10月、ハワイの県系人たちが自身のルーツを辿るため沖縄を訪れました。学生たちとの交流や沖縄戦について学んだ彼らは、沖縄に対する思いを深めていました。
10月、沖縄を訪れたのはハワイで沖縄の文化や芸能の継承を目的に活動している県系人たち「御冠船歌舞団」です。
自分たちのルーツである沖縄の歴史と文化を学ぶこの旅は「うやぬうちなー学問旅」と名付けられ、今回で12回を数えます。
御冠船歌舞団を率いるのは県系4世のエリック和多さんと、県系3世のノーマン金城さんです。
ノーマンさんは、野村流音楽協会の師範として三線を指導していて、エリックさんも幼いころから沖縄の音楽と踊りに親しみ、ハワイでは琉球舞踊の道場を運営しています。
「ウチナーンチュ」とは何か?この日、一行は沖縄の学生たちと交流し考えを共有しました。
学生:
「名前は何ですか?」
大城ギャリーさん:
「大城ギャリーです。私もウチナーンチュです」
学生:
「大城は沖縄の人だね、でもギャリー?それは、沖縄の名前ではないよ。あなたは本当の沖縄の人ではない」
大城ギャリーさん:
「アメリカ人の名前だとウチナーンチュではないの?私はウチナーンチュだよ!私の祖父母は沖縄の人で、三線も弾くよ」
エリックさんは学生たちにこんな問いを投げかけました。
エリック和多さん:
「もし沖縄で、ヤマトンチュに沖縄好きだから自分はウチナーンチュと言われたらどんな気持ちになりますか?」
学生:
「おばあちゃんが秋田出身なんだけど、秋田出身だけど長く沖縄に嫁いでいるけど、だからと言っておばあちゃんがウチナーンチュとは正直思っていない。内地の人。だけど自分はおじいちゃんがウチナーンチュだから、ウチナーンチュの血が入っているからウチナーンチュという認識が強いかも」
学生:
「先祖にしろ、自分の親戚にしても何にしろ、その土地に何らかの関係があれば、その人はその土地の人間なんだっていう権利があるんじゃないか」
自分たちのルーツをたどりアイデンティティを確認することに加え、沖縄が辿った歴史を知ることもこの旅の重要なテーマです。
太平洋戦争の末期、多くの子どもたちを乗せて九州へと向かっていた学童疎開船「対馬丸」。
アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて撃沈し、1484人が命を落としました。
多くの犠牲を生んだ米潜水艦「ボーフィン号」は、ハワイ・オアフ島に眠っています。
玉城ヤング・リアンさん:
「私は教師をしていて、私の生徒たちも同じような年齢なので本当に心が痛みます」
大城ギャリーさん:
「この気持ちを表現する言葉はありません」「私たちがきょうここを訪れたのは偶然ではなく、これから亡くなった子どもたちの声なき声を代弁し続けることがとても大切だと考えています」
翌日、一行が訪れたのは読谷村のチビチリガマ。79年前の沖縄戦で沖縄本島に上陸したアメリカ軍に追い詰められた住民たちの間で、強制集団死いわゆる集団自決が起き、80人あまりが犠牲となった場所です。
ノーマンさんとエリックさんは沖縄を訪れる度にこの地に足を運んできました。
ノーマン金城さん:
「ここチビチリガマは8回目だと思いますが、ここで起こったことや全体的な沖縄戦の歴史を考えてみると、自分たちの生まり島、祖先の故郷なので自分たちの歴史でもある、自分たちの物語ではないかというふうに考えていますね」「自分たち海外のウチナーンチュにも深く理解してほしいというふうに、こういうところにも連れて行きますよね」
79年前の悲惨な歴史から沖縄の人たちが大切にしてきた「平和への思い」と「命どぅ宝」
エリックさんは、ここ数年で急速に変わりゆく沖縄の姿を案じています。
エリック和多さん:
「米軍基地だけじゃなくて自衛隊、宮古、八重山、与那国は平和な島だったけど、5年の間に基地の島になっている」「ハワイにも基地がたくさんあるんですけれども、私たちハワイの州民の考えは、基地は守るためじゃなくて戦うため、その意味で危なくなりますね。それも沖縄も考えてほしいですね」「私たちの生まり島、ウヤファーフジの生まり島、これは守らないといけない」
沖縄から遠く離れていてもハワイの県系人たちは、故郷を思う気持ちでつながっています。