聴覚に障害がある選手の国際大会「デフリンピック」が11月15日、東京都で開幕します。
札幌出身でバドミントンの日本代表に選ばれた森本悠生さんの最終合宿を取材しました。
11月12日、森本悠生さんは新千歳空港から東京へ向かおうとしていました。
「チームメイトの保護者の方からデフリンピックに向けて、これをいただいて」(森本悠生さん)
デフリンピックで力を出し切れるようにと、部活仲間のお母さんたちがお守りを作ってくれました。
北海高校の3年生、森本さんは生まれたときから聴覚に障害を持っています。
日常生活の音はほとんど聞き取れず、車のクラクションほどの音量だと認識できるといいます。
そのため普段は補聴器をつけて生活しています。
「デフリンピックを(社会は)知らない。知名度が低いことが多い。東京開催で日本の社会を変えていくきっかけになるんじゃないか」(森本さん)
4年に一度の「デフリンピック」が日本で行われるのはこれが初めてです。
東京大会は100周年にあたる記念の大会で、森本さんはバドミントン日本代表に最年少で選ばれています。
バドミントンの最年少選手が札幌の自宅で普段どのように過ごしているのか、本人の許可を得て練習で不在の時間にお邪魔しました。
バドミントンの雑誌が5年分以上もたまっていました。
「(Q:いいお兄ちゃんですか?)バドミントンやってるときはいい人かもしれないけど、普段はいいお兄ちゃんとは言いづらいです。隣の部屋から雑に呼んできて、私が勉強とか教えています」(妹・怜奈さん)
森本さんはシャトルを打つ音が聞こえません。
そのため相手の動きを見て次の展開を予測しながらシャトルに反応しているといいます。
その難しさを森本さんの部活仲間は…
「2年生のときにデフの大会に森本のペアで耳栓をして参加したんですけど、打球音が全く聞こえなくてラケットがどこに当たったかわからなくて」(伊藤柊雄さん)
小学1年生のときからバドミントンを始めた森本さん。
中学までは札幌市内のろう学校に通っていました。
中学のときの文集です。
「僕は生まれつき耳がほとんど聞こえない。だが、それを不利と思ったことは一度もない」
「僕にとって障がいは関係ない」
同級生の中でただ一人、ろう学校から一般校の「北海高校」に進学しました。
デフリンピックを前に福岡で最終合宿が始まりました。
聞こえ方に差がある選手たちが同じ条件になるように、デフリンピックでは補聴器や人工内耳を外し、全員聞こえない状態に置かれます。
「普段は口話(声)でコミュニケーションをとっている。聞こえない人たちとのコミュニケーションでたまに忘れてしまったり、焦ったりする」(森本さん)
手話はろう学校で学んでいました。
しかし、森本さんが手話を使うのは月に1度のこうした合宿だけ。
チームの選手はみな年上ということもあり、最初はコミュニケーションに難しさを感じていたといいます。
一人の先輩が試合で勝ったあとの森本さんのダンスを撮影していました。
「(森本選手は)おもしろい人」(太田歩選手)
「彼はグミがすごい好きなので、どんなグミが好きなのかとかそんな話をします」(伊東勇哉選手)
「ハリボー?大好き」(森本さん)
相手によっては声を使うこともあります。
ダブルスではパートナーとのコミュニケーションが欠かせません。
この選手とは手話でやりとりします。
「ダブルスのローテーション(の精度を)高めていく練習を行っている」(森本さん)
11月7日、北海高校で開かれた壮行会。
森本さんはシングルス・ダブルス・混合ダブルス・団体戦の合わせて4種目に出場します。
「とてもハードな日程ですが金メダルを目指して全力で戦っていきます」(森本さん)
デフリンピックは11月15日に開幕。
森本さんは大切なラケットを背に会場となる東京へ向かいました。
初戦は11月16日です。