「君らは戻れない!」自動小銃とロケットランチャーの傍らで伝えたタリバン兵の姿

カテゴリ:ワールド

  • 上司の帰国指示を振り切ってアフガニスタンへ
  • アメリカの空爆を逃れてやってきた難民キャンプがどこまでも続く
  • テレビメディアとして初めてタリバン占領地からの中継は果たして・・・

国境を越えてアフガニスタンへ

夜になってBBCをつけると、すでに国境を越えスピンボルダックから中継をしていた。真っ暗で何も見えない中継だったが、「やられた」と思った。CNNも同じ場所から中継していた。彼らは、ビザを受けっとってすぐに出発していたのだ。戦争取材に不慣れでノウハウが無かったと言えばそれまでだが、国際的なメディアのしたたかさを見せつけられた気がした。

翌朝、メディアがコンボイになってアフガニスタン入りする集合場所に行った。欧米の戦争取材慣れしたメディアは、トヨタのピックアップトラックなど、砂漠に適した車を手配していた。契約のジャーナリストは確かに車を手配していたが、古いハイエースだった。僕らのハイエースは国境を越えられるのか不安になった。

領事館の前に並んでいたメディア関係者の数を考えると、コンボイを組もうとしている車の数が少なかった。一部のメディアがすでにアフガン入りし中継しているを知って、朝早く出発したメディアもあったという。前触れなく、本社の外信部長から電話が入った。パキスタンに来てから初めての会話だった。

「アフガニスタンに行くのを辞められないか」
突然の話に僕は当惑した。初めてタリバンの占領の地域に行けること、BBCなどのメディアがすでに現地入りしていること、そしてビザをとるのに苦労したことを思うと「辞める」という選択肢は無かった。おまけに、カメラマンとVEも、二人とも二つ返事だった。

「もう、コンボイを組んで移動中です。今から我々だけ離脱して戻るのは危険かと思います」
僕の嘘を知ってか知らずか、部長は「判った」とだけ言って電話を切った。

出国審査で「君らは戻れない」

直後に契約ジャーナリストが、別の日本の民放局は国境越えを断念したと伝えてきた。例の僕らより優先してビザを取ってあげていた局だ。
「僕らは行きましょう」僕は、静かに伝えた。

結局、出発した時はコンボイどころか、数台の車列だった。クエッタ中心部を出ると、砂漠が広がっていた。道路沿いに開けた市場のような町があったが、よそ者が来るとすぐにそれと分るような小さな町だった。時々、クエッタの町方に向かう救急車とすれ違った。空爆で両足を失ったあの少年のような患者が乗っているのだろうか。

国境に着くと、パキスタン軍の兵士が目立つようになった。アフガンからの流入を阻止するということか。そして、判ってはいたが次の試練が待っていた。

パキスタン入国管理局の出国審査。島国の日本で出国審査と言えば、空港か港からしかなかったが、世界のほとんどの国は陸続きだ。一戸建ての出国審査の建物に入ると机があり、審査官が座っていた。パスポートと僕らの顔をまじまじと見て、あきれ顔で言った。

「君らはもどれない」
パキスタンに入国した際に、ビザを1次から数次に切り替える必要があったが、間に合わなかったのだ。契約のジャーナリストは数次ビザを持っていたので先に入国審査を終えていた。僕ら日本人3人は戻れないのだ。
「判っています。我々は、カンダハールからイランの方に抜けるので大丈夫です」
僕の答えに、さらにあきれ顔になり、やれやれと出国スタンプを押してくれた。

タリバンのシングルビザ

もちろん、イランに抜けるわけがない。僕は、インマルサットで本社と連絡を取り合っていれば、何とかパキスタン政府に働きかけ戻れると考えていた。車に乗り込みアフガニスタン側に入った。すぐに入国審査の施設があるわけではなかった。

空爆から逃れ、どこまでも続く難民キャンプ

しばらく走るとテントの一群が見えてきた。難民キャンプだった。どこまでも続いている。当時からアメリカ軍は、地上戦での被害を最小限に抑えるために、深夜に空爆を行っていた。直接の交戦をする前に、相手の拠点を根こそぎ叩いておこうというわけだ。

湾岸戦争の時に、暗視カメラに映し出された緑色に光る軍事拠点をピンポイントで爆撃する映像が公開された。映像は、ゲームのように相手の拠点を次々と叩き潰す様子が映されていたが、そこには、沢山の人もいただろう。

第二次世界大戦の時の日本軍の施設もそうだったが、軍事的な拠点は住宅などの民間施設に散りばめられて隠されている。軍事拠点の爆撃は一般市民の犠牲とは切り離せない。どこを爆撃さえるかわからない住民は、パキスタン国境に来るしかなかったのだろう。

自動小銃を手にしたタリバン兵の姿もチラホラ見えた。しばらく進んだ町の一角の民家にアフガニスタン側の入国管理施設はあった。我々は、そこでパスポートを取り上げられた。すでにここを通過したジャーナリストのものが床に広げられていた。数にも驚いたが、様々な色のパスポートが床に並べられていた。

