人間の悩みに哲学が答える
「私の方が優秀なのに、なぜあの人が先に昇進するんだろう」
「あの人にはお金があるけれど、私にはない」
人生に、悩みはつきものだ。
17世紀に活躍したフランスの哲学者デカルトによると、人間は常にいろんな感情を抱いていて、その感情は大きく6つに分けられる。驚き、愛、憎しみ、欲望、喜びと悲しみ。現代人が日常生活で抱える問題や悩みに対して、哲学が答える!
フランス哲学が専門の津崎良典氏(筑波大学准教授、パリ在住)に、FNNパリ支局長石井梨奈恵がインタビュー。生活密着型の哲学談義第二弾。
【第一弾:『他人は他人!』自分に自信を持つには ~マイナスの感情を乗り越える方法~】
ネガティブな感情を抱く時には
石井:
人生において、避けて通るのが難しい感情のひとつに「嫉妬」の感情がある。この感情は、どう分析されるのでしょう。
仕事がうまく行っているように見える人や、自分より優れていると感じる相手に対して、ネガティブな感情を抱いた時には、どのように考えたらいいのでしょうか。
津崎:
デカルトの『情念論』という本によると、人間の感情は、驚き、愛、憎しみ、欲望、喜びと悲しみに大きく分けられる。
うらやましいという思いは、悲しみが元になっていて、憎しみも少し入っている。悲しみと憎しみというネガティブな感情が混ざってできているので、できることなら避けたい。そうしないと、それは「悪徳」つまりダメなことだ、とデカルトは考える。でも、これを避けられる人はほとんどいないし、人間であるかぎり、私だってそうだけれど、誰かのことや何かをうらやまない人はいない。実はデカルトは、うらやましいという思いがゆるされる場合がある、と言っている。
例えば、一方でカルロス・ゴーンのような莫大な資産の持ち主がいて、他方で、フランスでも絶賛上映中の是枝裕和監督の『万引き家族』じゃないけれど、今晩の食事をどうしようかと悩む貧しい人がいて、この経済格差が税制など富の分配における不公平、デカルトの言葉を使えば「不正」が原因なら、この貧しい人がゴーンのことをうらやましいと思うのはしかたない、いやむしろ当然だ、ということ。
感情の原因となっている社会の「不正」に目を向ける

津崎:
これを踏まえた上で、どうやってうらやましいという思いをコントロールしたらいいか。デカルトだったら、この「不正」を狙い撃ちせよ、と考える。去年からフランスで続いている、燃料税の増税を直接的な原因とする《黄色いベスト運動》はまさしくそれで、ある人たちはお金をたくさん持っていて増税は痛くもかゆくもないけれど、自分たちにはお金がなく、彼らのことをうらやましいと思っている。遣り繰り算段しないと生きていけない自分のことが悲しいし、彼らのことが憎い。富の分配のやり方がおかしいと感じている。そこで、その分配を変えれば、うらましいという感情は鎮静に向かうはずだ。
デカルトが『情念論』で言っていることを念頭において《黄色いベスト運動》について考えを深めてみると、なるほど、うらやましいという彼らの思いは理解できる。しかし、この思いのベースにある憎しみに火がついて一気に燃え上がり、報道にもあるように、ショーウィンドウを壊したり、車を焼き払ったり、あるいは誰かを殴ったりする《暴力》を引き起こすなら、それは大問題だ。

とはいえ、憎しみの感情に駆られて人やものを攻撃するというのは、《黄色いベスト運動》のような、どこか遠い国の《事件》だけでなく、私たちの身の回りにも実によくあることで、例えば「他人の足を引っ張る」とか「出る杭を打つ」という行為に走ってしまうのも、突き詰めて考えれば同じこと。
「足を引っ張って」みたり、「杭を打って」みたりと《暴力》にもいろいろな種類というか次元があるけれど、人やものを攻撃するほどまでになってしまうのは、もう単なるうらやみではなく、妬み。とても怖い。これは、日本人だろうが、フランス人だろうが、すべての人に共通する心理上のメカニズムのはず。この「憎しみの感情に駆られて……」をどうコントロールするかが、嫉妬心というネガティブな感情を乗り越えるときに大事になってくる。

