ソロデビュー20周年を迎えた謎多きアーティスト・GACKT。
 
5月2日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、MCの坂上忍がGACKTの住むマレーシア・クアラルンプールへ飛び、移住した理由やビジネス、亡き恩人への思いについて聞いた。
 
5月16日の放送では、第一弾の時に放送できなかった未公開映像と、これまで明かさなかった“人生を変えた元メンバーの死”について語った。

1日2時間以上は仕事をしない!

 
 
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6年前からマレーシアに住むGACKTは今、600軒以上を内見した上で購入した、広さ1700平米の大豪邸に住んでいる。2人のメイドを雇い、プールやバー、ジムも備えられ、バックダンサーやバンドメンバーたちは、GACKTのことを「兄さん」や「若」を呼び、よくこの豪邸に遊びに来るという。
 
リビングとプールがつながっている設計に、坂上は「ちょっと憧れだわ。家を建てるときに考えたんですよ」と感動していた。

 
 

さらにこの豪邸には、GACKTの愛犬・デイジーとアンジーもいた。他にもラブラドール・レトリーバーのライザを合わせた3匹の犬と暮らしている。

 
 

また、GACKTの意外な才能も明らかに。ラスベガスで行われたポーカーの世界大会で日本人初の入賞を果たしたほどのポーカーの腕前を持つGACKT。この豪邸には、ポーカー専用の部屋もあり、夜になるとポーカーのプロたちが集まってくるという。
 
番組では、謎多きGACKTは普段どんな生活を送っているのか。特別にある1日に密着させてもらった。
 
行きつけのお店があるということで、スタッフも高級外車ベントレーに乗せてもらい同行。しかし、時間は夕方5時。今まで家で何をやっていたのだろうか。
 
「睡眠時間が短いから寝るのが朝5時とか6時。で、朝9時か10時くらいには起きて。朝起きたら2時間くらい、ただただお茶してゆっくりする。そんなこと日本ではあまりできなくて。ここにいるときは、1日2時間以上仕事しないって決めている。僕、ワーカーホリックで、もうずっと仕事しちゃうから」
 

 
 

1人で買い物をすることが多いというGACKT。「実は荷物持ちで。どんどんモノを入れて、どんどん大きくなるの。大きいカバン持つと何でも入れたがる傾向がある」ということで、カバンを持ち歩かないというこだわりも。
 
そして、行きつけのお店だという高級葉巻の専門店に到着すると、入って10秒後には葉巻用のライターを購入。迷うのは「時間がもったいない」と笑い、「どっちがいいか迷ったら両方買う」と話した。そんな即決で購入したライターのお値段は総額約120万円。数分の滞在時間で100万円を超える買い物をしてしまった。

 
 

「家では一切ご飯を食べない。朝は野菜ジュースで、1日1食だけ」と、20代の頃から健康のために1日1食を貫いているというGACKTは買い物を終え、夕食へ。この日の「一食」に選んだのはメキシコ料理。仲間や、GACKTのビジネス本を出版したいと、わざわざマレーシアまで打ち合わせに来た出版社の社長もその場に合流した。
 
自由気ままに過ごしているように見えるGACKTだが、日本にいた頃は、こんなに自由な時間はなかったという。
 
「日本にいる6年前まではひどくて。寝るのはもったいないから、やれるだけの仕事をやろうって感じで。ずーっと仕事しかしてなかった。お金もある程度手にして、でも気がついたときには何の思い出もない。もっと自分の人生を豊かにしようと思った」
 
日本にいた当時は、音楽活動や俳優業に追われ多忙な日々を送っていたGACKT。そんな中、40歳を前に人生を振り返り、自分の時間を大切にしようと移住を決意したそうだ。

GACKTはどれだけ稼いでいる?

 
 

GACKTの大豪邸を目の当たりにした坂上は、「どれだけ稼いでいるの?」と素朴な疑問をぶつけた。
 
「まずは不動産はやっています。富裕層向けの物件を提供したり…」と話すGACKTに連れられ、2人は町の中心街へ移動。
 
そこで合流したのはGACKTと共同で不動産会社を経営しているビジネスパートナーの池田諭さん。元々、日本人向けの不動産業を経営していた池田さんは、GACKTが今住んでいる豪邸を紹介したことで意気投合し、4年前に共同出資で会社を設立。

例えば、ショッピングモールの上にある高級マンションのような物件を世界の富裕層相手に販売したりしているという。
 
さらに、GACKTの会社が販売する超高級物件、5つ星ホテル「リッツ・カールトン」が提供する高級物件「ザ・リッツ・カールトン・レジデンス」を見せてもらった。
 

 
 

