日本新記録、世界新記録…日本スポーツ界が誇る大記録の数々。
 
5月19日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、さまざまな記録を持っている大畑大介さん、具志堅用高さん、小林陵侑選手、斎藤雅樹さん、長嶋一茂さん、西田有志選手、吉田沙保里さんが登場し、大記録の裏側について明かした。

 
 
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覚醒の瞬間は「ダニエルのマネ」

2018年~2019年シーズンで13勝をあげ、スキージャンプ・ワールドカップ総合優勝を果たした、スキージャンプの小林陵侑選手。
 
それまでは表彰台の経験すらなく6位が最高だった小林選手。だが、2018年11月の開幕戦で3位に入賞したことで自身初の表彰台に登り、2戦目では念願の初優勝を飾った。
 
その勢いはとどまることを知らず、ヨーロッパ伝統の「ジャンプ週間」で史上3人目のグランドスラムを成し遂げるなど、世界記録に並ぶ6連勝の快挙を達成。その後も勝利を積み重ねた小林選手は葛西紀明選手が持つ、日本男子シーズン最多勝利6勝や船木和喜さんの表彰台最多記録15回を大幅に更新した。
 
最終戦では、日本記録となる252メートルの大ジャンプでシーズンを締めくくるとともに、日本男子として史上初のワールドカップ総合優勝を達成し、まさに“突然の覚醒”ともいえる大活躍を見せた。

 
 

そんな小林選手の覚醒の瞬間は「ダニエルのマネ」。
 
2018年7月のシーズンオフの時に小林選手は、スキーフライング世界選手権の覇者で助走フォームに定評があるダニエル・アンドレ・タンデ選手のジャンプを徹底的に研究した。
 
そこで小林選手がマネをしたのが、ダニエル選手の低いアプローチの姿勢。

姿勢の低さが飛び出しの時の爆発的な力になると考え、「一番重点的に見ていたのはスタートしてから。滑っていくうちにGがかかっていくんですけど、しっかりポジションをキープしたまま低い状態でいられるか。今シーズンの“飛躍の鍵”になったと思います」と話した。
 
シーズンを振り返った小林選手は、「『ジャンプ週間』で、1勝でもできたらすごい嬉しいと思っていたので、まさか4勝もできるなんて」と喜びを明かした。幼い頃から「ジャンプ週間」で勝つことが夢だったという小林選手は、ここで4戦全勝し、ワールドカップ総合優勝へとつなげたのだ。
 
そこで番組では同じチームで小林選手が師として慕う、葛西選手に日本人のシーズン最多優勝の座を抜かれてしまった胸の内について聞くと、「抜かれた瞬間は『おめでとう』という気持ちを外には出してましたけど、内側は『ちくしょう』と思っていました。ただ、僕が出場してきた566試合という記録は絶対に抜かされないでしょう。あとオリンピック8大会連続出場、これも絶対に抜かれませんね。それだけは抜かれてたまるか、という感じはありますね」と少しだけ悔しさを見せた。
 
それを聞いた小林選手は「ちょっと566試合というのは厳しいですね」と話すも、MCの浜田雅功さんから「次のオリンピックはいけるでしょう?」と聞かれると「行きたいと思います!」と意気込んだ。

具志堅用高がアフロにしたワケ 

 
 

日本ボクシング界のレジェンド・具志堅用高さん。
 
1976年に世界チャンピオンになると、そこから4年間13回連続防衛という日本記録を打ち立てた。この記録は、長谷川穂積さん、山中慎介さんら名チャンピオンでも破ることができなかった、日本ボクシング界の不滅の金字塔。
 
さらに、沖縄初の世界チャンピオンだけあって、地元で大フィーバーを巻き起こした。
 

 
 

ゲストの千原ジュニアさんは「当時は今と違い団体が2つしかありませんから、階級も少なかったので、今はチャンピオンが70人近くいますけど、当時はそこまでじゃないですから。そのチャンピオンのイスも少なくて、13回も座り続けた。本当にめちゃめちゃ強くて、『全く負ける気がしないんです』って本人も言ってましたけどパンチが見えまくるんですって」と、具志堅さんの強さをアピール。
 
そんな具志堅さんは、「ディスコに通っていたんですけど、そこでアフロの外国人が強そうに見えたから、翌日からマネをしたんです。自分は目立たないし、弱かったから強く見せたかった。それでアフロにしたら、世界チャンピオンになった」と自身の“強さの秘密”を明かした。
 
さらに具志堅さんの偉大さについて、17戦17勝、3階級王者の井上尚弥選手は「日本ボクシング界のレジェンドです。僕は今のバラエティーに出ている具志堅さんではなくて、ボクシングに携わっている具志堅さんのイメージなので、いまだに会っても緊張します」と告白。
 
WBSSバンタム級準決勝で、IBF王者のエマヌエル・ロドリゲス選手との試合を控えている井上選手は、「勝利した暁には、いつものよろしくお願いします!」と、勝利後の“お肉”も浜田さんにちゃっかりアピールした。

206連勝ストップで感じた縁 

 
 

圧倒的な強さから“霊長類最強女子”と呼ばれたレスリング・吉田沙保里さん。
 
オリンピック3連覇、世界大会16連覇、個人戦において206連勝など、数々の輝かしい記録を打ち立て、国民栄誉賞も受賞した。

206連勝の始まりは2001年。当時の吉田さんにはどうしても勝てない相手がいた。
 
同じ階級で常に背中を追い続けてきた当時の世界女王の山本聖子さん。2001年の全日本選手権も接戦まで持ち込んだが、勝つことができなかった。
 
そんな吉田さんが覚醒した瞬間は、大学1年生のころ。レスリング部の寮で生活していた吉田さんは、寮の食事を毎日残してしまっていた。その理由は「お菓子」。一人実家を離れて生活していた吉田さんにとって、お菓子を食べることが密かな楽しみだったのだ。
 
