毎月11日、東日本大震災で大切な人を亡くした方にお話を伺う「月命日に想う」です。11月11日は宮城県女川町の小松未羽さんを紹介します。震災で亡くなった父の教えを大切にバレエ教室を営んでいます。
女川町で毎週行われているバレエのレッスン。この日は小学生4人が練習に励んでいました。指導するのは小松未羽さん(32)。4年前から町内でバレエ教室を始め、レッスンをしています。
小松未羽さん
「女川で開くのに意味があるんじゃないかと思っていたので、石巻でやらないのとか言われるんですけど、拠点はずっとこっち、女川町に置いておきたい」
小松さんがバレエを始めたのは6歳の時。テレビで見た新体操がきっかけでした。中学卒業後は親元を離れ、単身、京都のバレエ専門学校に進学。震災が発生した日も小松さんは京都にいました。
父・豊さん。東日本大震災で帰らぬ人となりました。当時53歳でした。小松さんは発災から約10日後、豊さんが亡くなった知らせを受けて京都から戻り、仙台の葬儀場で対面しました。
小松未羽さん
「顔は合わせるけども、会話という会話をしなかったので、もっとちゃんと顔を合わせて話をすればよかったなっていう後悔がありました」
町内で亡くなった854人の名前が刻まれた慰霊碑。慰霊碑がある高台から一望できるのは、震災を経て変わった新しい女川町の街並みです。しかし、小松さんは生まれ変わったふるさとを簡単に受け入れることができませんでした。
小松未羽さん
「震災前の面影がまったくなくて、もうこの町を受け入れるのに本当に何年もかかりました。こっちに帰ってきてからです。この町をちゃんと女川として受け入れようと思ったのは。京都いるまでは絶対受け入れてやんないっていうくらい、本当に嫌だった」
2020年1月、京都から女川町に帰ってきてから目にした周囲の人たちの様子が小松さんの心境に変化をもたらしました。
小松未羽さん
「町の人たちが、今の女川をどうにか盛り上げようと動いているので、そういうのを見ていたら、私も女川出身として、この変わってしまった女川を新しい女川として受け入れて一緒に盛り上げていけたらなって」
町を盛り上げる手段は自分の人生を彩ってきたバレエでした。バレエの少しハードルが高い印象を変えたいと楽しさを伝えています。意識していることはメリハリがあるレッスン。中途半端に行うことは許さないと子供たちに伝えています。
小学3年のレッスン生
「怒ると怖いけど、優しい、いつもは」
小学6年のレッスン生
「怒る時は怒るし、優しい時は優しいって感じだからすごくいいです」
豊さんも同じでした。
小松未羽さん
「間違ったことをすれば、一番きつく叱るのは父でしたね。そうしてもらえてよかったなって、それがなかったら、もっとのほほんと生きてきたんだろうなと思います」
豊さんが教えてくれたこと。それが、今の女川で生きる小松さんを作っています。