梅崎司選手が11月15日、引退会見を開き現役生活を振り返るとともに、今後への決意も語った
リーグ最終戦後の11月11日に今シーズン限りでの現役引退を発表した、元日本代表で大分トリニータの梅崎司選手37歳。サッカー日本代表でもプレー経験がある梅崎選手が15日、引退会見を開いた。20年に及ぶ現役生活を振り返るとともに、今後への決意も語った。そのインタビュー全文を伝える。【前半】
◆梅崎司選手
この度は、私の引退会見にお越しいただきありがとうございます。梅崎司は2024年シーズンをもちまして、現役選手を引退することを決断しました。プロとして20年間プレーすることができました。
2002年にこの大分の地に来て、トリニータのユースチームでスタートをして、2005年にトップ昇格をすることができた。ここ大分ですごく大きなことを学び、選手として大きく羽ばたくことができ、海外にも行くことができた。
そして浦和レッズという大きなクラブで10年間プレーして、湘南ベルマーレという素晴らしいチームでもプレーすることができて、また大分に戻って来られた。
本当に多くの喜び、多くの感動をたくさん頂き、幸せな選手生活でした。思い出がたくさんあるので、ぜひ皆さん何でも聞いてください。
「まだ俺はできる」と思っていた気持ちに変化が生まれる「僕は次に行きたがってるな」
(Q引退を決意した経緯を改めて)
まず、昨年もそうだったが、今シーズン怪我の期間も長くて。春先に、ふくらはぎの大きめな肉離れをして「また怪我か」と…。やっぱりもうそろそろ潮時なのかなっていうのも感じていた。
だけど、今回だけではなく、大きな怪我を何度もして、手術もしてきた。その度に打ち勝ってきたっていうのが自分そのもの。今回も「絶対もう一回見せるんだ。まだ俺はできる」と、何度も何度も自分と戦って言い聞かせた。
そうしたときにクラブから呼ばれて契約満了を告げられた。そして「セレモニーをどんな形であろうとしてあげたい、引退っていう形だったら引退セレモニーをしてあげたい」と言ってもらえた。
でも、僕は「正直決められない」っていうのを伝えた。やっぱり現役をやる気持ちでいるという話もした。
それから2、3日、お世話になった方々、尊敬する方々と連絡を取り、それぞれの経験や考え方を聞き、僕の中で大きな気持ちの変化が生まれた。
「僕は次に行きたがってるな」と自分自身が気づいた。そして体と対話し「正直、体はもう限界だよ」と言っているのを素直に受け入れ、20年間を走馬灯のように振り返れた。
そういったなかで、当たり前のように自分はコツコツ20年間やって、全力で戦い抜いて、駆け抜けてきて、次に行くタイミングだなっていうふうに思えて引退を決断した。
(Q今後については決まっていることは)
いや、何も決まっていません。
親友・西川周作選手への思い「彼がいなかったらここまで来れなかったかもしれない」
■会見では同じ年にプロキャリアをスタートさせた親友・西川周作選手からのサプライズメッセージに涙するシーンもあった
(Q先ほどの西川選手の映像をみてどうだったか)
泣くつもりなかったが冒頭から泣かされた。西川周作は、やっぱり僕にとって特別な選手。
丸坊主2人で、トリニータのU18に入団した。でも、その前の2001年に僕が中学校の最後の大会(高円宮杯)で負けて、次の日、僕はユースのセレクションに受けることができた。
まずその最後の大会を負けてなかったら、ユースのセレクションを受けられてなかったし、この地に来ることはなかった。その運命にまず感謝したい。その時に西川周作がいたが、もう彼はユースチームに入れることが決まってはいた。
彼は「もうレベルが違いすぎる」っていうのが衝撃的な最初の印象でした。
僕も長崎という小さい枠だが、それなりにやってこれてた感覚もあったが「井の中の蛙」だったんだなっていうのを西川周作を見て感じた。
一緒にユースチームに入って、一緒の寮に入って、一緒に生活をしていく中で、彼一人だけやっぱりすぐにレギュラーになった。彼は、本当に常に誰にでも優しく笑顔を振りまくし、彼をずっと目標にしていた。
なので、一緒にトップ上がれた時もすごく嬉しかった。でも彼はすぐスタメンになり、その背中を追いかけて「僕も彼に追いつくんだ、自分も試合に出るんだ、一緒に活躍するんだ」という思いにさせてくれた。
仲間であり、親友であり、一緒に2年目に日本代表(A代表)にも入れて、いろんなことを本当に2人で経験できた。彼がいなかったら、自分のモチベーションもそうだし、ここまで来れなかったかもしれない。
浦和での再会もすごく大きくて、昔の話もしたし、自分のプレーが悩んだ時に彼に相談したこともあった。大分でも、ユースでも、浦和でも、多くの喜びを彼と共有できたのは、僕にとっても本当に大きな財産。
電話で話をしたときにも、周作は「やめてほしくない」感じはめちゃめちゃあった。だけど、「さすがに、もう無理だったわ」っていう感じで話した。
「びっくりするぐらい後悔ない」「誇れる自分の足跡が見えている」
(Q引退を決断して、セレモニーも終えて、気持ちの変化などはあったか)
