知られざる、「原発20キロ圏内」での暮らし。そこで奮起する人々の姿

特集「被災地、東北の今」第8回

カテゴリ:国内

  • 震災直後から、警戒区域で暮らす人がいた
  • 原発10キロ圏内に誕生した複合商業施設「さくらモールとみおか」
  • 2025年までに人口4100人を目指す

いまだ「危険」という認識が強い、福島第一原発の20キロ圏内。しかし、そこで暮らす人たちがいる。そして、進む復興。「原発20キロ圏内」の現状を取材した。

「帰らない」と答えた人が50%以上

「オレ、被ばくのチャンピオンだって」

震災から3年経った2014年3月に松村直登さんのもとを訪ねると、どこか誇らしげだった。場所は、原発事故で立ち入り禁止となっていた富岡町。

松村さんは、犬や猫、牛、ダチョウなど動物の保護をするため、原発から11キロほどの場所にある自宅に留まって、川の水を飲み、山菜を取って食べていたという。

松村直登さん

富岡町は、福島第一原発から20キロの距離に町全体がすっぽりと入るため、当時は全域が警戒区域に指定されていた。松村さんも警戒区域の外に出るよう再三指示されたが、すべて無視。一度だけ検査を受けるように言われ、それには従ったところ、「被ばくのチャンピオンだ」と告げられたのだという。

2011年 避難区域の状況:経済産業省作成の資料をもとに福島県が加工したもの

富岡町に留まって動物保護をしていることは広く知られるようになり、全国から送られてくる支援物資が生活の一番の頼りだった。

私が初めて松村さんの自宅を訪ねたのは2013年3月で、その時はろうそくの明かりで暮らしていた。2014年に取材に行ったときは、家には電気が通っていた。

「電気はいいぞぉ。お湯なんてポットであっという間に沸くから、インスタントラーメンがすぐに食べられる」

そんな風に笑っていたが、電気が通っても、周囲に住んでいる人は誰もいなかった。その時も、やはり食べ物は支援物資が中心。私たちが取材する時も、遠く離れたコンビニでパンやペットボトルを買い込むのが基本だった。

そんな富岡町だが、今年4月1日、町のかなりの部分で避難指示が解除される。放射線量が高い帰還困難区域を除く場所で、全町民の7割、およそ1万人が対象となる。

経済産業省より

しかし、住民アンケートでは「帰らない」と答えた人が50%以上にのぼるという。

それでも「3年以内に戻りたい」という人は16%いる。その理由として「オレがいないと富岡町はどうなる!」という使命感を持っている人も多いと富岡町産業振興課長の菅野利行さんは語る。

「人がいないので、企業も来たくない。店がいないと人が来ない。それでも、住民が帰れる場所にしたい」

富岡町産業振興・菅野利行課長

複合商業施設「さくらモールとみおか」

震災前、人口1万6000人の富岡町には、近隣の楢葉町や広野町などからも買い物客が訪れ、3~4万人の商圏になっていたという。しかし、現在はコンビニが2軒とガソリンスタンドが3軒、開いているのみ。

これでは住民は戻ってこられない。そのために富岡町が整備したのが、複合商業施設「さくらモールとみおか」だ。

原発からわずか10キロという距離で、敷地の広さは東京ドームの約半分。除染が進んでいて、放射線量は低い。去年11月25日には、ホームセンターの「ダイユーエイト」と地元飲食店3店が先行オープンした。

今年3月30日のグランドオープンには、スーパーマーケット「ヨークベニマル」や薬・健康食品の「ツルハドラッグ」などが入ることが決まっている。まさに生活の助けとなりそうな場所だ。

昼食時にこの場所を訪れてみたところ、駐車場にはかなりの数の車があった。そのほとんどが作業員。そのため、作業が休みとなる土日は客が激減するという。

「さくらモールとみおか」の中に、お弁当・お惣菜を扱う店がある。名前は「おふくろフード」。いわき市などで避難生活を送っている地元の“おふくろ”たち5~6人がローテーションで調理や販売をしていた。

社長の渡辺正義さんによると、先行オープンから3カ月ほどで、500円のお弁当が1日平均で45個ほど売れるようになったという。「やっとここまできた」とかみしめつつ、力なくこんな言葉も口をついた。

「黒字になることはないですよ」

渡辺正義さん

この渡辺さん、実は建設会社の社長だ。それが、全く縁もゆかりもなかった弁当販売の経営を始めた。それを後押ししたのは、“おふくろ”たちだったという。

富岡町は商業施設の計画をしたものの、当初、テナント探しにはかなり苦戦を強いられていた。テナント料を3年間無料にするなど良い条件も用意したが、やはり難しい。

「出してくれるテナントがない」という町のボヤキを聞いた渡辺さんが、「何かしなくちゃなんないな」と思ったのが最初のきっかけ。同じ話を聞いた“おふくろ”たちも、自分たちで何かができないかと考え、渡辺さんに店を出してくれとお願いしたのだという。ちなみに、“おふくろ”たちは全員、飲食店などの経験はなく、業務用の調理器具を使うのは初めてという素人だった。

それでも、店のオープンを決めた渡辺さん。「使命感ですか?」と聞いたところ、照れくさそうに答えた。

「そんなカッコいいもんじゃないけど、地元のおばちゃんたちが『やる!』と言っていた熱意に押された部分はあるかな」

それでは、「地元のおばちゃんたち」にも、同じことを聞いてみよう。そう思って厨房へ行ったら、明るく取材を断られた。

「もう~!突然、取材に来るんだもん。写真を撮られる準備してないから顔は写しちゃダメよ~!あ、でも、お店のことは宣伝しておいてね~!!」

とにかく明るい。「使命感ですか?」なんて野暮な質問は意味がないと思って、やめた。

富岡町の計画では、2025年には4100人まで人口を戻すつもりだ。内訳は2500人の住民帰還と、1600人の作業員の定着。もはや復旧・廃炉作業なしでは、町が成り立たない状況といえる。

しかし、逆にいえば、作業員はしばらく必ずそこにいるので、モノを食べたり買ったりする需要は生まれ続ける。その需要をテコにして、町を再建するのが、当面の最善策となりそうだ。

意外と知られていない、原発20キロ圏内での暮らし。そこには、復興のために奮起する人々の姿があった。