ネットから犯罪歴は消せないのか?最高裁が「忘れられる権利」に踏み込まなかったワケ

最高裁が初めて検索結果の削除はプライバシー優先なら可能と判断

カテゴリ:国内

  • 最高裁は検索エンジンと週刊誌を同じように見ている
  • なんでも消されて国民の知る権利が阻害されるかもしれない
  • これからネットマナーがアッという間に広まる

6年前に児童買春で逮捕され刑が確定した男性が、Googleに対して検索結果から当時の報道を削除するよう求めていた裁判で、最高裁は初めて「表現の自由より、プライバシーの保護が優先されることが明らかな場合は、削除を認める」との判断を示した。しかし、男性のケースはプライバシー保護が優先されないと判断され訴えは棄却。最高裁の判断は妥当なのか2人の専門家に聞いた。

佐々木俊尚の視点

EUとかには「忘れられる権利」というものがあって、日本はそこまで行ってなかったわけです。今回の裁判は、「忘れられる権利」に踏み込むかどうか注目されてたんだけど、結局踏み込まなかった。

この裁判は、児童買春で逮捕されて罰金50万円が確定した男性が、自分が逮捕された情報をGoogleの検索結果から消してくれっていうものなんだけど、公益性があるかどうかは とても難しい問題。海外では、性犯罪者は名前と住居地を公開している事例もあります。

一方で例えば、レ・ミゼラブルの主人公みたいにパンを盗んで逮捕され、更生していい人になってたのに10年ぐらい経ってから「お前昔パン盗んでたろ。Googleで見たぞ」なんて言われるのはどうなのか。罪の重さとか大きさとか再犯の可能性とか、いろんなことを考えて基準を決めなきゃいけない話なんだけど、その基準をどうやって決めるのか。なかなか悩ましいです。

最高裁はネットと雑誌を同じように見ている

中央大学准教授  宮下紘さん

今回の決定は、2003年に少年犯罪の週刊誌報道が問題になった「長良川事件報道訴訟」の6つの基準をほぼそのまま使っています。言い方を変えますと、「検索エンジンからの削除」と、「週刊誌のプライバシー侵害」を同じ基準で見ている。

従来は「表現の自由」と「プライバシーの保護」を天秤に乗せて、同じ価値だという前提で比較衡量していました。今回の決定では「表現の自由よりプライバシーの保護が優先されることが『明らかな』場合は削除できる」と、「明らかな」という要件が入っただけ、天秤の「表現の自由」の方に少し重きが置かれています。

私は「明らかな」という要件を設けた背景には、昨今 削除を求める訴訟が乱立しているので、それに対応するためではないかと思っております。実際にEUでは189万件のサイトを対象にした、Googleへ削除を求める申し立てが起きてます。こういった訴訟が日本で起きると裁判所としてはパンクしてしまいますので、「明らかな」という要件を設けたのではないでしょうか。

海外と日本の違い

今回の最高裁決定で、「表現の自由」が何を指しているかというと、「検索エンジンの表現の自由」なんです。オリジナルの情報発信者の「表現の自由」ではなくて、検索事業者それ自体が「表現の自由」の担い手であると位置づけているんです。

一方、「忘れられる権利」を認めたEUは、そういう言い方はしていません。検索エンジンは、一般市民が情報アクセスする利益と、経済利益しかない、表現の自由の担い手ではないとみています。

逆に、アメリカでは依然として「表現の自由」が強い。「忘れられる権利」というような議論は、検閲に値するとして認められないと考えられています。アメリカでは、検索エンジンは駅にある売店と同じという考え方です。ライバシー侵害の情報が入った週刊誌や新聞を売っていても売店の店主には責任がないわけです。

最高裁は「忘れられる権利」を否定したのではない

日本は、EU・アメリカの中間地点から、今回の決定で少しアメリカに近い「表現の自由」寄りになったかなと私は見ています。今回の最高裁は、「忘れられる権利」の判断には踏み込んでいません。これは私は、「忘れられる権利」を否定したわけではなく、議論もまだ熟していないので、将来の判断に委ねたものだとみております。

とにかく消されて国民の知る権利が阻害される可能性も

慶應義塾大学教授  大屋雄裕さん

EUの「忘れられる権利」は、立法に関する議論が進んでいる中、裁判所が先行して認めてしまったんです。結局、「判断基準」は、検索事業者に丸投げした形になってしまっていて、議会できちんと設計すべきだったのではないかという声もあります。

