昨年9月に日本相撲協会に引退届を提出し、30年以上にわたる角界人生にピリオドを打った元貴乃花親方・貴乃花光司(本名・花田光司)。大相撲で史上6位となる22度の優勝を誇り、「平成の大横綱」と呼ばれていた。

現在貴乃花さんは、元貴乃花部屋に暮らしているという。

4月4日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、MCの坂上忍が元貴乃花部屋を訪れ、謎の同居人や、今始めようとしている新事業、そして今もなお元貴乃花部屋に住み続ける理由について直撃した。

貴乃花さんと一緒に住む謎の“同居人”

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この日、坂上が訪れたのは、現在貴乃花が自宅兼事務所として使う元相撲部屋だ。

去年10月に相撲界を引退し、部屋がなくなって半年。中の様子を覗いてみると、土俵や神棚、先代貴ノ花の写真が飾ってあるなど、使われなくなった土俵にひび割れが起きてしまっている以外は、当時のままだった。

貴乃花さんは、1階にある土俵横の“ちゃんこ場”を今もキッチン・ダイニングとして使用し、2階と3階を居住スペースとして使っている。そしてこの家には貴乃花さんだけではなく、身の回りの世話をする「最初で最後の内弟子」の元力士の貴輝鳳さんと、大学卒業したての新人マネジャー・北島さんとの3人で暮らしていた。

「育ててもらったので、少しでも力になれれば」と、内弟子として残った理由を話す元貴輝鳳さん。17年来の付き合いとなる貴乃花さんの現在の印象を聞いてみると、だいぶ丸くなったと明かした。

坂上も表情が柔らかくなったと指摘すると、「弟子がいると、部屋の大将っていう看板がありますんで、なかなか笑顔とか出しにくいのかもしれないですね」と自身を分析。さらに、坂上自身がMCを務める『バイキング』でも紹介された「国会議員になってほしい」という声や、「スポーツ庁長官なんて向いてるんじゃないですか」という声について尋ねると、「いや、分かんないです。そのへん、全く理解ができないんですけど…。しょうがないのかなと思うんですけど、ネタ的なものなんじゃないですかね」と政界への道は否定していた。

一方、マネジャーの北島さんは、貴乃花さんの初めての印象は「怖かった」と笑いながら、「親方の今後の活動の内容を聞く機会がございまして、自分も携わらせていただきたいなと思いまして」と、一緒に住む理由を話した。

”親方の今後の活動”とは一体何なのだろうか。

引退後に取り組む新事業

2003年に絵本『小さなバッタのおとこのこ』を出版し、最近も絵本作家を目指すと報じられていた貴乃花さん。実は世界進出をも視野に入れた、ある壮大な事業に取り組み始めていた。

この日、貴乃花さんは、手慣れた様子で自宅のキッチンでちゃんこ作りをしていた。

手際よく肉団子をこねながら、昔を振り返り笑顔を見せていた。 「出世が早かったからやってないだろとかよく言われますし、同業者からもよく言われたんですけど、やらないと出世できないですよ」。

15歳で父の相撲部屋に入門し、22歳の若さで横綱になった貴乃花さんだが、実は新弟子の頃は雑用に追われる生活だったという。

「巡業の寒い真冬にちゃんこ場で洗い物をしていた時の手を思い出します。新弟子の頃、水しかなくて、食器洗って、その後買い出し。買い出し行っている途中でお腹空いて、焼き鳥屋さんで買ってちらっと食べたら兄弟子に見られて。でも知らん顔してくれたっていう。『早く帰ってこいよ』って目でニヤッと笑いながら。みんな経験しているから、『あいつ腹減っているんだろうなー』って」と当時を懐かしむ。

このちゃんこ鍋が、新事業では大きな役割を果たすという。

貴乃花さんが新事業のためにやってきたのは、東京・六本木ヒルズ。密着カメラが捉えた極秘のミーティングには、新しい子育てを目指し保育事業を展開する会社の代表が参加していた。

この人たちが、 貴乃花さんの思いをかなえるキーパーソンだという。

この日、六本木ヒルズには多くの子どもが集まっていた。
「たかのはなさーん!」という子どもたちの声に笑顔で答える貴乃花さん。

ビルの谷間に5トンもの土を使って作り上げた土俵で子どもたちと四股を踏み始めた。

これは保育事業を展開する会社とタッグを組んで、子供たちに日本の文化である相撲を楽しんでもらうイベント『しこあそび』の開催だった。(主催:ONE ROOF ALLIANCE )土遊びの気軽な感覚で裸足で土俵にあがり、四股を踏んで心と体を鍛えてもらうのが目的だ。