さらに数時間走ったところで壁に囲まれた学校のような施設があり、そこに入るように誘導された。すでに暗くなり始めていて、会見は明日開くという。敷地の中にはすでに駐車車両の長い列ができていた。自動小銃とロケットランチャーを持ったタリバン兵の姿も見え、緊張が走った。

唯一の建物の中は足の踏み場もないほどジャーナリストが押しかけていた。欧米のメディアがほとんどで、日本のメディアは、通信社が1社、新聞社が1社だけだった。他の民放で仕事をしている制作会社のカメラマンもいたが、彼らは長期間滞在する装備を持っておらず、早々に退散した。

現地は、昼間は半そででも暑かったが、夜は底冷えがする。ヒーターを入れているからか、駐車車両はどれもアイドリング状態で、車内で寝ると一酸化炭素中毒になる可能性があると思った。建物の中に居場所は確保できそうにないので、野外に布団を敷き、身を寄せ合って眠ることにした。CNNのテントの横にスペースがあったので、そこを陣取った。緊張で疲れが溜まったのかすぐに眠りに落ちた。

ところが、下からの寒さで目が覚めた。砂漠の気温の変化は激しく、まるで氷の上に布団を敷いて寝ているようだ。それでも何とか寝ようと上着を着て再び布団に入った。周囲は灯りも無く、漆黒の闇だが、遠くで音がかすかに聞こえた。

耳を澄ますと、ゴーという音が間断なくしていて、時折「ヒュー、ドン」「ヒュー、ドン」という打ち上げ花火のような音がする。あ、これが夜間の空爆か。空を凝視したが機影は見えない。また、ドンという音の先を見ても何も見えなかった。少し不安になったが、CNNの横にいれば爆撃に巻き込まれることはないだろうと思った。

タリバン占領地域から初の中継

翌朝、鼻歌で目が覚めた。
CNNのアンカーの男性が鼻歌を歌いながらひげを剃っていた。もちろん僕らのひげは伸びっぱなしだった。飲料水は無駄にできない。CNNにはロジを担当する人がいて、施設内の良い場所を選んでいくつもロゴ入りのテントを建てていた。衛星中継用のパラボラをピックアップトラックに積んで横付けし、まるで野営基地のようだ。さらに驚いたのは、コックを帯同していて、良い匂いがこちらまで届いていた。

僕らは、貴重な飲料水をポットで沸かして、日本が世界に誇るカップヌードルを食べた。それでは足らず結局、シャーにテントと食料を買いに行かせた。時差は4時間半。こちらで6時に起床しても10時半だ。編集会議は9時からなので、明るくなって電話したころには、編集会議が終わり、カブールからの中継が決まっていた。

「カブールは横並びでしょう。ここはアジアのテレビメディアでいるのはうちだけ。タリバンン占領地域から日本メディアとして初の中継と売り込んでください」とインマルサットを通じて威勢よく説得を試みた。

10分もたたないうちにとデスクからの返事が来た。
「トップ項目になった。長さも言い値でいいそうだ。」
ロケットランチャーを持つタリバン兵の映像などを送って中継に臨んだ。当時のインマルサットを使っての中継は動画というよりは、コマ送りのようなカクカクした映像になってしまうものだった。それでも、タリバン兵がフジテレビだけに映っていることは意義があったらしく、夕方も中継でというリクエストが来た。

買い出しを頼んだシャーが帰ってきた。テントは中国製のしっかりしたものを買ってきた。厚手の布を紺色に染めてある。僕らはここに英語と日本語で「フジテレビ、アフガン支局」という文字と、会社のシンボルマークの目玉を描いて張り付けた。これで機材を外気にさらさずに済むし昼は直射日光が遮れた。夜も急激な温度差に悩まされることはない。

食料は、ナンを買ってきてくれた。カレーと一緒に食べるパンのようなものだ。新聞紙に包まれたナンは、砂が少し混じってジャリジャリしていたが、温かいのが嬉しかった。
中継のためには発電機を動かさないと電源が確保できなかった。準備のために発電機を回してみると、白い煙が出て、やがて止まってしまった。買ったばかりのYAMAHAの発電機なのに、なぜ。僕らが途方に暮れているとイギリスのジャーナリストが助けてくれた。どうやら軽油を使わなければいけないのに、別のものを入れてしまったのだ。僕らは、感謝の言葉を伝えたが、どうってことないという風で彼は仕事に戻っていった。こうした極限の戦場取材で助けてもらい本当に助かったが、彼のさりげなさは格好良かった。

インマルサットを使った中継は、カクカクした画面のぎこちないものになった。カメラを横に振るとよりカクカクが目立つので、できるだけフィックスで事前に時間をかけて送ったインサート映像を使ってもらった。ただ、今回の中継の際は、僕らのいた施設の塀にたくさんのアフガニスタン住民が座って中継の様子を見ていた。東京のデスクは映像を観て「鳥が電線にたくさんとまっているような異様な感じが伝わってきた」話していた。

【執筆:フジテレビ FNNプロデュース部 森安豊一】

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