今回の最高裁の決定では、検索事業者が第一義的に「判断」をするとき「明らかに」プライバシー優先だと言えるケース以外は、とりあえず撥ねて良いということが明らかになったことは大きいと思います。ただプライバシーをどこまで認めるのかについては状況によって変わります。例えば、対象者が選挙に出たとか公職に就任したということになれば、過去の職務や犯罪歴が明らかにされることが重要になる可能性が出てくるなど、状況が一気に変わってしまうわけです。

検索事業者は請求があった段階では、これから先のことは分かりませんから、その時点の「判断」として消すか消さないかを決めるしかありません。検索事業者は、情報発信者とは違って、それを世間に言いたいという強い気持ちがあるわけではない、にもかかわらず間違った判断をすると罰を受けるという状況を作ってしまうと、簡単に消す判断をするだろうと思います。こっちの方が当然安全なんですが、国民の知る権利を制約する結果になってしまいますから注意する必要があります。

「忘れられる権利」はなくても十分

今回の最高裁決定は「忘れられる権利」に踏み込まなくても十分判断できるという見解が大きかったと思います。裁判所は制度設計ができるわけではないですから、あまり強く踏み込むのもいかがなものかという配慮があったかもしれません。

この裁判では一審で「忘れられる権利」を議論したものを二審で否定しています。最高裁は、この二審を肯定する形で判断していますから、少なくとも否定した方向には行ってくれるなという態度は明確にしたと思います。

削除の基準にまつわる難しさ

今はまさに未曾有の状況で、「判断基準」は倫理的に形成されてくるだろうと思います。その中で「明らかに」危ない・被害が生じるものについてはきちんと対処する。これまでにも、例えばリベンジポルノのケースでは、事業者が削除請求を受けて消していることも多いと聞いています。
それを踏まえ、削除についてこういう方針はどうだろうというガイドラインができてきて、あとは凡例の蓄積などから判断基準が見えてくるという状況にあると思います。

ただ、これもあまり明確に出すと、例えばそれを悪用する人が出てくるでしょう。例えば先ほどの立候補を予定している人が、過去の犯歴をうまいこと隠すために、基準に該当するような言い分を作ってくることも予想できます。難しいところです。

佐々木俊尚のまとめ

ちょっと、プライバシーと全然関係ない話なんだけど、レストランができたのは18世紀のフランスだといわれています。それまではホテルで泊まった時ぐらいしか外食ってしなかったんだけど、街の中にあるお店で客席に座ってご飯を食べるレストランができて、それからレストランのマナーができていった。多分、鈴木さんがそのころのレストランに行ってシチューを注文したら、周りの人が「俺もシチューにしようか?」ってジーッと見てたと思います。でも、今は見ない。なんで見ないのかな。

鈴木唯アナウンサー:見ちゃ悪いなと思います。

それがマナーなんですよ。今はネットが始まってまだ10~20年しか経ってないので、人がやってることをジロジロ見ちゃうわけですよ。ところが、たぶんレストランの歴史と同じで、何十年か経ってだんだんルールが定着してくると、「炎上を見に行ったら恥ずかしい」とか「困っている人を見に行くのは申し訳ない」みたいに思うようになるかもしれない。

そうやってだんだん、こういう場面ではここまで見せていいとか、この情報は削除していいんじゃないかとか、社会としてのある種の通念みたいなものが生まれる時期がいつか来るんじゃないかと思います。

鈴木:どのぐらいかかるんですかね?

どれぐらいかかるんだろう?でも例えばね、日本で戦争が終わったのは1945年で、そこから数年で普通の社会生活が戻った。僕が子供だった1970年代ぐらいまでって、皆すごくマナーが悪かった。ゴミをその辺に捨てたりとか、ガムを噛んでて駅のホームにペッとか、普通にやってたわけですよ。あの頃の生活を普通に撮った写真を見ると、けっこう町にゴミが落ちてるんだよね。でも、いま日本の特に東京の街にゴミは全然落ちてない。あれってわずかこの2~30年の間に出来上がった社会的なルールというかマナーなわけです。

あと、日本人はよく中国人のことをうるさいとかバカにしているけど、何をおっしゃいますか。日本人もバブルのころまでは本当にうるさかった。旅行に行ってもどこに行っても、こんなに物静かにしゃべるようになったのは、ここ20年ぐらい。

そう考えると、ネットのマナーとか社会通念みたいなものも、あっという間に定着する可能性はあるんじゃないかと個人的には期待しているんだよね。だって今のインターネットってあまりにも殺伐としていませんか。