幼少期の食べ物への満たされなかった欲求は“大人になって爆発する”説は本当? 専門家に聞いた

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  • ジャンクフードばかり食べている大人は“子どもの頃に食べられなかった反動説”が議論
  • 専門家「爆発している方がレアケース」
  • スマホの場合は欲求が爆発する可能性も

「食べ物の恨みは恐ろしい」

こんな言葉を聞くことがあるが、今回とりあげるのは子どもの頃の話。

「毎食のように炭酸飲料をがぶ飲み」「1日1袋はスナック菓子をたいらげる」。
ジャンクフードなどに執着しているこんな大人に、「なぜそんなに食べるの?」と聞くと、「子どもの頃に食べさせてもらえなくて。その欲求がいま抑えられないんだ」という答えが返ってくることがあるという。

大人になってドカ食いしてしまう原因が、子どもの頃に食べられなかったり、親に止められたりしたことの反動が影響してるのではないかという説が、ネット上でちょっとした議論になっている。


確かに我慢しすぎはよくないというので、子どもの頃に満たされなかった欲求が爆発したというのも一理ある気もするが、ただ単に大人になってからハマってしまっただけという可能性もある。

実際のところはどうなのだろうか? 臨床心理士で明治大学文学部教授の諸富祥彦氏に話を聞いた。

食べ物への欲求が大人になって爆発することはレアケース

――食べ物への欲求は、大人になってから爆発することって多いの?

ほとんどないと思います。あるほうがレアケースだと考えます。例えば大人になってから、「どうしてこんなにスナック菓子ばかり食べているんだろう」と思った時に過去を振り返り、子どもの頃に満たされなかった欲求を理由に自分の中で納得することはあるかもしれません。

それよりもむしろ、自身の過去に関係なくただその食べ物の美味しさにハマり、習慣化した可能性のほうが高いと考えます。


――子どもの時に食べさせてもらえなかった反動で、ずっと食べ続けるということではない?

ないと思いますね。あるとしても1〜2カ月ほどの短期間でしょう。そしてこの期間に毎日のように食べ続けたことで、欲求とは無関係の食べる習慣がつき、ずっと続くというケースはあるかもしれません。

しかし食べている本人としては、「小さい頃に我慢させられていたからだ」という主観的な意味付けをして納得する傾向があります。

一方で客観的に原因を考えると、習慣行動となった結果だと言えるのです。一般的に、本人の意味付けと客観的な原因は異なることが多いです。この両者を区別することが大事です。

スマホの場合は欲求が爆発する可能性も

――我慢させられていたのがゲームなどの物だったら?

例えばスマートフォンに関して言うと、「したくてしたくてたまらない」と考える子どもが多く、無理やり我慢させられるとその反動は大きいです。

しかし、菓子などの場合は「食べたくて食べたくてずっとこらえて…、やっと食べられる!」となる人はそれほどいないでしょう。菓子などの場合は小さい頃にすんなりあきらめてしまい、それほど食べたいという衝動が毎回のように湧き上がるとは思えません。

しかしスマートフォンの場合は、今だとほとんどの子どもが所有していることもあり、「やりたい」という欲求をずっと持っているように感じます。

しつけでも何事も“ほどほど”が大切

――ではいま、子育てにおいては何が重要か?

“ほどほどに”ですよね。「本当は良くないんだけど少しならいいよ」などと、バランスを取ってしつけをすることが大事です。

精神科医・フロイトは、抑圧の理論として「肛門期」を唱えていました。子どもは3、4歳の頃からトイレトレーニングを始めるのですが、親が厳しいとウンチを出しちゃいけないと思い、体内に溜める傾向にあるのです。

そして、なんでも我慢して溜める癖がつき、お金もためるケチな人間になってしまいます。全ての欲望について我慢する傾向にあるのです。「そういう影響が小さい子にある」とフロイトは指摘していているのです。逆に親が甘すぎると「何にも溜められない人間になる」とも言及しています。


――やはり、バランスが大事だと言うこと?

はい、適度にするべきです。

菓子の話に戻りますが、母親から「食べてはダメ」とずっと言われているとします。このフロイトの理論によると、大人になったら反動で食べるというよりもむしろ食べられない人間になるのです。我慢をいいことだと思い込んでいるので、食べていいよと言われても、「いやいや」と自主的に我慢を続ける傾向がむしろ強いのです。


子どもの頃に食べられなかったものを大人になってからずっと食べ続けるのは、どうやら欲求が爆発した結果ではないようだ。本人もそう言うことで自分を納得させているのではないかという見解だった。

だからと言って、親が一方的に何でも子どもに我慢させるのも良くないということで、やっぱり何事にも「ほどほど」が大事だということだ。