住人だけが使える共用スペースには、24時間飲み物や軽食を提供するラウンジや、24時間使えるフィットネスルーム、1年中楽しめる50メートルプールなどがある。 

 
 

肝心の部屋は、2ベッドルームで総面積は180平米という広さで、リッツ・カールトンがセレクトした一流品ばかりの家具が備え付けられている。 

 
 

GACKT曰く、東京なら5億はくだらないというこの物件の値段は、1億4000万円。
 
だが、タワーマンションの中には、3000万円ほどのお手頃な1LDKの物件もあり、かなりの売れ行きだという。その理由は、マレーシアは高齢化社会の日本と違い、国民の平均年齢が若く、今後の経済成長を見越して、投資目的で買う日本人も多いそうだ。
 
そもそもなぜ、GACKTはビジネスを始めたのだろうか。

 
 

「30歳くらいになったときに、“音楽の形が変わる”と思ったんです。世の中からCDがなくなると。音楽だけだと絶対にミュージシャンは生活できなくなると感じたんです」
 
90年代の末、音楽業界を襲ったCD不況に危機感を募らせていたGACKT。また、アーティストとしてステージ演出にこだわっていたGACKTは、CDが売れない時代になると自分の表現したいステージができなくなると思い至ったことで、“お金を稼ぐこと”を始めたと振り返る。
 
「最初は見よう見まねで、不動産もやりましたし、飲食も、カラオケの経営とかも全部やりました。結構、いろんなことをやったんですよ」と話し、その経歴に坂上も驚きを隠せなかった。
 
さらに、マレーシアでの不動産事業だけでなく、フィリピンでもビジネスを展開しているという。
 
「フィリピンはストリートチルドレンがすごくいるんです、その現実を目の当たりにいて。子どもたちにお金を与えるのではなく、釣り竿を与えて、自分たちで魚を捕って生活できる環境を用意したいとずっと思っていて。その考えに賛同してくれたフィリピンで起業して成功されている方々に出会って、街作りや都市開発をやろうと言って一緒にやっています」

GACKTが俳優を続ける理由は、ある名優への思い

30億円超の大ヒット、映画『翔んで埼玉』にも出演しているGACKT。歌手として活躍していたGACKTが俳優に挑戦したのは29歳の時。
 
近未来のアジアを舞台とした映画『ムーン・チャイルド』で、L’Arc-en-CielのHYDEとの共演が話題に。そして、この演技が好評を博し、4年後にはNHK大河ドラマ『風林火山』で武田信玄の宿敵・上杉謙信を熱演した。
 
このドラマで出会ったある名優が今、GACKTが俳優を続けている理由だと明かした。

それは故・緒形拳さん。

GACKT演じる上杉謙信の軍師・宇佐美定満を演じていた緒形さんに、役者としての経験が浅かったGACKTは日頃から演技について相談していた。

 
 

「謙信が宇佐美を口説きに行って、自分の思いを伝えるというシーンがあって。リハーサルをやったときに、拳さんが『ガッくんな、今の演技じゃ俺は口説けん。本番までに仕上げてこい』と言われて。いろんなことを考えて、何回もやったんですけど、演技じゃなくて、僕が拳さんに対して思っている思いをそのまま伝えようって。(本番で)拳さんの背中越しにカメラで撮ってるんですけど、セリフが終わったあとに、まだカットかかってないんですけど、拳さんがニコって笑って。それが本当にうれしくて」
 
次第に緒形さんを父と慕うようになったというGACKTだが、大河ドラマのポスターが公開されると、GACKT演じる上杉謙信のビジュアルに世間から賛否の声が飛んだ。
 
いろいろなプレッシャーに押しつぶされそうになっていたGACKTだが、緒形さんはそんなGACKTに「自信を持ってやれ!大丈夫だよ!パパがついている!」と背中を押し、その言葉がGACKTを救った。
 
歌手としても、俳優としても大きな組織に属することなく、ずっと1人で戦ってきたGACKTにとって、緒形さんはまさに父親のような存在だった。
 
大河ドラマ終了後も緒形さんを慕い、メールなどを通して交流を続けてきたが、1年も経たないうちに、肝臓がんのため帰らぬ人に。それは、当時ハリウッド映画の撮影をしていたGACKTが「日本に帰ってきたら一緒に好きなそばを食べにいこう」と緒形さんと約束していた日の1週間前のことだったという。

