貴重な史跡が“シロアリ”被害、老朽化

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教頭先生:
みなさん、東恩納博物館というと、博物館らしい建物をイメージしていたと思うんですが、これがそれです…

沖縄県 うるま市にある東恩納博物館
とても博物館には見えない、沖縄風の家屋がいま、解体の危機にさらされている…。

戦後のがれきの中から運び込んだ首里城の龍柱の頭部、ずらりと並んだ陶器や織物
東恩納博物館は、これまで戦争で見る影もなくなった沖縄の建築様式や、被服織物、芸術文化など、あらゆるものを紹介してきた。

危機を免れた文化財

かつて、この東恩納博物館で働いていた男性がいる。
川平朝清(かびら ちょうせい)さん91歳。
ジョン カビラさん、川平慈英さんら3兄弟の父親で、沖縄の戦後初代アナウンサー、NHK沖縄放送局の前身、沖縄放送協会の会長も務めた人物。

川平朝清さん
川平朝清さん

英語が話せた川平朝清さんは、かつて、この東恩納博物館で、アメリカ軍の将兵や家族を相手に通訳を務めていた。川平さんは、当時の博物館の様子をこう語る…

川平朝清さん:
事実は、『オキナワ イグジビット』という英語の名前でしたから『沖縄展示場』程度のものですよね…
戦争で破壊されたところから残ったものを見つけて持ってくる…、あるいは破壊されないようなところ、例えば金武のお寺から仏像を持ってきたりとか、そういうところから集めて展示した。

沖縄戦で多くの寺社建造物が消失した中、戦火を免れた金武観音寺。
本堂に佇む4体の仏像は戦後しばらくの間、東恩納博物館に移されていた。

当時、貴重な文化財が戦利品として沖縄から持ち出されたケースは少なくなかった。
しかし東恩納博物館に移された事で破壊や流出が免れたのだ。

老朽化そして解体へ…

こうした歴史的な背景をもつ東恩納博物館も、いまや老朽化が進み解体は避けられない状態だという。

建築士の真栄城 厚さんは地域に眠る歴史文化遺産を発見し、その保全や活用を目指す沖縄のヘリテージマネージャーの1期生だ。

ヘリテージマネージャー 真栄城 厚さん:
(この建物に使われている)チャーギという部材は(本来は)シロアリも入りにくい硬い素材です。しかし、
梁にも表にも完全にシロアリが入っているので…文化財という案内もあるので家主さんの努力というのも大変だと思いますよ…

しかし、建物の外観とは違い、内部はかなり状態よく保存されているのがわかる。

ヘリテージマネージャー 真栄城 厚さん:
柱、鴨居、欄間関係…結構、造りは豪華な造りになっています…

あるアメリカ軍将校の尽力

外観は、老朽化が進んでいるのに、内装はなぜ豪華な作りで温存されているのか?
実は、その背景には、あるアメリカ軍の将校の尽力があったという。東恩納博物館を整備し、沖縄の教育や文化の復興に尽力したアメリカ海軍政府のウィラード ハンナ少佐。

ハンナ少佐と長年深く交流していた琉米歴史研究会の喜舎場静夫理事長は、当時のことをこう振り返る…

琉米歴史研究会 喜舎場静夫理事長:
(ハンナ)先生は学者ですから、文化は大事にしないといけないと…ハンナ博士はよく知っていました。
首里城や円覚寺の焼け跡からハンナ博士がトラックに載せてこっちに持ってきたんです…


戦争の大きな犠牲を被った沖縄の文化に深く同情していたというハンナ少佐。
ハンナ少佐が尽力した博物館の存在は、文化財がバラバラになり行方が分からなくなることを防ぐことにもつながった。

首里城の近くにあった円覚寺。琉球における臨済宗の総本山で第二尚氏王統の菩提寺だった。緑に映える荘厳な寺院で1933年に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊された。

ハンナ少佐は旧日本軍の第32軍が南部に撤退した直後から首里に入り、がれきの中から文化財を集め、その中には首里城や円覚寺の部材も含まれていた。

琉米歴史研究会 喜舎場静夫理事長:
もともと東恩納博物館には、このインテリアはない。ハンナ先生たちが全部組み立て、沖縄の首里城の焼け跡から持ってきた木材です…

戦後、しばらくアメリカ軍の政府が置かれたうるま市には、実は首里城や寺院の部材が使われた建物がいくつも残っているという。

ヘリテージマネージャー 真栄城 厚さん:
これをこのまま、壊して灰にするのももったいない、かなり技術を持った大工さんたちが釘とか使わないで作って組み立てているので、それをまたばらすのも難しいんですよ…

1953年、東恩納博物館は、首里城周辺から民間の有志が文化財を収集した郷土博物館と統合され、本格的な博物館として一歩を踏み出した。しかしその後、行政に放置され保全の手立てが見いだせない「戦後の博物館の原点」。

川平朝清さん:
この家は70年どころか、それ以前にも建っていた建物。それをようやくここまで保存したのに今後、保存できなくなるというのは大変残念に思いますけど、そういう時代になったのかという悲しい思いもします。

若い世代が、歴史的な建物とともに、文化財など、沖縄の歴史に触れる機会は今後、ほとんどなくなってしまうかもしれない…。

訪れた高校生は…
「これだけ大事にされてきたのが、なくなってしまうのは悲しいと思うと同時に、自分たちの後輩とか、親とか様々な人々に、こういう建物があったんだよと後世にも伝えたいと思いました…。」

建物の所有者も歴史的な意義から保全に努めてきたが、個人の力では限界ということで「解体」を選択せざるを得ない状態にあるという。

琉米歴史研究会やヘリテージマネージャーの人々は、今も、建物の保全や内部の柱などの部材を活用する道を探っているという。

(沖縄テレビ)

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