「世界で初めて交通事故で死んじゃったロボット」から気づかされること

H.SCHOOL「人工生命」特集#03/03(2017/05/20)  

  • 人工生命が単調なゲームのあり方を変えるかもしれない
  • 便利さを追求するとディストピアになる
  • 不便さを追求する技術があってもいい

テクノロジーの未来像をお届けする大人のトーク番組「H.SCHOOL」。
4名の識者によるディスカッションでは『人工生命』のある近未来の姿を探った。

人工生命が単調なゲームのあり方を変えるかもしれない

ドミニク・チェン
人工生命の技術がどんな形で今の生活の中に入ってきたら面白いのかなと想像すると、僕はゲーマーなので、ゲームの中にぜひ人工生命を入れてほしいと思っていて、それはなぜかというと、単純に面白いからなんです。

つまり、今のゲームの中のAI(人工知能)って、動いているキャラクターには設計図があって、「こうやったらこうする」みたいなことが書かれているわけですよね。だから30時間とかゲームやっていると、もう分かりきっちゃうわけですよ、相手のパターンが。

市原えつこ
同じ人にずっと話しかけても、ずっと同じことしか返ってこないですからね。

ドミニク
そうそう。でも市原さんと30時間話し続けたら、市原さんもどんどん変わっていくし、すごい面白いゲームキャラになると思うんです。

市原
頑張ります(笑)

ドミニク
だから、僕たちは人間とも接しているけれども、機械とも接しているところもあって、機械と人間とが接する時間というのがどんどん均衡がとれてきていると思います。その中で生命体と接している方が多分、人間はいきいきとするんじゃないかなと。

市原
なんか虚しくなってきましたね。決まった言動しか返さないものと30時間、一緒にいた後の徒労感というのは計り知れないなと思いました。

ドミニク
でも、人間でもそういう人いるじゃないですか?

市原
同じことしか言わない人ですよね。

人工知能に対戦型のゲームをやらせると卑怯な戦略をとる

岡瑞起(筑波大学大学院システム情報工学研究科・准教授)
ちょうど先週のゼミで学生さんが最新のAIの研究を紹介してくれて、それがゲームの話だったんですね。

強化学習って方法があるんですが、それで対戦型のゲームをAIにやらせると、数時間で人間が勝てないくらいのレベルに対戦相手が進化しちゃうらしいんです。でも、それが進化した結果が面白くて、ものすごく卑怯なストラテジー(戦略)をとるAIになって、画面の一番端っこに止まって全然仕掛けてこなくて、こっちが仕掛けるとそれを避けて、その反動で自分がやられるという卑怯なAIしか生まれないというのが面白くて。

ドミニク
人間だったらそんな卑怯なこと、やらない。


なぜかというと、人間は進化の過程で卑怯なことをするとコミュニティの中で生きていけない。協力しないと生きていけない中で、効率的ではないかもしれないものを獲得しているんだと思うんです。

ドミニク
昔のゲームセンターとか、卑怯な技で相手に勝つと向こう側にいる人が怒って、「お前何やってるんだ!」って言ってきたら、生存に関わる問題ですよね。


確かにそういうところで、AIにどういった人工生命的技術を入れると、人間と協調できるのかというのを楽しみながらできるようなキャラクターに育てる技術ができると面白いなと思います。

便利さを追求するとディストピアになる

塚田有那(編集者・キュレーター)
人工生命が商品化されるというイメージがまだ今は具体的に湧かないのですね。ゲームとかは面白そうだなと思うのですが、それよりも考え方を広げてくれるというのが人工生命研究の面白いところかなと感じています。

今はもうこれ以上に便利なものって要らないじゃないですか。要らないと思うんです。いわゆる家電とか、身の回りでパッと思いつくもので便利さがほしいかと言ったら、私はもう少し仲良く付き合った方がいいのかなと思います。

市原
便利さや合理性を追求していくと、ディストピア(ユートピア=理想郷とは正反対の社会)になっていくなと思っていて、最近VR(仮想現実)技術とか出てきてますが、その中でめちゃくちゃ美少女と出会ったりして、その中で完結して、すごく幸せかもしれないけど、それは合理的だけどそれでいいのか?
 
どんどん気持ちよく管理できる方に行った先にあるのは、意外と地獄みたいなものなんじゃないかなと思ったりします。

ドミニク
単細胞生物みたいに、快楽にしか反応できないみたいにね。

塚田
それが機械化していく人間と言えるかもしれないですね。

長谷川愛(アーティスト・デザイナー)
でも、それは嫌だっていう人も絶対に出てきて、それでまた広がっていくんだろうなと思うんですよね。

不便さを追求する技術があってもいい

池上高志(東京大学大学院教授)
僕は不便さを追求する技術があってもいいのかなと思っていまして。遊びって二次的なものとしてしか捉えられないのですが、みんな遊びたいわけですよね。遊びを助けてくれる技術はなんだろうって考えると、やっぱり不便だったり言うこと聞いてくれなかったりとかするんじゃないかな。

ゲームで思ったのが、ドミニクさんはゲームに人工生命があったらいいと言っていましたが、常に相互作用をするようにゲームって作られるじゃないですか。だから相互作用として、つまり「間を作るため」の生命っていうのを思いましたけどね。

ドミニク
「間を作る」とは?

池上
もうちょっと自分の声を聞くとか、生命的なものって接触すると内省的な部分が立ち上がると思うんですけど、生命的なものは自分の内面的なところに相互作用があるから、そういうのは「間を作ること」と同じなんじゃないかなと。

何もしない環境とか佇まいとか、何もない世界というのがあると、ゲームとか面白いと思うんですよね。実際、何もいないんだけど何かあるような気がするという。

ドミニク
その観点で言うと、まだ実装されていない人工生命技術が入っていないとしても、演出とかデザインによって、そう言う感覚を引き起こさせてくれる。ゲームだけじゃなくて、文学作品もあるし、映画もあるし、音楽もあるし、芸術作品もある。感覚と言うか認知的な体験としては、僕たちはもうわかっていることなのかも知れない。それを人間がいちいちデザインして固定化しなくても、生み出してくれる存在が人工的に作られるのかってことでいうと、例えば芸術・文化っていうものが、かなり加速して次のモーツァルトは人工生命かもしれないみたいなことが、この人工生命プロジェクトの目指すところなのかなと。

池上
ナム・ジュン・パイクというアーティストがロボットを町に連れ出したら、交通事故に遭って死んじゃったんですよ。世界で初めて交通事故で死んじゃったロボット。そういうことができるのは、ロボットが自分で自律的に動くからですよね。だからロボットに交通事故を遭わせたナム・ジュン・パイクのアーティストとしての感覚は素晴らしいと思います。
人工生命がもしもできたら、そういう方向というか、今までわかっていたけど気づいていないようなことに対する衝撃がいくつも作れて、だから人工生命とアートの相性がいいのはそういうところなんだと思っています。

(執筆:H.SCHOOL)