悠久の歴史を物語る「神器継承」に注目 5月1日の即位儀式

5月1日、天皇陛下の退位を受けて、皇太子さまが新天皇に即位される。この歴史的な皇位の継承自体は、5月1日の午前0時をもって行われるが、5月1日午前に行われる2つの儀式は、今回の皇位継承を象徴する重要な場面となる。

 
 
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その2つの儀式が、皇位の証として天皇家に代々継承されてきた三種の神器を引き継ぐ儀式「剣璽等承継の儀」(10時30分)と、新天皇が三権の長ら国民の代表と会い即位後初のおことばを述べられる「即位後朝見の儀」(11時10分)だ。

このうち、剣璽等承継の儀は、わずか5分程度で、しかも出席者の発言もないものではあるが、日本人として、古代から伝わる三種の神器の長い歴史を感じることのできる儀式だ。

剣璽等承継の儀(1989年1月7日)
剣璽等承継の儀(1989年1月7日)

この儀式をFNN系列では当日9時50分から11時50分まで特別番組「Live News days 令和“元日”即位の日スペシャル」で様々な情報を交えながら生中継するが、その三種の神器の背景と歴史、謎について事前に知っておくと、儀式はより興味深いものとなるかもしれない。
 

神秘と波乱…三種の神器の“伝承と歴史” 

三種の神器とは、古事記や日本書紀に記された日本神話に由来する「鏡・剣・勾玉(璽)」の3つの宝物だ。

このうち鏡は「八咫鏡(やたのかがみ)」と呼ばれ、天皇家の祖先とされ太陽の女神と伝えられる「天照大神(アマテラスオオミカミ)」が天岩戸(あまのいわと)に隠れ、世界が闇に包まれてしまった際に、天照大神を誘い出すために使われたとされている。

鏡(國學院大學博物館所蔵) ※参考画像(三種の神器ではありません)
鏡(國學院大學博物館所蔵) ※参考画像(三種の神器ではありません)

また、剣は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ばれ、天照大神の弟の素戔嗚尊(スサノオノミコト)が、頭が8つある大蛇のような怪物「ヤマタノオロチ」を退治した際にその尾から出てきたなどと伝承されている。また、この剣は「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と呼ばれていたが、後にこの剣を授かった日本神話の英雄、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が今の静岡県焼津(諸説あり)の野で火攻めにあい焼き殺されそうになった際に、剣で周囲の草を薙ぎ、助かったことで草薙剣と命名されたという伝承もある。

剣(國學院大學博物館所蔵) ※参考画像(三種の神器ではありません)
剣(國學院大學博物館所蔵) ※参考画像(三種の神器ではありません)

そして、装身具である勾玉は「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」と呼ばれ、八咫鏡と同じく天岩戸から天照大神に出てきてもらうために使われたとされている。

勾玉(國學院大學博物館所蔵) ※参考画像(三種の神器ではありません)
勾玉(國學院大學博物館所蔵) ※参考画像(三種の神器ではありません)

そしてこの「三つの神器」が、天照大神の孫とされる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、神々の住む「高天原」から地上に降りてきた際に授けられ、それが瓊瓊杵尊の子孫とされる天皇家に代々伝わっているとされているのだ。
 
この神話が史実かどうかについては何とも言いようがないが、歴史的にも、鏡と剣と勾玉が、古代の権力の象徴されてきたことは間違いない。

三種の神器はどこにある?実物は? 

今、三種の神器のうち、八咫鏡は三重県の伊勢神宮に、草薙剣は愛知県の熱田神宮に、そして八尺瓊勾玉は、皇居・御所の天皇陛下の寝室のとなりにあるという「剣璽の間」にあるとされる。
そして、その剣璽の間には、草薙剣の形代(霊のこもった分身としての複製品)もあり、皇居の祭祀の中心である宮中三殿の「賢所(かしこどころ)」には八咫鏡の形代も祀られている。つまり、皇居には形代を含めれば、三つの神器がそろっていることになる。

しかし、この三種の神器は天皇でさえ見てはならないとされているといい、実物がどのようなものかは、まったくわかっていない。
 
複数の研究者に取材したり、調べてみても、これだという確実な答えはないのが現実だ。八咫鏡は銅鏡ではないかというのが一般的な見方のようだが、八尺瓊勾玉については緑色の翡翠製という見方が多いものの、赤いメノウ製だという説も根強いという。
 
さらに様々な情報があるため、余計にその実物がどのようなものか議論を呼んでいるのが、草薙剣だ。

ナゾの草薙剣はどんな姿?材質は鉄か銅か? 