「礼に始まり礼に終わるという所作も、土俵の中にあるものは日本の一般家庭で大切にされてきました。精神性の文化がたくさん詰まっているんですよね」と話す貴乃花さん。

「引退しないと、活動を広げていくことはなかなかできませんので」と、相撲界を去ったからこそできる活動をしている。

元横綱に体を思いっきりぶつけることができる相撲教室にも子どもたちは夢中になり、イベントの最後には、貴乃花さんが手塩にかけて仕込んだ特製ちゃんこ鍋が振る舞われた。

「お子さんにお教えする、触れ合うこと、これを念頭に広げていきたい。国を超えてでもそういう“ふれあい”ができればいいいなと思いますね」と笑顔で語った貴乃花さん。

今後は社団法人を設立し、『しこあそび』のような事業を、海外展開していくことも視野にいれているという。

この日貴乃花さんは、子供たちとともに、第二の人生の第一歩を踏み出していた。


母・藤田紀子さんとの関係は「これからゆっくり」

貴乃花さんと母・藤田紀子さんとの関係に切り込んだ坂上。

2人の関係性について聞くと、「一般的に分かりにくいと思うんですけど、“師匠の跡継ぎ”っていう感じなんですよね。師匠が作った相撲部屋という組織があると。これをとにかく真っ先に成功させなきゃいけないという感覚ですかね。それと考え方が違うと、身内でも、親族であっても、自分に課していかなきゃいけないものがあるというか」と答えた貴乃花さん。

「家族より、こっち(土俵)が大事?」という坂上の質問に「これまではですね。そうですね。角界があって、部屋があって、若い衆がいて、その順番というのは絶対崩しちゃいけないということでやってきました」と、これまで何よりも優先してきた“親方”としての信念を明らかにした。

引退した今は、気楽になり、弟子を旅立たせたことで一つ区切りが付いた気分だと言うが、紀子さんとの関係についても「時間かけて…と思うんですよね。これからゆっくり考えようって、考えていますね」と微笑みを絶やさなかった。

幼少の頃はとても仲がよかったという花田家。今回の密着では、こんな話も飛び出していた。

「夏は1ヵ月軽井沢にいたんですよ。お母さんが好きで。お父さんが別荘を用意してくれて」

しかし、全国を1年中巡業で回っていた父ゆえに、家族4人揃っての旅行はほとんどなかったという。

「お父さんもお母さんも厳しいんですけど、優しいんですよ凄く。凄く優しいんです。だから子供の思い出になるようにって、軽井沢もお父さんが家を買ってくれて、子供たちが夏休みの1ヵ月、住めるようにってことだったんですよね」

そう語る貴乃花さんの目はとても優しかった。

いつまでも元貴乃花部屋に住み続けるワケ

そんな仲が良かった花田家で起きた“ある出来事”が、貴乃花さんに相撲部屋に住み続ける決意をさせたという。

そもそも貴乃花さんが力士を目指したきっかけは、今から39年前。

めったに家にいなかった父だが、たまに家に帰ってくると、必ず一緒に風呂に入ったという。
実は父は子供たちに厳しい相撲の道を歩ませるのではなく、大学進学を望んでいたという。

しかし貴乃花さんが8歳の時、父・貴ノ花が引退。現役の間、怪我に悩まされ続け、横綱まであと一歩というところでの決断だった。

まだ幼い貴乃花が当時の気持ちを語る貴重な映像には、どんな気持ちだったか問われ 、「やだった」「泣いた。泣きました」と答える姿が残っていた。

志半ばで引退した父の代わりに横綱になる。

そう決意した貴乃花さんは15歳で、中学卒業と同時に、父の元へ入門。

入門前日、「15年間お世話になりました」とお礼を言った貴乃花さんの言葉に、父は涙を流しながら、「いいか。今日で涙は終わりだ。俺が死ぬまで泣くな」と語ったという。

貴乃花さんは当時について「親子関係はもうなしということですよね。(入門を決めたとき)『親子の縁は切れるけど、いいか?』と言われたんで、『いいです』と言いました。やっぱり『親子の縁を切る』って言わないと耐えられない世界だっていうのは、師匠は分かっていたんでしょうね」と振り返る。

それ以来、父と子ではなく、師匠と弟子という関係が始まった。

今回の密着中も、偉大な父を持つ「2世」ならではの苦悩を明かす瞬間があった。

「よっぽど他人が師匠だった方が楽だったのになって思うことあります。どんな業界でもそうでしょ。両親と同じ業界に入ると、「立場持っているんでしょ」 とか言われちゃうけど、それが全然違って。親を社長に持った人間にしかわからないつらさってあるんですよ。実の父と思ったらできないですよ。師匠と思わなきゃ、どの職業も。お父さんと思ったら道外れていっちゃいますよね。甘えられちゃうと思っちゃうから」

