平成も間もなく終わろうとしている今、バブル時代の象徴とされた“スキー場”が注目されている。
平成2年12月にオープンした新幹線の駅直結のスキー場「ガーラ湯沢」は今どうなっているのだろうか?

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首都圏からは新幹線でわずか1時間あまり。ガーラ湯沢の完成は湯沢町のスキーブームに拍車をかけた。

ガーラ湯沢 中島 勝さん:
お客様がどんどん首都圏から押し寄せたという感じでした。リフト券買ったりレンタルを用意するのに、3時間かかったとかそういうお叱りを受けた記憶もあります…。

スキーブームに沸き“東京都湯沢町”とも言われた「 観光の町 」。
ガーラ湯沢がオープンした2年後には年間820万人のスキー客が町に押し寄せた。

中島さんが持ってきてくれたのはオープン当時の案内板。
まさにバブル期のスキーウエアという派手なデザインだ。

この派手なウエアに…サングラス、バンダナというスタイルが当時の流行だった。

およそ30年が経ったいまは、シンプルなウエアにヘルメットやゴーグルと、顔がほとんど見えないスタイルが流行のようだ。

スキーの板は30年前と比べると、その差は一目瞭然。

ガーラ湯沢 中島 勝さん:

当時、スキー板は長ければ長いほど上級者の証でした。

バブル崩壊で激減した客がV字回復

平成の時代とともに様々な変化が生まれたスキー場。しかし、スキーブームも長くは続かず、バブルの崩壊とともにスキー客は年々減少。湯沢町を訪れるスキー客は、平成22年度に210万人とピーク時の4分の1ほどとなった。

しかし…ガーラ湯沢の入場者数は、一時20万人ほど減ったが現在はオープン当時とほぼ同じ水準にまでV字回復している。一体なぜ、V字回復できたのだろうか?

増える“インバウンド客”

V字回復した理由は外国人観光客!アクセスの良さから4年ほど前から増え続けている。

ガーラ湯沢 中島 勝さん:
きょうは平日だが、3人に1人は外国からのお客様。まったくこんな風になるとは思っていなかった…。

スキー場も年々進化していまして、スノーエスカレーターで登り降りの負担をなくして楽しんで頂いている…。

そのほかにも、中国語やタイ語などでの外国人向けのスキーレッスンも始めた。

ガーラ湯沢 中島 勝さん:
スキー場も時代に合わせて、どんどん変わっていかないといけないと思う。

リゾートマンションにも“異変”

スキーブームとともに湯沢町に次々と建設されたのがリゾートマンション。しかし、今、そのリゾートマンションにもある変化が起きている。

スキーブームの象徴とも言えるリゾートマンション。中には大浴場に…、フィットネスジム、さらにはレストランも…、このリゾートマンションが、今では何と10万円ほどで購入できる物件も出てきている。こうした現状に湯沢町の田村正幸町長は…

湯沢町の田村正幸町長:
リゾートマンションはリゾートとして使って頂くということで建ったワケですけど現在、定住されている方が1300人位いる。

県外からの移住だけでなく、除雪の必要もないことから町内の人たちが移り住むケースも増加。現在では人口の1 割以上がリゾートマンション住まいとなってる。

実際に住んでいる人たちは…

千葉から移住した夫婦の夫:
桜はきれいだし、毎日マラソンするコースもあるから、そういうのを楽しめる人が来たらいい!

千葉から移住した夫婦の妻:
食べるのはおいしいし、山菜・きのこ、私たちは色々発見があって今のところ楽しめている。

スキーの観光地として平成の時代を生きてきた湯沢町。

湯沢町の田村正幸町長:
元号が変わっても、観光の町という中での取り組みは、引き続き続けていかなければならない。こう思っています。

2020年にはスキーW杯が開かれるなど、年号が変わっても土地の利を生かした町作りは変わらないようだ。

(NST 新潟総合テレビ)

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