突然の豪雨…その時、聴覚障害者は…?
2018年7月、岡山県内に甚大な被害をもたらした西日本豪雨。
わかっているだけでも聴覚障害者の自宅など14棟が床上・床下浸水する被害を受けた。
岡山市東区。倉敷市真備町に次ぐ約750ヘクタールが浸水したこの地域では、聴覚障害者が営む理容店が被害を被った。
当時、避難していた2階の自宅から1階の理容室に降りると足下には水が残り洗濯機は傾いていた。
清潔感のあった店内は泥水につかり、愛用のハサミやカミソリは錆び付いていた。
豪雨被害の時の様子について理容店の夫婦はこう振り返る…
夫 坂口雅夫さん:
1時間足らずで腰のあたりまで水が来た…怖くてパニックになった…
聴覚に障害を持つ夫婦を襲ったのは浸水だけではなかった…
妻 坂口環さん:
困ったことは停電でテレビが見られず情報がなかった…Wi-Fiも使えず、パソコンもファックスも使えない…
情報がなかった…
自宅2階から消防を見つけるが、SOSをどう伝えるか不安に感じたこともあったという。
妻 坂口環さん:
健常者の息子がこれからどうしたらいいか聞いたら2階にいてくださいと、言われた。
息子がいなかったら話が通じていなかったと思う…
坂口さん夫婦は数百万円かけ店をリフォームし豪雨から25日後に理容店の営業を再開した。
しかし、その後も「り災証明」や「保険」の手続きなど手話が使えない担当者とのやり取りは難航しているという。
行政の対応は?
行政も徐々に対応を行っている。
岡山県総社市の福祉課の嘱託職員で手話通訳者でもある上西智子さん。
上西さんは、西日本豪雨発生時、市内の聴覚障害者にSNSを通じ情報発信を行った。
総社市福祉課 上西智子さん:
耳が聞こえないのは情報不足に陥るので、「安心・安全」を考えると情報は大事だと思います。だから、どんな情報でも流していこうと心掛けていた。
上西さんからの連絡を受け避難したうちの1人が丸山津久志さん。
同じ聴覚障害者の妻と自宅近くの中学校に避難したが、大雨の様子は見えても約3キロ離れたアルミ工場の爆発音は聞こえなかった。
丸山津久志さん:
爆発の時は、立っていたが全く気づかなかった。避難所で健常者の弟に助けてもらった。私たちだけだったら何もわからず、パンの支給もわからないままで困った…
また、周りの人とコミュニケーションが取れずストレスが溜まったという…
丸山津久志さん:
イライラしていたが、通訳の上西さんが避難所に来てくれて、話をしたりアドバイスをしてくれてイライラがなくなり落ち着いた…
豪雨災害時、上西さんは役所での窓口対応だけでなく、聴覚障害者のいる避難所にも積極的に足を運んだ。
多いときには一日400人がいた避難所で、「手話できます」と書かれたバンダナを身につけ対応に当たった。
総社市 手話通訳者 上西智子さん:
普段通りに話をして心を落ち着かせてもらおうと心掛けた。
聴覚障害者にとって災害時に大きな支えとなる「手話通訳者」。
2018年9月2日には災害救援専門ボランティアとして活動する手話通訳者の研修会が開かれた。
気象情報など正確に理解してもらい聴覚障害者の的確な避難に役立ててもらおうという試みで岡山県聴覚障害者センターなどが開催したのだ。
参加した手話通訳者:
我々、手話通訳者が認識できていないと、それを手話で伝えることはできないし、意味をつかんだ上で手話単語を選び通訳することが大切だと思う。
床上浸水の被害を乗り越え店の営業に励む坂口さんの店の壁には1枚のTシャツが飾られている…
そのTシャツには…
頑張聾(がんばろう)の文字が書かれている。
健常者だけでなく多くの障害者も被災した西日本豪雨。災害時の情報伝達や支援体制のあり方が改めて問われている。
【岡山放送】