたいだけ電気を使っていた、電気の不足をみじんも想像することのない生活。

6年前の3月11日の午後までは多くの日本人が感じていたこと、日本の風景、というか、無意識の空気、いや、エネルギーということそのものを考えたことがない生活が続いていた。

東京電力福島第一原発の事故から6年を過ぎ、また夏が来るが、今、日本のエネルギーや電力供給を改めてじっくり考える“空気”、”雰囲気“は再び薄まってきているかもしれない。もっとも、東日本大震災と原発事故後は、節電の意識が国民生活、産業界とも以前より高まっているのも事実だろう。




4月20日財務省が発表した2016年度の貿易統計速報は、貿易収支が2010年度以来6年ぶりに黒字となった。6年間続いた貿易赤字の大きな要因は2011年3月の大震災後に原子力発電所が停止し火力用の燃料の輸入が増加してきていたことだが、2016年度は一部原発の再稼働、さらに2015年度為替レートは120円台の円安だったが2016年度は108円台で、前年度より10%の円高だったことも手伝って、化石燃料の輸入代金の円ベースでのかさが小さくなったこともある。ただ、化石燃料の輸入量が2016年度に劇的に減少したということはないだろう。(2016年度の化石燃料の輸入額でなく輸入量の確定統計がまだない)

エネルギー自給率6%の日本は、円高であれば交易条件に恵まれるが、円安なら化石燃料輸入に伴ういわゆる国富移転(産油国等化石燃料輸出国への支払い)のかさが増える。

いずれにせよエネルギー代は海外に支払う。為替レートが流動的であるという要素に加え、日米欧の中央銀行による過剰流動性の金融政策にも起因する化石燃料の投機的商品化による実需とは別要因による価格変動、さらに米国トランプ政権成立以降、特に世界各国で散見される保護主義的傾向や地球温暖化への政策対応の変化、さらには、中東での緊張などに伴う地政学的リスクなど、エネルギー、電力を取り巻く世界的な環境や情勢は、また新たな”不確定要素と混迷“のフェーズに入った感が強い。

過去も現在も、電気を安定供給する日本の電力会社

資源が豊富にある国ならともかく、エネルギー自給率6%の日本で、安定的で高品質で、かつ大量の電力供給が担保されることは、今後の経済発展、いや現時点の経済規模や活動の維持にも不可欠であることは論をまたないし、実は、このことに常に思いを致すことが必要だ。

先日、自らの事業のための自前の発電施設を持つ事業会社の幹部からこういう話を聞いた。

「自分のところで発電した電気を一部で事業に使うんだが、電力の品質が良くない。精密機器などへの負荷がほとんどない極めて安定的な品質の電気は電力会社から買うのは当然だ。世界各地の拠点を比べても、日本の電力会社の高品質で安定的な電力供給は世界でも稀なくらいすごいことだ」


この小文は、特に日本の電力会社におべんちゃらやお世辞を送るものではないが、実際のビジネスの当事者からのこの発言はとても重いものがあり、冒頭に書いた「電気はいつでもどこでもスイッチを入れれば安定的に豊富にあり、便利なので、何も考えることなく使いたいだけ電気を使っていた、電気の不足をみじんも想像することのない生活」をいかに日本の電力会社が、地味に地道に、縁の下の力持ちとして、過去も現在も提供しているか改めて思う。

インフラ会社、特に電力会社は、“普通に電力を供給していてもほとんどの国民がふだん一つも褒めてくれない”のに、少しでも料金に変化があったり(料金が燃料価格国際市況や制度的な要因などで上がる法的仕組みがあることへの国民の理解不足の面もある)、電力供給に不調をきたしたら、突然“この世の極悪人”のごとく言われてしまう存在である。(利用者(消費者)の反応としては鉄道会社なども似ているかもしれない、また景気が良ければ“儲けすぎ”と批判され景気が悪い時には”貸し渋り“と批判を受けやすい、広く社会のインフラ業界である銀行など金融業界も多少似たようなところがあるかもしれない、インフラ系企業の宿命という面もある)

福島第一原発の事故は、どうしても、“世界的にも稀な高品質で安定的で、大量の電力供給”に向け、いかに日本の電力会社が努力しているか、してきたか、という側面を吹っ飛ばしてしまった、とても残念で不幸なことでもあった。

