女帝の無慈悲な通告

北朝鮮は事前予告通り、開城工業団地内の南北共同連絡事務所を爆破した。

南北共同連絡事務所が爆破される瞬間(映像:韓国国防省)
南北共同連絡事務所が爆破される瞬間(映像:韓国国防省)
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北朝鮮側は午後5時前にまずラジオで速報。続いて同5時のテレビニュースの最後に男性アナウンサーが爆破の知らせを40秒あまり読み上げた。

「ゴミ共とこれを黙認した者らが罪の代価を十分受け取らなければならないという激怒した民心に従い、北南(南北)間の全ての通信連絡線を遮断したのに続き、我が方の該当部門では開城工業団地にあった北南共同連絡事務所を完全破壊する措置を実行した。16日14時50分、大きな爆音と共に北南共同連絡事務所が悲惨に破壊された」

北朝鮮の報道は当日のニュースをその日のうちに伝えることはまれだ。

爆破を伝えるアナウンサー
爆破を伝えるアナウンサー

これまでは、翌日の早朝、まず第一報を朝鮮中央通信が文字で伝え、労働新聞が写真と共に報じた後、午後にテレビニュースで紹介されるのが定番の流れだった。

今回は爆破の数時間後にラジオとテレビで報じる異例の速報となった。韓国をはじめとした国際社会への強いアピールと言える。

6月に入り北朝鮮は韓国批判を強めてきた。きっかけは5月31日に韓国の脱北者団体が飛ばした金正恩朝鮮労働党委員長らを批判するビラの散布だ。北朝鮮側はこれに激しく反応し、金与正・党第一副部長が4日、「人間の値打ちもないくず、汚い口をつぐまない連中」などと脱北者団体や韓国政府の対応を激しく批判した。

散布された金正恩朝鮮労働党委員長らを批判するビラ
散布された金正恩朝鮮労働党委員長らを批判するビラ

その後は連日のように韓国への圧迫をエスカレートさせていた。

4日 金与正氏がビラ非難の談話「相応の措置をとらないなら十分に覚悟すべきだ」

5日 党統一戦線部(対南窓口)報道官談話「南北共同事務所の撤廃など決定的措置を取る」

9日 朝鮮中央通信「9日正午に全ての南北通信連絡線を全て遮断し、廃棄する」

11日 韓国政府が南北交流協力法違反でビラを撒いた脱北団体を警察に告発

12日 統一戦線部のチャングムチョル部長談話「大統領府の対北ビラ『厳正対応』に疑心」

13日 金与正氏談話「南北共同事務所は遠からず跡形もなく崩れさる」

15日 文在寅・韓国大統領「状況が良くなるのをこれ以上待っていられない。南北で推進できる事業を探していく」

16日 朝鮮人民軍総参謀部が公開報道文「非武装地帯に軍再進出」

韓国政府は11日にビラを撒いた脱北団体を南北交流協力法に違反する、として警察に告発。北朝鮮の脅しに屈するのか、との批判もある中で、北朝鮮に「相応の措置」を示して見せた。

さらに15日には文大統領が首席秘書官会議で「南北が共に突破口を見いだす時期に来ている。状況が好転するのをこれ以上待ってはいられない」と述べ、北朝鮮への単独支援に踏み切る可能性もにじませていた。

しかし、北朝鮮側は韓国の懸命な“ラブコール”を完全に無視しただけでなく、連絡事務所爆破という冷や水を浴びせかけた。

与正氏「私に与えられた権限で次の行動を指示」

金与正氏は「連絡事務所の破壊」を予告した13日の談話でこうも述べていた。

「金委員長と党と国家から付与された私の権限を行使して対敵活動の関連部署に次の段階の行動を決行するよう指示した」

「われわれの計画についてこの機会に暗示するなら、次の対敵行動の行使権はわが軍隊の総参謀部に渡そうとする」

「わが軍隊が人民の怒りを多少なりとも静められる何かを決心して断行するものと信じる」

権威向上が明らかな金与正氏
権威向上が明らかな金与正氏

与正氏は兄の金委員長から権限を与えられていることを明らかにしただけでなく、その権限を行使して軍など対敵活動関連部署に行動を指示したとしている。対敵活動関連部署とは、軍の偵察総局や統一戦線部など対南工作機関も含まれると考えられる。与正氏が軍や統一戦線部などに直接指示を出すことができる、軍を動かすことも可能な立場であることが示されたのは初めてだ。

これまで、北朝鮮で工作機関に直接指示を出したり、部署横断的な指示を出せるのは最高指導者に限られていた。与正氏は金委員長に極めて近い、特別な権限を与えられていることが伺える。

2010年の天安艦沈没事件や、延坪島爆撃といった韓国への直接の武力攻撃は金委員長の後継者としての業績作りの一環としてなされた側面がある。今回の一連の対南圧迫は金与正氏の業績作りとも目されることから、武力挑発の可能性も否定できない。

重要行事の際、金委員長の側で補佐する姿が度々捉えられてきた金与正氏
重要行事の際、金委員長の側で補佐する姿が度々捉えられてきた金与正氏

金剛山施設の撤去?軍事合意破棄?…北朝鮮次の一手

与正氏の考える次の一手とは何か。4日の与正談話にそのヒントが隠されている。

「相応の措置を取らないなら、それが金剛山観光の廃止に続いて開城工業地区の完全撤去になるか、北南共同連絡事務所の閉鎖になるか、北南軍事合意の破棄になるか十分に覚悟すべきだ」

労働新聞にも掲載された金与正氏の談話
労働新聞にも掲載された金与正氏の談話

開城の南北連絡事務所爆破が実行に移された今、次の選択肢は金剛山観光の廃止か、南北軍事合意の破棄ということになる。

開城工業団地と金剛山観光は南北経済協力事業の2大象徴ともいうべき場所だが、いずれも事業が中断されて久しい。北朝鮮にとっては揺さぶりの材料として使いやすい場所だ。金委員長は去年10月金剛山観光地区を視察し、「見るだけでも気分が悪くなるみすぼらしい南側の施設を南側の関係部門と合意して残さず撤収し、金剛山の自然景観にマッチした現代的な施設をわれわれ式に新しく建設すべきである」と述べ、韓国側の施設を撤去するよう指示していた。これが実行に移される懸念があり、韓国側は警戒を強めている。

また、朝鮮人民軍参謀部も与正氏の談話を受け16日、公開報道文を発表した。

参謀部は南北軍事合意で定めた「非武装地帯に軍が再び進出し前線を要塞化し、対南軍事的警戒をさらに強化するための措置を執れるように行動法案を研究する」として、開城地区などへの軍の再投入の可能性に言及した。また「我が人民の大規模な対敵ビラ散布闘争」に協力するとして、韓国に逆ビラ散布作戦を検討していることも示唆した。

軍の再配置には時間がかかると見られるが、開城工業団地や金剛山で南側施設を撤去した後に、軍を進駐させる可能性が高い。

韓国政府は南北連絡事務所の爆破に対し、「強力な遺憾」を表明し、状況を悪化させる措置を取り続ける場合、「強力な対応」を取ると警告した。

だが、北朝鮮側は全面対決の姿勢を崩していない。金与正氏の次の一手に注目が集まる。

【執筆:フジテレビ 国際取材部長兼解説委員 鴨下ひろみ】

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。