監督やコーチの目を盗んで大好きなお菓子を毎日、お腹いっぱい食べていたため、食事をしっかりとることができず、「風邪をすぐ引いて、厳しい練習をすれば扁桃腺が腫れて、熱を出してました。最終的には体力がなくて、逆転負けをしたり、貧血になったりしていました」と振り返る吉田さん。
 
体力不足が原因となり、全日本選手権では山本さんに破れて優勝を逃した直後、誰かのタレコミによって、吉田さんの密かな楽しみが奪われることになる。
 
吉田さんは、「私を入れて7人、同級生がいたんですけど、『沙保里ちゃんはお菓子ばっかり食べている』って監督にチクって。そこから監督にお菓子を没収されて、“お菓子禁止令”が出されました」と明かした。
 
すべて没収されたことでお菓子を食べなくなった吉田さんは、毎日の食事を残さずに食べるようになり、体調も良くなり、体も引き締まったことで覚醒。その後の大会で、山本さんを倒し、オリンピックに出場し、そのまま前人未踏の206連勝の偉業を達成することになった。
 
さらに番組では、スタッフが吉田さんの実家を訪れ、何個のメダルがあるのかを調査。
 
メダルがある場所を吉田さんの母・幸代さんに案内してもらうと、自宅に併設された道場の壁にたくさんのメダルが飾られていた。そこには吉田さんのメダル以外にも、お兄さんのメダルやお母さんのメダルまで。スタッフは吉田さんのものだけを選別するのは難しいと判断し、吉田家全体でメダルがいくつあるのか調べてみることに。
 
その結果、吉田家にあるメダルの数は279個。全日本選手権や国際大会の貴重なメダル以外にも、「ジャンクSPORTS」出演時にもらった金メダルや、浜口京子さんの思いが込められたメダルも。それは、2014年に東京で開かれたワールドカップの4日前に亡くなった父・栄勝さんへ、浜口京子さんがその大会で勝ち取った金メダルを感謝の気持ちを込めて届けてくれたメダルだという。

 
 

「その他にも、オリンピック3連覇の金・銀メダルと世界選手権も入っていないと思うので。17個プラスしてもらいたいです!」と話し、吉田さんはスタジオでそのメダルを披露。小林選手やバレーボールの・西田有志選手らスタジオにいるアスリートたちは、「ほしいですね!」と輝くメダルを食い入るように見ていた。
 
そんな吉田さんは2016年、リオオリンピック決勝で敗れ、連勝記録が206で止まってしまう。この敗戦の裏側について「206連勝の始まりが、山本聖子さんに負けてから。そこから連勝がスタートするんですけど、連勝を止めた、リオのオリンピックの決勝で負けたヘレン選手は聖子ちゃんの教え子。その選手に負けて206連勝がストップしたので、ちょっと縁を感じます」と語った。

ラグビー界のレジェンドの“夢実現術”

 
 

持ち前の俊足と鋭いステップを武器にトライを量産した、日本ラグビー界のレジェンド・大畑大介さん。
 
彼が記録した日本代表通算69トライは、いまだ破られることのない世界記録となっている。
 
そんな大畑さんには、世界記録を達成した自己流の“夢実現術”があるという。それは、大口を叩いて自分にプレッシャーをかけ、目標を達成していくというもの。
 
中学卒業後、ラグビー強豪校・東海大仰星高校へ入学。しかし、中学時代に全くの無名だった大畑さんは、ラグビー部で唯一の一般入試組。それにも関わらず、入学初日には「高校日本代表」という目標を掲げ、上履きに大きく書いた。

「目標を書くことによって、とにかく自分はそこを目指すんだという動機付けですよね。間違いなく誰もあのときは達成できるとは思っていなかったんですよね」と、当時を振り返る。
 
だが、その2年後に宣言通り、「高校日本代表」に選出された大畑さん。その後、日本代表になっても、実現不可能と思われる大口を叩き続け、次々とその目標を達成していった。
 
それはトライ数、世界記録達成の時も。2006年2月、オーストラリアのスーパースター・デイヴィッド・キャンピージが持つ「64」という世界記録に近づいていることを知った大畑さんは「絶対に取らないと」というプレッシャーを自分にかけ、こう大口を叩いた。
 
「5月14日に世界記録を出します」
 
5月14日、母の日に花園での記録達成を宣言。3試合で8トライという状況に自らを追い込み、母親も試合に招待した。しかし、その後はトライが伸びず、5月14日に3トライ取らなければいけない状況に追い込まれた。
 
試合当日、2トライを積み重ねるも、最後の1つが取れないまま後半ロスタイムへ。誰もが記録更新は不可能と思い始めたそのとき、ラスト1プレーで世界記録を達成。母の日に、母親の前で記録達成という約束も守った。
 
当時を振り返った大畑さんは、「2006年6月はサッカーのワールドカップがあった。だから、それまでにと思ったときに、5月…5月14日、背番号は14番、大阪は地元。そして母の日。これで全部狙えると思ったんです。でも、思いのほか記録が伸びなかったので、やばいなと思ったんですけど、そこが大畑大介のすごいところで…」と自画自賛した。
 
輝かしい記録ばかりに目を奪われてしまうが、大記録の裏側にはアスリートそれぞれのエピソードが隠されていた。

 

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送