【独自】あの板門店での凄絶 銃撃「脱北兵」が初めて語った“脱北理由”と“現在”

カテゴリ:ワールド

  • 決死の脱北を果たし…被弾の後遺症と闘いながらも韓国での暮らしに「満足している」
  • 「生活必需品は軍から出ていた」比較的恵まれた生活を捨て脱北した理由とは?
  • 「人生すべて捧げてでも」成し遂げたいと願うこと

世界に衝撃を与えた“脱北劇”

2017年11月、北朝鮮の兵士が板門店の軍事境界線から韓国へ脱北を試んだ。

北朝鮮の監視塔のすぐ脇の道を車で走っていくが、その先にある排水路の溝で脱輪してしまい、車は停止。兵士は車から降りて、走って韓国へと向かった。

監視塔の横を走る車

追いすがる北朝鮮の兵士が銃を発射し、腹部や腕に5発もの銃弾を浴びた脱走を試みた兵士は、国境線を越えたところで倒れこんだが、韓国軍の兵士に引きずられるようにして救助され、一命をとりとめた。

この脱北した兵士が、今回、日本のテレビ局に対して初めて素顔を出してインタビューに応じた。

「健康状態はよくない」軍仕込みの射撃の腕前を披露

脱北した元兵士の呉青成(オ・チョンソン)さんは、身長180cmの細身な25歳の青年。現在、ソウル市郊外のマンションで1人暮らしをしている。

呉青成さん:
家賃は1ヵ月、9万ウォン(9000円)程度です。このように生きているということに対して、韓国国民に、そして政府に本当に感謝しています。

そんな彼が、今ハマっているのがボウリングだ。 

呉青成さん:
ハイスコアは180~200点。(ボウリングは)韓国で初めてやりました。北朝鮮では、ボウリングはまだ大衆文化になっていないから。


現在の生活には「まあ満足しています」と話す呉青成さんは、脱北後、生死の境をさまよい3ヵ月間入院を経て昨年2月に退院したが、現在も痛みなどの後遺症に苦しんでいるという。

――体調は大丈夫?

打たれる前より健康状態はよくないです。食べても消化できないし、手術で腸をたくさん切除したので。
脊椎の方にも後ろから銃弾を1発受けたので、曇りの日には体がズキズキ痛み、毎朝、顔を洗うと鼻血も出ます。


――韓国での暮らしはどう?

北朝鮮では、現金しか使わないんですよ。韓国ではカードも使ったり、そういうのが慣れなくて。韓国はみんなガスレンジを使うのに、北朝鮮はまだ練炭を使っています。

北朝鮮では8年間、軍に勤務していたという。

呉青成さん:
運転兵や警務員など、いろいろな仕事をしました。私が板門店にいた1年半は、ほとんど毎日銃を撃っていました。

この日の射撃のスコアは100点満点中99点。「1発外しましたね」と言うが、かなりの腕前だ。

呉青成さん:
月給は、たばこ1箱か半箱買える程度でした。ただ、肉のスープも毎日くれるし、軍服もくれるし、生活必需品は軍から出ていました。

比較的、恵まれていたという北朝鮮での生活。それを捨て、なぜ脱北という道を選んだのだろうか。

“脱北理由”は軍幹部の父と友人との関係に悩み…いま何を願うのか?

呉青成さん:
父が金正恩委員長に忠実な人だったから、私も忠実でなければならないという圧迫感が強かった。

北朝鮮の軍の幹部だった父の厳しい指導に悩んでいたという呉青成さんは、隠れて見ていた韓国映画などを通じて韓国に興味を抱いていた折に友人とトラブルになり、衝動的に韓国への脱北を決意したのだと話す。

呉青成さん:
私はこの時、韓国に行くという考えしかなかったんです。

料理店では、野菜を手に取って「おいしそうでしょ?記者の方、よだれが出ていますよ」と笑顔を見せる呉青成さんには、時折訪れる場所がある。
それは、川を境に北朝鮮を望むことができる場所。かつて暮らした故郷は30kmほどしか離れていない。

呉青成さん:
故郷を思い出した時や憂鬱になった時に、ここに来ます。

脱北からまもなく1年半。被弾した後遺症は残るが、呉青成さんは今後について、大学で学びたいと話す。

呉青成さん:
北朝鮮と韓国を自由に行き来できるようになるなら、私は人生の全てを捧げてでも南北統一を成し遂げる仕事をしたい。

(「Live News it!」4月18日放送分より)

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