びっくりするぐらい後悔ない。もっと選手にしがみつくのかなと思っていたが、幼少期からサッカーを始めて30数年経つ。僕は決して、上手い選手じゃないし、何か特別なものを持ち合わせてるわけでもないが、それでも大きなものを掴んだりとか、感動を得たりすることができたというのは自分の中で誇り。苦しいことの方が多かったと思うが、それも踏まえて自分のサッカー人生。
生きてる証というか、選手としてやりきった、20年間走り切れた。そして「誇れる自分の足跡が見えているな」って。もう次へチャレンジしたいという思い。
(Q今後の夢をどういう風に描いている)
数年前から僕は、Jの監督になりたいという思いがある。自分が経験してきたもの、年齢を重ねるごとに、幸せの感じ方や感動のあり方が変化して、本物の喜びにも出会った。
そして過去を振り返った時に「これってこんなに素晴らしいものだったんだ」ということにも気付けた。やっぱり指導者ひとつで、その価値観や考え方、喜びとかって僕は変わると思っている。
そういった本当の喜びとか感動とか、苦しみとか悲しみも踏まえてですけど、それを乗り越えて先に、すばらしいものが待っているということを伝えられる指導者、監督になっていきたい。
「自分はプロに行きたい」という思いで諦めずにやってきた
(Q特にこの大分トリニータで印象に残っている出来事やエピソードは)
ユースの話に戻すと正直、僕もプロに入れるかどうか、かなり微妙なラインでした。むしろ、厳しいんじゃないかなという状況だったが、
高3になって、フィジカルコーチが入って、村田監督に変わってもう一度、一から自分を見つめなおす機会を得ることができた。
厳しいのは分かっていたけど「自分はプロに行きたい」という思いで、この地に来た。本当に何度も何度も、無理かと思うこともあったんですけど、それでも諦めずにやってきた。
すると夏を過ぎてから、明らかに自分のパフォーマンスが上がってきて、天皇杯ですごいセミプロとかを相手に勝ち抜いて、3回戦まで進み、横浜FCと対戦した。
そこで「自分はやれる」っていう手応えを感じることができた。負けはしたが大きなチャンスを作って、横浜FCのサポーターの方にも「梅崎、ここに来てくれ」って言われたり、ピエール・リトバルスキー監督にも、そういうふうなニュアンスのことも言われて「もしかしたらプロに行けるんじゃないかな」って。なので、自分の中で大きな印象に残っている。
プロに上がってからは、厳しい洗礼を受けた。2006年だったか、7節ぐらいまでベンチにも入れず。その当時は25人体制で多分Jで一番人数が少ないというような感じで、メンバー外が3人とかだったが、でも、そのメンツが森重真人と、僕と、今大阪でコーチしている高橋大輔君。そこで切磋琢磨してみんなすごい選手になった。どんなシチュエーションでも頑張る、成り上がっていくっていうのはすごい嬉しい。
そういったなかで甲府戦で出番がきて、初めてアシストができた試合は、すごく印象に残っている。そこから次の試合から、スタメンになることができて、ファーストゴールの鹿島戦はプロになれた感覚がある試合だった。
その年に日本代表に選ばれて、刺激がすごく大きくて、本当にいろんなものを吸収できた。
戻ってきてすぐ、アビスパ福岡との試合でもう疲れすぎて全くプレーできなかったが、1週間の休みがあるタイミングがあり、その後のジュビロ磐田との試合のときは、すごく心も体もリフレッシュされて、朝起きた感じからやれる感覚があった。
3秒先が見えるような感覚を味わった「一生プレーしていたいっていう」
実際、試合をしてみたら多分自分のサッカー人生の中のベストゲームの一つになったと思う。3対2で確か逆転勝利をした。先制して逆転されて、逆転した試合ですごく内容的にも面白かった。
90分間プレーして3秒先が見えるような感覚があって、めちゃくちゃ楽しくて「一生プレーしていたい」っていう感覚で、あれをずーっと追いかけて、このサッカー人生を続けてたというくらい、いわゆる「ゾーン」っていうか。僕も、ゾーンは本当に数えるぐらいしか入ったことないんですけど、あの感覚をやれるならまだ現役をやりたいですね(笑)それぐらいすごく楽しい、最高の時間だった。
(Qプロを目指す大分の子どもたち、全国の子どもたちに梅崎選手だからこそ伝えたいこと)
どれだけ本当に、本気で自分の夢を描いて、自分のなりたいものを描いて、自分の本当の気持ちを知ることができるかどうか。
僕は本当にへたくそですけど、自分と向き合い続けた30数年間だった。本当に苦しい局面がたくさんあった。
怪我もそうだし、怪我じゃない時もやっぱり試合に出れないとかうまくいかない時間を、たくさん経験してきて、しっかり自分と向き合って、自分がどうなりたいのか、どういうプレーをしたいのか、そして、しっかり考えてどうやったら勝てるのかっていうのを、何度も何度も繰り返して、一歩一歩、階段を上っていけた。
その考えた先に、チャレンジした先に失敗もあったが、それでもめげずにやり続けたりとか、方法を変えてみたりとかで、楽しい事、嬉しいことが、この先に待ってるんじゃないと思う。
だから、決して諦めてほしくないし、そして何より自分の胸の内、本当の本音の部分を自分で聞き出してほしい。意外に自分のことって分からないし、見えてないことって多いと思うので、自分との対話を続けてほしい。
(後半へ続く)