イスラム教徒たちの信仰のあり方が急激に変化

セント・セバスチャン教会FBより
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スリランカで発生した同時多発テロでは320人以上が犠牲となり、日本人も一人亡くなった。南アジアの島国であるスリランカには、シンハラ人とタミル人との間で長く内戦が続いた歴史があるが、その構図内にとどまっていては今回の事件を理解するのは難しい。解釈の鍵となるのはイスラム教だ。

21世紀に入り、世界はそれ以前とは比較にならないほどのスピードで変化し始めており、イスラム教徒たちの信仰およびその実践のあり方も急速に変化してきている。ここ10年ほどの間に、それを示す事象が世界各地で多く確認されてきた。 

特に重要なのが、アルカイダやイスラム国に代表されるグローバルなイスラム過激派ネットワークの広がりと、インターネットの普及に伴う一般のイスラム教徒の原理主義化だ。この変化は局所的なものではなく普遍的なものであり、スリランカのイスラム教徒にもこの変化の波は確実に及んでいる。スリランカはモルジブと並び、南アジアにおけるイスラム過激派の新たなホットスポットとして注目されていた。

「穏健」から「過激な原理主義」へ

スリランカ人はこれまでに数十人、あるいは数百人がジハードのためにイスラム国入りしたとされており、秘密裏に帰国した者も多いとされる。2015年には、スリランカ人イスラム国戦闘員がシリアで死亡したことが当局によって確認された。彼にはパキスタンでイスラム法を学んだ経歴があり、パキスタンで「過激化」したと非難されている。「穏健」だったスリランカのイスラム教徒に「過激な原理主義」をもたらしたのは、パキスタンやサウジなどでイスラム教を学んだ者達だと批判する声は多い。

 しかし「穏健」や「過激」「原理主義」といった描写には、それをそう描写する側の価値判断が強く反映されていることを忘れてはならない。同じころ、スリランカのイスラム教徒女性達の中に、全身を黒い布で覆うブルカを着用する人が増加し始めた。これに対し仏教徒であるシンハラ人は、「治安上問題がある」としてブルカ着用禁止を求めている。シンハラ人にとって、彼女らのブルカ着用は過激化と原理主義化の証であり危険な兆候だ。しかしブルカ着用を選択したイスラム教徒女性達に、自分たちは過激派だなどという自覚は全くない。イスラム教の聖典に立脚した教義に忠実であるべきだと考えた結果それを選択したのであって、彼女らにとってそれは間違いなく「善い意味での原理主義化」であり覚醒なのである。

スリランカでは過激なイスラム組織も結成された。今回の同時テロを実行したと当局によって認定されたNTJ(ナショナル・タウヒード・ジャマーア)もそのひとつである。スリランカのイスラム教指導者の一人は、NTJは異教徒殺害を呼びかけているとして三年前から当局に警告していたと証言している。

「神はこの世をイスラム教徒のために創造した」

スリランカでは去年、各地で仏像が大量に破壊されるという事件が発生し、当局はその背後にNTJがいるとみて捜査していた。今年に入り、100㎏の爆薬と多数の起爆装置を隠し持っていたNTJメンバーが逮捕されたりもしている。今回の同時テロの発生を予感させる事件だ。

NTJのリーダー格とされているのが、同時テロの首謀者にしてシャングリラ・ホテルで自爆したとみられるザフラーン・ハーシムである。彼は、ユーチューブに自身のチャンネルを開設し多くのチャンネル登録者を持つ人気ユーチューバーでもあった。彼は自身の説教を多く投稿し、そこでは次のようなことを述べていた。

「神はこの世をイスラム教徒のために創造した。」
「イスラム教徒に反対する者は誰であれ殺されるべきである。」
「不信仰の地に住むことは罪である。不信仰者がたとえ善行をしたとしても、私はその人を憎む。なぜなら彼は不信仰者だからだ。」
「ヒンドゥー教徒もキリスト教徒も仏教徒も不信仰者であり、彼らには生存権はあるが、統治する権利を持っているのはイスラム教徒のみだ。不信仰者は、イスラム教徒の統治を認め忠誠を誓うという条件下でのみ生存が許される。」

ザフラーンが述べているのは、イスラム教の原典に立脚した古典的な教義に過ぎない。そしてそこでは、不信仰は神に対する大罪とみなされ、不信仰者は敵とされている。こうした教義を文字通り解釈し実行すべきだと信じるジハード主義者にとっては、仏教徒もキリスト教徒も同様に攻撃対象たりうる。

テロの背景にグローバルなイスラム原理主義化の影響

セント・セバスチャン教会FBより
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したがって、スリランカ国内におけるコミュニティー間対立の構図的には、少数派であるイスラム教徒は自分たちを迫害してきた多数派の仏教徒をむしろ憎んでいるはずだ、恨みや直接的対立のなかった同じく少数派のキリスト教徒を攻撃するのはおかしい、という評価は見当違いである。グローバルなジハードという観点からは、シリアやイラク、アフガニスタンなどで多くの無辜なイスラム教徒を虐殺している大敵とみなされているキリスト教徒が標的とされるのは、むしろ当然であるとさえ言える。スリランカ政府はこれまでの調査結果から、今回のテロがニュージーランドのクライストチャーチで発生したモスク銃撃テロに対する報復であったことが明らかになったと述べている。

スリランカ当局も、同時テロ実行には国際的なイスラム過激派ネットワークの支援があったはずだと強調している。NTJはイスラム国に忠誠を誓っていたとされ、アメリカ高官もNTJとイスラム国とのつながりを指摘している。そこにどのような具体的つながりや関係があったかについては、今後の捜査結果を待つより他にない。しかし今回のテロの背景にグローバルなイスラム原理主義化の影響を見てとることは容易であり、またその要素を勘案することなくこれを理解するのは不可能である。

イスラム教徒の中に武器をとって戦う過激派となる者が出現していること以上に重要なのは、一般のイスラム教徒の原理主義化が徐々に進んでいる点である。聖典に書かれていることを文字通り理解しそれを実践するようになると、異教徒との軋轢は徐々に増加する。教義で明確に禁じられている同性愛行為や姦通を非難し、厳しく処罰すべきだという声も強まる。こうした現象は、日本に近いインドネシアやマレーシア、ブルネイといった東南アジアのイスラム諸国でもすでに確認されている。グローバルなイスラム原理主義化は、少なくとも日本に全く関係ないとは言い切れないところまで迫ってきている。

【執筆:イスラム思想研究者 飯山陽】

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飯山陽
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麗澤大学客員教授。イスラム思想研究者。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。著書に『イスラム教の論理』(新潮新書)、『イスラム教再考』『中東問題再考』(ともに扶桑社新書)、『エジプトの空の下』(晶文社)などがある。FNNオンラインの他、産経新聞、「ニューズウィーク日本版」、「経済界」などでもコラムを連載中。