草薙剣については、平成の剣璽等継承の儀や、天皇陛下の伊勢神宮参拝の際に携えている映像を見る限り、その形代が長さ1メートル程度の箱に入れられているのが確認できるが、中身はうかがい知れない。

4月18日 伊勢神宮(三重・伊勢市)
4月18日 伊勢神宮(三重・伊勢市)

そうした中でまず、材質が鉄なのか銅なのかというのが、議論の分かれる所のようだ。鉄剣よりも銅剣の方が、歴史が古いというのが定説だが、神話の記載や歴史的時代背景と照らし合わせても、決め手になる材料はないようだ。
 
一方で、熱田神宮にある草薙剣の本体を、江戸時代に宮司らが盗み見たがその後、病になったとの記録が残っていたり、平安時代の天皇が、御所にあった璽を見ようとしたら、中から白雲が立ったなどの記録が残っているそうで、三種の神器は見てはならないものという認識ははるか昔から醸成されてきたようだ。
それでもやはり、実物がどんなものかは気になるもの、その姿に想像をめぐらせながら儀式を見るのも1つの楽しみ方かもしれない。

草薙剣が祀られている熱田神宮(名古屋市)
草薙剣が祀られている熱田神宮(名古屋市)

海に消えた神器…争奪戦や偽物も!波乱の歴史

そして三種の神器は皇位の証という権力の象徴でもあるため、かつて幾度となく、激しい争奪戦があった。その1つが源平合戦だ。
 
平安時代の末期、全盛を誇った平家は、平清盛の孫でもある幼い安徳天皇を即位させたが、源頼朝を棟梁とする源氏の攻勢で衰退し都を追われ、その際に、皇居内にあった三種の神器をすべて持ち出した。それは、源氏が神器を奪って新しい天皇を即位させ、朝廷の実権を握るのを防ぐためだったと考えられる。
 
その後、源平最後の合戦となった壇ノ浦の戦いで敗れた平家側は、清盛の妻らが三種の神器と幼い天皇を抱いて海に身を投げた。その際、源氏側によって鏡と勾玉は海からすくいあげられたものの、草薙剣(形代)は見つからず失われ、後に別の剣を新たに草薙剣の形代としたとされる。
 
また室町時代初期に、天皇家が後醍醐天皇の主導する南朝と、足利家の支援を受けた北朝に分かれた南北朝時代には、軍事的に優勢だった北朝側が南朝に三種の神器を渡すよう迫ったが、後醍醐天皇は拒絶した。その後、南朝が北朝に偽物の神器を渡した結果、お互いが神器の保有を主張するなどしたという記録が残っていて、三種の神器が日本国の権力をめぐる攻防の象徴だったことが改めてわかる。

10時30分からの儀式には誰が出席?初の女性も 

現在、神器がどのような状態にあるのかは知る由もないが、その歴史を刻んできた儀式が30年ぶりに5月1日午前10時30分から行われる。
 
この儀式には、皇族では成年の男性のみが参加する。30年前は天皇陛下のほかに、今の皇太子さま、秋篠宮さま、常陸宮さま、三笠宮崇仁さま、三笠宮寬仁さま、高円宮さまと6人の男性成人皇族が列席されたが、今回は秋篠宮さまと常陸宮さまのお2人で、男性皇族の減少を象徴する儀式ともなる。
 
一方で、儀式を見守る参列者は、総理大臣と閣僚、衆参両院の正副議長、最高裁判所長官と判事1人の計26人だ。この中では、片山さつき地方創生相が、憲政史上初めて女性として参列することになる。

神器の継承はどの時点?その意外な答え 

では、この儀式のいつ、三種の神器が承継されることになるのか。実は政府は、神器を継承する「儀式」は10時30分に行うものの、神器の承継自体は、皇位の継承と同じ午前0時に行われているという解釈をとっている。言わば儀式は、神器の承継を時間的には後追いするものということになる。

 
 

それは、三種の神器の承継をもって真に皇位が継承されるという伝統的な考え方に合わせ、皇位の継承が日付の変わる午前0時と法律で決める以上、と神器の承継も同時である必要があるとして措置だ。そこにはタイムラグが生じてしまうわけだが、これも神器の意味を大事にするからこそ起きたタイムラグだと考えれば、一定の説明がつくのかもしれない。
 
いずれにしろ注目のこの儀式。FNNでは9時50分からの特別番組で、即位後初のお目見えとなる天皇陛下が皇居に向かわれる様子、剣璽等承継の儀、皇后となられて初のお姿となる雅子さまが皇居へ向かわれる様子、そして即位後朝見の儀での天皇陛下のおことばを余すところなくお伝えする。また、天皇陛下と皇后雅子さまのご友人らをゲストに招き、両陛下のお人柄に迫るほか、この記事に書けなかった三種の神器についての詳細、皇后雅子さまのお召しになるドレスやティアラの分析、そして即位を祝う列島各地の表情をお伝えしていく。
 
ぜひ歴史的な瞬間を、この番組で同時体験していただければありがたい限りだ。

(FNN「LIVE News days 令和“元日”即位の日スペシャル」制作スタッフ)

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