「洋上慰霊」とは、太平洋戦争中、海で命を落とした戦没者の遺族らが戦地となった海域を船で巡って慰霊する旅です。この「洋上慰霊」も、ついに2025年度が最後と決まり、6月1日、神戸港から最後の慰霊船が出発しました。出発する遺族のなかには、今回初めて参加した島根県奥出雲町の男性がいました。最初で最後の慰霊の旅に臨む思いを出発前に聞きました。

「洋上慰霊」は、日本遺族会が主催する戦没地で肉親らを弔う戦地訪問事業の一つで、海で肉親を亡くした遺族が戦地となった海域を巡り、祈りを捧げます。
戦後80年の節目に行われる今回は、42都府県から遺族ら約220人が参加。
6月1日に神戸港を出発した11日間の船旅で、かつての戦地だった台湾海峡やフィリピン沖などを巡りながら海域ごとに慰霊祭を営みます。
なかには、島根県から参加する遺族もいます。

島根県遺族連合会・石原道夫会長:
魚雷を受けて、船が沈没するということが分かった時点では、必ず船とともに命を国に捧げるというのが、どうも通例だったようです。

島根県遺族連合会の石原道夫会長。
陸軍中尉だった父の一雄さんは昭和19年1月21日、捕虜を乗せた戦時徴用船「生駒丸」に乗船中、太平洋のパラオ沖で魚雷攻撃を受けて戦死しました。
当時、道夫さんは6歳でした。

島根県遺族連合会・石原道夫会長:
白い布にくるまれた遺骨と称するものが帰ってきたんですよね。松江市公会堂でその受け渡し式があったので、私も母と一緒に出た覚えがありますけれども、残念ながらその骨箱の中には何もない状態で帰ってきた。まあ、そうですよね。海中で死んでいますから。

父の姿は大海原に消え、形見も何も帰らないままです。
それだけに、今回の「洋上慰霊」には、特別な思いで臨んでいます。

島根県遺族連合会・石原道夫会長:
残念ながら、どうも父親の霊は、まだどうもパラオ近辺を彷徨っているんじゃないかというのが僕の見解であります。ですから、やはり今回の洋上慰霊では、霊璽を持参して、そして洋上の慰霊祭でその霊璽をお供えして、そこへ親父の霊が寄ってくれれば大変ありがたいなという思いであります。

日本遺族会は、遺族の高齢化を理由に「洋上慰霊」を含めた弔いのための戦地訪問事業を2025年度で終了させます。
石原会長にとって最初で最後の慰霊の旅です。

島根県遺族連合会・石原道夫会長:
戦後からの80年というのは、遺族にとってはやっぱり生きるのが精いっぱい。そういう父親の霊魂とかという思いになかなか至らなかったというのが実態であります。平和への祈りというようなことを改めてまとめておく必要が、この年(戦後80年)にはあるんだという風に思っております。

石原さんの父親のように、未だ海に眠る戦没者は数多く存在します。
残された遺族も高齢化するなか、慰霊の形と今後の姿を模索する日々が続いています。

TSKさんいん中央テレビ
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