「自宅で最期を迎えたい」という患者と家族を支えるため、コロナ禍に訪問診療専門のクリニックを長野県松本市に開業した瀬角英樹医師。精力的に訪問診療を続け、3年余り経った2024年8月、自身の「すい臓がん」が見つかりました。がんと闘いながら診療を続ける医師が向き合う「命」。そして「生きる」とは。
■「看取り」支える医師がすい臓がんに
訪問診療クリニック樹・瀬角英樹医師(2024年8月):
「今まで普通に何気なく流れている時間が、どこに向かっているのかも分からずに僕らは生活しているけれど、死へ向かって、時間が流れ始めたんだろうな」
松本市の「訪問診療クリニック樹」の医師・瀬角英樹さん64歳。
1年前の2024年8月、すい臓に「がん」が見つかりました。
倦怠感などが続き、自ら腹部にエコーを当て異変に気付き、後に病院の検査で「ステージ2a」だと分かりました。
早期発見が難しく、がんの中でも5年生存率が低い「すい臓がん」。自らの「命」とも向き合う日々が始まりました。
■「リハビリ、僕もやらなければ」
1年後の8月12日―。
瀬角医師:
「さて、どうですか?」
患者:
「調子はいいです」
瀬角医師:
「あら、いいですか。よかった。頭の痛みは?」
患者:
「あります、ときどき」
体重は10キロほど減り、体力の衰えや手足のしびれはありますが、訪問診療を続けています。
患者:
「(どんな先生ですか?)そりゃもう、ピカイチ。優しいし、親切だし、言うことないよ」
患者は脳の悪性腫瘍を患う70代の女性。家族と過ごしたいという本人の強い希望で2年ほど前に自宅に戻りました。言葉や体力の回復は、家族も瀬角医師も目を見張るほどです。
患者の夫:
「それまでは全部(胃ろうで)胃の中に入れ込んでた。それをね、家族の食事の匂いにつられて、食べるって言いだした。そういう意欲が生きる意欲につながったんじゃないかな」
瀬角医師:
「血圧を測りますよ。腕も太くなったよね」
患者:
「(リハビリ)やってるから」
瀬角医師:
「リハビリしてるの?僕もやらなければいけないな」
患者:
「そうです、先生、やせ細っちゃうよ。先生がやせてるところは見たくない」
瀬角医師:
「わかりました!頑張ります!」
瀬角医師は診察を終え、患者の手をしっかり握りました。
瀬角医師:
「まずは1年、生きているっていうこと。感謝しているし、だからこそ、この命を大切にして、やれることを一つ一つやっていかなければいけない。ちょっとつらい時もありますけど、頑張っていろんなことをやっています」
■「自宅で最期を」希望に応え訪問診療
神奈川県出身の瀬角医師。信州大学医学部を卒業後、消化器内科を専門に県内外の病院に勤務しました。
終末期の患者と向き合う中、自宅で最期を迎えるという希望をかなえたいと思うように。2021年、還暦の節目に「クリニック」を立ち上げ、訪問診療を始めました。
コロナ禍で、病院では家族や大切な人との時間が制限される中、自宅での「看取り」を選ぶ人が増え、24時間365日の体制で患者と家族を支えてきました。
瀬角医師(2021年):
「死ぬんじゃなくて、その最期の日までその人らしく生きるんだ」
■開業から約3年余りで「がん」発覚
力を尽くす中、開業からわずか3年余りで発覚した「すい臓がん」。それでも、瀬角医師は前を向いていました。
瀬角医師(2024年8月):
「負けたくないなっていう思いですよね。自分に期待してくれる患者さんに対して、もうだめです、っていうことは言いたくない」
翌月から通院での抗がん剤治療を始めました。
瀬角医師:
「抗がん剤の点滴が始まっています。まあとにかく、やるっきゃない」
■副作用と闘いながら訪問診療を継続
新規の受け付けは一時的に休止しましたが、訪問診療は続けました。
瀬角医師(2024年10月):
「首のところだけワーッと皮疹が出たんです」
副作用でかゆみに悩まされながらも…。
瀬角医師:
「使う薬とかにもよると思うんですけど、自分の体と相談しながらなら、もちろん、仕事は続けられると思うし、ほとんど運転も全部任せちゃって、助手席でふんぞり返って」