「ジュニア」や「2世」は強くならないと「サラブレッド」と言われない…そんな想いを口にしていた。

父に弟子入りした後は、16歳9ヵ月で史上最年少の幕下優勝、19歳5ヵ月で史上最年少の幕内優勝。
そして1994年に、貴乃花はついに横綱へ昇進し、8歳の時に「父の代わりに横綱になる」と決意してから15年越しの夢がかなった瞬間だった。

その横綱になるということは父の目的、師匠の目的でもあったと語る貴乃花さん。自分としては“分け身”だと考えているという。

「一緒って感じですね。二つで一つって感じですね。だから私が父を超えたんじゃなくて、父の生きようが私に移って、そこに私が相撲を取っていたというだけという感じですかね」

兄の花田虎上さんについては、「昔から、運動神経抜群でしたね」と語った貴乃花さん。
「足なんか見てもそう。ちょっと鍛えたからできるような足の形状とかしてないじゃないですか。体重があっても、走ったら速かったですしね」
兄のほうが運動神経があったと認め、自身については努力型で「相撲なら相撲のことを積み重ねていくっていうタイプかもしれないですね」と分析していた。

2003年に引退した『平成の大横綱』。
断髪式には、師匠でもある父の姿があった。
入門した日の父の「俺が死ぬまで泣くな」という一言を貴乃花は守り、断髪式でも涙は見せなかった。

しかし2004年、貴乃花引退の翌年、父に大きな病が判明する。

舌の奥から歯茎にかけて腫瘍ができる「口腔底がん」。

医師には「あご」を切除する大きな手術になり、手術が成功しても、話すことができなくなると言われた貴乃花さんは病名を父に明かすことはなかった。

「それは子供からしてみたら、命がけですよね。言ったら自分が楽になるけど、言ってつらくなるのは親父であって、これは自分が身代わりでいけばいいやというぐらいな感じですかね」

抗がん剤治療で一時はがん細胞を抑えた父だが、医師から告げられたのは、余命3ヶ月の宣告だった。がんが再発し、病状が急激に悪化してしまったのだ。

「部屋を頼むぞ。部屋をとにかくしっかりやれ」と常に言われていたという貴乃花さん。

貴乃花さんはそんな父を安心させるため、父に「若い衆はまとまっています。大丈夫です」と言葉をかけた。すると父はペンをとり、「それが一番」と書いた。

これが、貴乃花さんと父が最後に交わした言葉となった。

2005年5月30日に55歳で永眠した父・貴ノ花。

貴乃花さんは著書『生きざま』に以下のように書いている。

〜最後に私は父の体を抱きしめた。 
これから、ゆっくりと父との時間がもてると思っていたのだ。
二人で旅行に行ったり、酒を酌み交わしたり、
まだまだこれから父とやりたいことがたくさんあったのだ。
師匠と弟子ではなく、ただの父と息子として〜


棺に眠る父に、貴乃花さんはそっと頬を重ね合わせたという。これが「師匠と弟子」 として生きてきた2人が、17年ぶりに親子に戻った瞬間だった。

「この方(父)がいなければ、いまの私はいないですね。師匠であり、父親でありっていう感じですかね。今はですね。亡くなってから。あと私、業界引退したから、少しずつそう思えているのかもしれません。ただ、ここ(土俵)を守らなきゃっていうのは、私のためじゃなくて、先代(父)のために。できる限り、ここは残していくっていう感じです。土俵ですね」

だからこそ親方業を引退した後もここに住み、父の遺志を受け継ぎ、譲り受けた土俵を守っているのだ。

最後に坂上がプライベートについて切り込んだ。

坂上の「2回目の結婚はないですか?」という質問に対して「ん〜まあ…どうなんだろう」と悩む貴乃花さん。無くはないとしつつも「さっきいた2人と 、今3人で暮らしていて、仕事こなしながらやっていって、とにかく不自由は今ないんですよね」と話した。

さらに、「ちょっと今広いんですけどね〜。そうですね、とりあえずはここにいて、まだいられるかな〜?って思っているんですけどね。とは言っても、もう業界を引退してから生活もしていかなきゃいけないので、それをどういうふうにしていくか。ただ焦って考えてもしょうがないですから。本当にやりたいことっていうのを自分の中で探り出して、そこから皆さんの協力を得てやっていきたいな〜と思っていて」と今後の生活について考えていた。

しばらくは再婚はない様子だが、貴乃花さんの“第二の人生”から目が離せなさそうだ。



(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)

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