“警戒区域”のアトム寿司。ついに解体へ

東日本大震災7年。オーナーに話を聞いた

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  • 富岡町の「アトム寿司」は7年経っても時が止まったよう。
  • 富岡町は住民の帰還や周辺の再開発が進んでいる。
  • アトム寿司は再開の予定がなく、解体することに。

毎年、定点観測をしてきた

福島第一原発から10キロ圏内。原発事故直後には警戒区域に指定された富岡町に、一軒の寿司店がある。

名前はアトム寿司。原発で栄えていた当時を考えると、ピッタリのネーミングだ。

警戒区域として一般の方の入域が制限されていた頃から、キャスターの安藤優子さんとともに何度もこの場所を訪れている。

アトム寿司(福島・富岡町)

2011年3月のカレンダー。客が食べていた状態のままテーブルの上に載っている皿や箸、湯呑。どれも、震災があった、あの日のまま、時が止まっている。 

それがわかる場所として、毎年この場所を定点観測してきた。

7年の歳月による大きな変化

原発問題はなかなか収束する気配は見えないが、7年の歳月は、確実に大きな変化をもたらしている。

震災直後のニュースで何度も映像が流れた白い防護服に身を包んでいる人は誰もいない。倒壊した家屋はかなりが片づけられた。

富岡町の避難指示は一部を除いて解除され、住民の帰還も始まった。ガソリンスタンドやコンビニができた。銀行も診療所もクリーニングもできた。鉄道が復活し、東京から電車で来ることができるようになった。

銀行もできた
鉄道も再開

去年開業した大型のショッピングモールの中には、スーパーマーケットやフードコートも入り、住民や作業員たちでにぎわっている。

そんな大きな変化を遂げている富岡町だが、ショッピングモールの目の前にあるアトム寿司だけは、7年が経っても時が止まったままだった。

湯呑の位置は7年間変わっていない

この店を今後どうしていくつもりなのか、アトム寿司の関係者に想いを聞きたい。そう思って、周囲で聞き込みをすると、経営者のことを知っている人が見つかった。 

オーナーは佐藤成実さん、53歳。いまは避難先のいわき市で焼き鳥の店を開いているという。

佐藤さんに連絡をとってみると、快く話を聞かせてくれた。

すごさが記憶の中で失われるのがさびしい

佐藤さんはアトム寿司の二代目。自分も厨房に立ち、アルバイト6~7人とともに店を切り盛りしていたという。キャスターの安藤優子さんが震災後に何度か店を訪れていたことも、テレビで見て知っていた。

「安藤さんが店内の様子が変わっていないことを確認しているからというわけではないけど、周りがどんどん変わっていく中で、あの時のすごさが記憶の中で失われていくのが何だかさびしいと思って、何も触らないようにしていたんだ」

いわき市で新しい店を開いたため、富岡町でアトム寿司を再開するつもりもなく、掃除する必要もなかったのだという。

床にはモノが落ちたまま

「ただ、再開する予定もないのにそのままにしておくのも良くないと思って、もう壊すことにしたんだ。3月か4月に解体することになる」

すでに解体の依頼をしたということで、業者の都合がついたタイミングで壊されることになる。日程は業者が決めるが、いまの店の仕事が許せば、解体に立ち会いたいという。

「苦労して切り盛りした店だから、そりゃあさびしいですよ。でも、みんな前向いて歩いて行かなくちゃいけない。私も前を向いている。どんどん変わっていく中で、ウチだけそのままにしていても仕方ないですよね」

あの日から7年。またひとつ、復旧・復興に向けた変化が起きようとしている。