『ザ・タイガース』メンバーが中国公演! “奇跡の70歳”「ピー」の胸の内

ザ・タイガースのドラマー瞳みのるさん(70)。グループ解散後、芸能界を完全引退し、中国文学を研究する傍ら教壇にも立った。2011年に芸能活動を再開。今秋、念願の中国公演を成功させた。伝説のグループ解散から中国ライブまで、その心のうちを聞いた。

カテゴリ:芸能スポーツ

  • 「ザ・タイガース」解散から40年……中国で初コンサート
  • 2時間ぶっ通しで熱演、奇跡の70歳……あの名曲も中国語で熱唱
  • 時代と空間を超えたコラボ……百川は大海に注ぐ

伝説のグループ解散と芸能界引退

ザ・タイガース――。
1960年代後半から70年代初め、グループサウンズ(GS)ブームの頂点を極めました。
メンバーは瞳さん(ピー)のほか、沢田研二さん(ジュリー)、岸部一徳さん(サリー)ら5人。
67年2月、『僕のマリー』でデビュー、『モナリザの微笑』『君だけに愛を』などの数々のヒット曲を放ちました。

ザ・タイガースは京都出身の同級生グループでした。

「最初は、みんな心は一つだった」

瞳さんはこう振り返ります。
デビュー後は人気が沸騰し、活動も急増。
忙しくなるにつれ、メンバーの心にすれ違いが目立つようになりました。
大人の事情に振り回され、自分たちのサウンドが出せなくなる。
メンバーの目指す方向性も少しずつ、ずれて行く。

「これ以上は無理だ」

71年1月、日本武道館でのコンサートを最後に解散しました。
裏切られた――瞳さんの心に深い傷が残りました。
芸能界との決別を込め、別れ際、メンバーにこう言い残したそうです。

「10年後に会おう。君たちは乞食になっているだろう」
(自伝「ロング・グッバイのあとで」より)

広がる中国との接点

2011年に40年ぶりに芸能活動を再開した瞳さん。
2年後のタイガース復活ライブは10万人を動員しました。
いつしか、こんな願いを抱くようになりました。

≪中国でライブをやりたい≫

本当に実現するのか、確信が持てないまま一年前から準備に着手。

しかし、中国当局とのやり取りは苦難の連続でした。
「演奏する曲はすべて申請せよ」
「英語や日本語の曲は翻訳し、許可を受けよ」
「決められた曲以外は演奏するな」

規制だらけでした。役所仕事のため、時間もかかる。

「日本のテンポで構えると、カリカリしちゃう」
強い忍耐力が要求されたといいます。

日中、時空を超えたコラボ

今年10月29日、北京のライブハウス「星光現場」。
会場は日中双方のファンで埋め尽くされました。
♪更け行く秋の夜、旅の空の~
日本の唱歌『旅愁』。中国では『送別』の曲名で広く愛唱されています。

「『送別』、知っていますか?」

瞳さんが中国語でこう呼び掛けると、中国語の大合唱が……。
会場で日本人と中国人が一つの歌を共有した瞬間でした。

♪時の過ぎ行くままに~
沢田研二さんのこの曲も、二つの言葉で歌われました。 

さらに、こんな曲も――。
メロディーは滝廉太郎『荒城の月』。
歌詞は白楽天(唐代の詩人)と瞳さんの詩。
明治の日本、1000年前の中国、そして現代。
時空を超えたコラボレーションの実現でした。

 一つの曲を日本語と中国語に翻訳する。
二つの言葉でお客さんとやり取りする。

「他のタレントにはできない。唯一、僕だけかな、と」

瞳さんならではのステージが繰り広げられました。

タイガース結成・解散、中国文学との出会い。
長い空白の後の音楽活動再開。そして中国での初コンサート。
バラバラに思えたことが一つにつながり、自分の生き方と重なっていきます。

「百川は大海に注ぐ……やっていて良かった、本当にそう思いますね」