緒形さんの死から1ヵ月ほど何もできなくなってしまったというGACKT。だが、緒形さんのGACKTへの思いがまたGACKTを立ち上がらせた。
 
「大河の時は、もうがんの手術を受けた直後だったんです。すごく苦しんでいたんですけど、熱があるときでも、『ガッくんが待っているから』と言って無理して来てたらしいんです。でも、そんな苦しい顔を一切見せないで、ずっと演技をされていたんです。初めてだったんです、自分の人生の中で、あんなふうに救ってもらったのは。(あのときは)きつかったですね。でも、誰かのために頑張ろうと思えたのが初めてだった。 拳さんの笑顔を見るために毎日、現場に行くのも楽しかったんです。拳さんと一緒にいられた時間は短かったんですけど、僕はミュージシャンがメインなので、たまに役者をやりますが、それは拳さんがくれたものを止めたくないからやっているという感じです」

GACKTはそう語りながら、涙を見せた。
 

 
 

毎年、誕生日と命日の時は墓前に報告しに行っているというGACKT。マレーシアの自宅は、緒形さんとの思い出を偲ぶように上杉謙信の鎧が飾られている。
 
これは、大河ドラマを機に、新潟県上越市が上杉謙信をまつる『謙信公祭』にGACKTを招待。その際に作られたオリジナルの鎧だという。 

「それまで3万人くらいの祭りだったのが、僕が7年くらい続けたんですけど、26万人まで増やしたんです。やっぱり自分が関わる意味みたいなものがあるじゃないですか。自分が関わるのであれば、やっぱり結果を出さないと意味がないので」
 
GACKTは、地方イベント1つをとっても、プロとして結果にこだわる完璧主義者だったのだ。
 

卒業式サプライズに隠された20年前の思い 

そんなGACKTには20年間ずっと謝りたかった人物がいるという。その真相は、GACKTが2006年から続けている卒業式サプライズに隠されている。
 
GACKTはラジオリスナーからの手紙をきっかけに13年前から全国の中学校・高校の卒業式にサプライズ登場し、生歌を披露し続けている。

2018年には、東京都世田谷区の女子校の生徒からオファーのメールをもらい、卒業式サプライズが実現。このように生徒からの手紙やメールがきっかけで実現されるサプライズだが、今から11年前、GACKTが自ら「謝りたい人」の母校を選んで訪れたことがある。
 
人気ビジュアル系バンド「MALICE MIZER(マリスミゼル)」のボーカルだったGACKTは、1999年に正式脱退。当時の音楽シーンで大ニュースになった。
 
しかし、当時の報道は「GACKT雲隠れ」、「メンバーとの確執」などセンセーショナルに書き立てるものが多く、GACKT自身が多くを語ってこなかっただけに、脱退騒動はさまざまな憶測を生んだ。
 
「方向性の違いというよりも、25歳の時にバンドのメンバーが集まって、もう解散するみたいな話になっちゃったんです。もちろん、続けるつもりだったんですよ。だけど、話す価値もないみたいな状態になって、僕対メンバー・社長という形に、完全に分かれて。だったら、僕は自分の音楽を作ろうと思ったんです」
 

「MALICE MIZER」脱退は不本意だったというGACKTだが、「メンバーの中で、ドラムのKamiと仲が良かったんですけど、その彼が亡くなっちゃうんです。お互いずっと連絡を取らないまま、彼の死を知ったのは葬儀が終わったあとだったんです」と振り返った。
 
脱退から約半年。 当時音信不通の状態だった2人だったが、親友のドラマー・Kamiの死を知ったGACKTは、何かに突き動かされるようにKamiの地元・茨城県に車を走らせた。あてのないまま一軒一軒の家を訪ね周りKamiの実家を探し当て、両親と会うことができたという。
 
「せめて手を合わせたいという思いだったんです。謝りたかったというか。彼に『ごめんな』って」と、「MALICE MIZER」を脱退してしまったことを、GACKTはKamiに謝りたいと思っていたという。 
 

 
 

「いろいろな思いを墓前で話すしかないというか。毎年、誕生日と命日には行って、『頑張ってるんだよ、今こんなことやっているんだよ』ということを話に行く」
 
毎年、GACKTは墓参りの後にはKamiの実家を訪問。今では、家族のような存在になっている。

そうした話を聞いた坂上は「でも、そういうのって忘れたふりもできるわけじゃないですか」と問いかけると、「そんな器用じゃないんですよね。自分の中でまだ、彼が生きているので。彼の時間は止まったままですけど、ずっと“いる”ので、忘れられないんですよね」と、GACKTは素直な思いを明かした。
 

親友の死から月日が経ち、2008年に茨城県の高校で行われた卒業式サプライズ。GACKTが訪れたこの高校は、Kamiの母校。GACKTは彼が愛用していたドラムを学校に寄贈し、 卒業生に向けて「一度しかない人生だからな。失った時間は二度と戻ってこないから」とメッセージを送った。
 
今は亡き親友、そして恩人の存在がGACKTが走り続けていられる原動力になっているのかもしれない。

 

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)

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