支えるのは、クリニックの薬剤師でもある瀬角医師の次女です。
瀬角医師の次女(薬剤師):
「仕事を取ったら、ふぬけになるんじゃないかと思います。仕事をやってるのが自分、だと思ってる」
■「先生がいないと困るんです」
瀬角医師:
「大変でしたね」
患者の妻(70代):
「大変で大変で」
瀬角医師:
「どんなだったの?」
安曇野市の80代の男性患者。脳挫傷で介護が必要になった夫を70代の妻が10年以上、支えています。
瀬角医師が開業した当初からの付き合いです。
患者の妻:
「夫は最期まで家で、って思ってるもんですからね、瀬角先生がいないと困るんです」
瀬角医師:
「頑張って治療して、帰ってくると」
「あら、どうもありがとうございます」
患者の妻が用意していたのは、瀬角医師の回復を願う神社の御札。
患者の妻:
「それはもうもう、本当に神様に祈る思いで。絶対帰ってきます、ってお願いしてきましたから」
12月には、がんを切除する手術が待っていました。
瀬角医師:
「本当に多くの方から応援メッセージを頂いて、がんサバイバーとしてどこまでやれるかというのも一つの挑戦」
瀬角医師:
「(患者に)じゃあね、また来ますね」
■がん発覚から4カ月
2024年12月16日、信州大学附属病院。
がんの発覚から4カ月。手術を受けるために入院した瀬角医師。
直前まで訪問診療を続けていましたが、手術が数日遅れたため、思わぬ時間を過ごすことができました。入院前に、妻と県外に旅行に出かけたのです。
瀬角医師:
「在宅の方を診なきゃいけないから県外に出られなかったし、苦労もかけたし。病気になって悪いことばかりじゃなくて、いいこともたっぷりあったな」
翌日、手術は無事に終了。
瀬角医師:
「とりあえず、やることはやってもらって、今後、早く回復して、というところですね」
術後10日目の12月27日、退院―。
■痛みやつらさ 患者の思いに重ね
2025年1月3日、松本市内―。
新年、県外から帰省した長女の家族、次女の家族とにぎやかな初詣です。
ただ―。
瀬角医師:
「リハビリしよう、ということなんでしょうけど、きついですね」
食事が取れず、体力が低下。自身の痛みやつらさ、焦りを患者の思いに重ねていました。
瀬角医師:
「本当に大丈夫かなっていう不安と、必ず良くなるぞという気持ちとのせめぎあいを、(患者の)皆さんずっとやってるのかなって思って。そういう方たちが頑張ってこられたことに敬意を表しています」
正月休みが明けるとすぐに、訪問診療の患者が待っています。
病気の発覚後、初めて直接会った長女も医師。心配はありますが、父の思いを尊重します。
瀬角医師の長女:
「父は仕事をした方が、生きていけるのかなっていう気はしますね。本当に最後までやって、できるだけやってほしい」
■何とか診療を再開 患者の元へ
2025年1月―。
瀬角医師:
「(再開後は)ちょっと、つらかったですね、さすがに。とにかく体重が減っていくのを横目で見ながら減らさないように、無理して詰め込む」
何とか予定通り訪問診療を再開しました。
瀬角医師:
「どうでした?」
患者の妻(70代):
「(施設から)帰ってきてから落ち着かないんです」
安曇野市の80代男性患者の元へ。体調が優れず、瀬角医師の復帰を待ち望んでいました。
患者の妻:
「ほっとしました。安心しましたね、本当に」
瀬角医師:
「(再開して)今後もね、頑張っていくっていう勇気と力をもらっている日々です」
患者の妻:
「本当にうれしく思います。先生のお顔見せていただいて、本当にもう。それが何よりの、元気の出ることです。私たちにとっては」
■「自分らしく生きる」
住み慣れた自宅で、その人らしく、その家族らしく「生きる」。瀬角医師にとっては、それを支えることが自分らしく「生きる」こと。
改めて「命」の重みをかみしめています。
訪問診療クリニック樹・瀬角英樹医師:
「未来に向かって今、自分ができることは何か。一つ一つ、一日一日、やれることをできるだけ、死ぬまでやり切りたい」