女川原発の「飽くなき安全追求の哲学」

多くの国民はもう忘れてしまったかもしれないが、6年前の2011年3月11日、東日本大震災の震源から最も近い場所にある原子力発電所が、地震発生後、半日で運転中の原子炉を冷温停止し(原子炉を安全に停止し、安定的に冷却し安全な状態に保つこと)、多くの震災被災者を原発敷地内で“安全な避難所“として受け入れた。

宮城県の女川町と石巻市にまたがる、東北電力の女川原子力発電所である。

 

先月、女川原発を視察した。

地震による巨大津波を跳ね返した女川原発は、東北電力の先人たちが、昭和40年代の計画、設計時点で、想定される津波よりも高い14.8メートルの高さで敷地を設定していた。(東北地方の太平洋側で過去、鎌倉時代や江戸時代にあった津波についての調査などを踏まえた議論を経ての決定だった)

東日本大震災時に女川原発に実際に押し寄せた津波の高さは約13メートル、この40年以上前の計画時の「備え」が、敷地高さ約10メートルで津波に飲み込まれて安全へのすべての方策を奪われた東京電力福島第一原発1号機から4号機の悲劇との明暗を決定的に分けたものだ。

女川原発には、その後、IAEA(国際原子力機関)の専門家らが調査に訪れ、震災後に大きな損傷がないことに驚き、報告書は世界の原発の安全のためのデータとして共有されているという。

私が女川原発を訪れた時、世界最高水準の安全レベルを目指した規制基準(原子力規制委員会)への適合を念頭に(それ以上に東北電力が自ら進んで安全対策をとるという、“安全対策にやりすぎはない”、“徹底的に安全を追求したい”という“哲学”に基ついているものだろう)、さらなる安全対策として、防潮堤のかさ上げ・増強工事が進んでいた。かさ上げ後の防潮堤の海抜は29メートル、今後の備えとしての想定津波の高さを13.6メートルから23.1メートルに変更しての対策である。

防潮堤かさ上げ工事が進む女川原発、2017年4月末

このほかの詳細は残念ながら文章量の都合で省くが、女川原発では他にも、耐震対策や緊急時の電源等の確保などの安全対策増強が次々に進められていた。

今こそ日本のエネルギーを熟考すべきとき

エネルギー自給率6%、地政学的リスクを含めたエネルギー情勢の世界的新フェーズ入り、不可逆的な世界的なエネルギー需要の増加、という趨勢の中での、日本という国の経済基盤の維持と国家の存立のためには、今後も持続可能性を担保しつつの安定的で高品質で大量の電力供給が必要、ということ。

今回、東北電力女川原発を視察しながら、このことは歴史的なDNAとして徹底した独自の“安全哲学”を持つ東北電力だけでなく、日本のすべての電力供給事業者が常に使命として背負い、自覚と覚悟をもっていることは間違いないと感じた。


原子力エネルギーに関しては、いまだ議論は様々のままである。一方、震災直後に、やや論理的でない“皮膚感覚的な通奏低音”として一部で出てきた、単眼的近視眼的「原発イコールすべて危険」議論、また、”坊主憎けりゃ袈裟まで憎い“的な、感情的で極めて薄っぺらい「電力会社がやることは何でも悪い」といった、お粗末で単細胞な議論は幾分減ったかもしれない。一方で、時に国民目線で〝やや違和感”を醸成させてしまう説明責任不十分の対応も、わずかだが電力会社側から出てしまうのは残念だ。

東日本大震災から6年余り、東北の震災復興はまだまだという状況、

女川町の復興の状況、2017年4月末

一方で、電気の心配、日本のエネルギーへの心配はもう薄れているかもしれないが、こういう時だからこそ、改めて、エネルギーと日本社会と経済、日本の将来について、落ち着いて熟考する時期に入ったように思う。

もちろん熟考するのは、政治家、国民(私のような報道関係者を含む)、経済界、電力会社、そして、かつて“原子力ムラ”という言葉で揶揄されるニュアンスも出てしまっていた電気事業者の原子力技術者・実務者を含め、全員で、ということだ。