石井:
要するに、世の中のシステムがうまく行っていない時に、その公平ではないシステムに対して怒りをぶつけ、恩恵を受けている本人などを攻撃してはいけない、ということですよね。そういう状況を生み出している社会のシステムや、風潮に対して怒りをぶつけるということ。
津崎:
私の理解しているデカルトだったら、そうだ、と答える。嫉妬心をコントロールするには、社会の「不正」のほうに目を向けろ、と。持って生まれたものは、それは自分の責任ではないから、自分を責めても他人のことをうらやんでも何も始まらないが、それによって受ける差別などは、社会が作り出す「不正」だから、そちらに怒りをぶつけ、変えていくべきだ。
「私のほうが優秀なのに、なんであの人のほうが先に昇進するんだ」という場合も、その昇進が上司のえこひいきなど、不公平な理由で決まったものならば、どうするか。どうなるか。そのうち憎しみが強くなって、昇進させられた人への攻撃が始まる。次に、昇進させた上司がムカついてくる。でもデカルトは、そうなってはだめだ、と考える。誰かを攻撃するのではなく、不公平な昇進システムのほうを憎め、と考える。
現在の《黄色いベスト運動》が問題含みに思われるのは、参加者がさまざまな破壊活動をしてしまっているから。そうではなくて、不公平な税制のほうを憎み、それを変えていくしかない。そのための冷静な話し合いの席に全員つかなければならない。それが、うらやましいという思いのベースにある憎しみという感情の犠牲にならないための方法。デカルトだったらそう考える。
なぜ人は攻撃的になってはいけないかというと、同じのことをされてしまうから。攻撃的であることを自分に許すというのは、他人にも攻撃的であることを許しているのに等しい。自分が誰かのことをうらやむだけでなくて、妬んで、攻撃的になって足を引っ張るとする。そうするとそれは、「私もそうされてもかまわない」と宣言しているのと同じことだ。
だから、できるだけ他人にネガティブな感情を抱かない。それは、他人に自分についてネガティブな感情を抱かせないため。
自分のほうから先に手を引くというのは、なかなかやりにくいことだし、デカルトが言うように、うらやましいという思いは全員にあって、これを完全にコントロールすることはほぼ無理だと本人も言っているので、とても難しい話ではあるが、やはりそこを目指すしかないというのが、哲学者デカルトの立場。
石井:
嫉妬心は、すなわち他人のプライベートが気になるところから生まれるのだと思います。ネット上でのいわゆる「炎上」や、週刊誌報道などを見ると、他人のプライベートに関して不寛容な一面があるように思えるのですが、フランス哲学を材料にすると、どのように考えを深められるでしょうか。
「うぬぼれている人間ほどひどいものはない」

津崎:
デカルトの哲学上の先輩であるモンテーニュが『エセー』という本の中で、「人間の心にはふたつの災禍がある」と言っている。
ひとつは「うぬぼれ」で、「うぬぼれている人間ほどひどいものはない」。なぜかというと、何事も未解決の状態にしておかずに全部断定し、「イエス」か「ノー」で振り分けてしまうから。本当はそこにはいろんなニュアンスや背景があるのに、全部振り落してしまって、物事を単純化してしまう。それには、目もあてられない、と。
もうひとつは、「好奇心旺盛な人」。そのような人は、なんにでも首を突っ込む。こういう人も困ってしまう。モンテーニュは、このふたつの「災禍」をなるべく避けなければいけないと言っている。「うぬぼれ」と「好奇心」。なので、他人のプライベートに首を突っ込まないようにするには、どうやって好奇心をコントロールするかという問題になってくるが、これは、かなり国民性と関わってくるのではないか。
ヨーロッパ、特にフランスは、パブリックな領域とプライベートをきっちり分け、日本はプライベートにより立ち入る文化圏かもしれない。それは国によってさまざまである。とはいえ、パブリックな領域はいざ知らず、他人のプライベートについて根掘り葉掘り聞くことは、モンテーニュに言わせずとも、やはりよくない。
嫉妬心を抱かないための、そもそもの大前提としての好奇心のコントロール……ということになってくると、前回お話した、あの「自分の判断基準を他人に譲らない」というところに最終的には帰ってくるのではないか。つまり、「私は私、あなたはあなた」という境地にどれだけ近づけるか。
しかし、このような「言うは易く行うは難し」の連続である哲学は、やはりハードルが高いかもしれない。でも実は、そう思った人はすでに半歩いや一歩、哲学に足を踏み入れ、少しずつ哲学に馴染み始めているはず。私はそう確信しています。だって……そうやって私の話について自分の頭で批判的に考え始めているんですから。

津崎良典氏プロフィール
1977年生まれ。2000年、国際基督教大学(ICU)教養学部を卒業。2010年にパリ第一大学パンテオン=ソルボンヌ校にて博士号を取得。2015年より筑波大学人文社会系准教授。2018年、哲学にまったく馴染みのない読者を対象にデカルトの思想を分かりやすく解説した『デカルトの憂鬱——マイナスの感情を確実に乗り越える方法』を扶桑社より上梓。同年4月から1年間の予定でパリ第一大学パンテオン=ソルボンヌ校にて在外研究中。2019年2月より、イマジニア株式会社が運営する「10MTVオピニオン」においてデカルトに関する一般向けの解説動画がインターネットで連続配信。『デカルト全書簡集』(知泉書館)や『ライプニッツ著作集』(工作舎)の共訳者でもある。
【執筆:FNNパリ支局長 石井梨奈恵】
