昭和100年の2025年、「イット!」では街に残るさまざまな昭和を伝えてきました。
7日は日本橋で、独特の姿をした「看板建築」を探します。
東京・日本橋。
100年以上続く老舗が立ち並ぶ一方、再開発が進み、街の顔はオフィスビルや商業施設が取って代わりました。
そんな中、大通りから小道に入ると「看板建築」がありました。
看板建築とは、昭和初期に東京などを中心に生まれた、商店と住宅を兼ねる木造の建築様式の1つです。
関連の書籍を監修した、株式会社connel・萩野正和代表取締役によると看板建築は「特徴が1枚の看板のように建物の正面がなっている」ということです。
銅板で覆われた正面にさまざまな装飾。
生まれたきっかけは、関東大震災。
密集した木造建築により火が広がり、現在の23区の半分が焼け落ちました。
その復興の時期に生まれたのが看板建築。
建物の正面だけを銅やタイルなどの燃えにくい材質で覆っているのが特徴です。
もう1つの特徴が、多彩なデザイン。
モダンなデザインは、通りを行き交う人々に向けて店の存在をアピール。
文字通り看板の役割にもなっています。
競い合うことでこんなデザインの建物も。
株式会社connel・萩野正和代表取締役:
特徴的な三角の部分。単に1枚の板ではなく、当時の大工の方などの思いや考えがあってデザインをしているものが至る所にある。それを見るのも看板建築の面白み。
この看板建築で営業する店もあります。
「人形町 伊勢利」は築90年以上の古民家を改装したフレンチレストラン。
もともと足袋の販売店だった建物を10年前に改装しました。
人形町 伊勢利・高木優店長(高ははしごだか):
2階の床と壁は張り替えたが、柱や梁(はり)はそのまま使っている。雰囲気を楽しんで食事をしていただくのは非常に喜んでいただける。
リノベーションされながら令和の今でも街に溶け込み、現役でも活躍している看板建築。
昭和から現代への懸け橋と出合いに、街に出てみませんか。