シングルマザーを襲う突然の乳がん
長野県松本市で、暮らす齋藤智恵美さん。2014年7月。突然の乳がんの告知を受けた。
定期検診ではわからなかった右の乳房にあった小さなしこり。
それが、急激に大きくなり5センチほどになった。
大病院で検査するとステージ2、リンパへも転移していた。
「親に電話すると父は絶句。母は電話口で泣きじゃくっていました。私よりショックを受けていたような気がします。私は、もし私の身にに何かあったら、ひとり息子のことが心配でした。」
齋藤さんは、保育園に通うひとり息子と暮らすシングルマザー。
毎朝、息子のお弁当を作り、保育園へ送る。夕方の息子の迎えまでの時間にヘルパーの仕事をこなし、働いた時間給で支払われる。
松本市内の賃貸アパートに住む親子。生活費はすべて齋藤さんの稼ぎにかかっている。
突然襲ってきたがんという病。ふたりの生活はどうなるのだろうか。
まず、がんを小さくする抗がん剤治療から始め、お金のかからない通院治療を選んだ。
体の調子がいい時は、仕事にもでかけたが、副作用が強く出て、体調がすぐれない時は、実家の母に応援を求めた。
その後、息子は両親に頼んで面倒をみてもらい、入院生活となった。
手術という選択を迫られた齋藤さんは、なかなか決心がつかなかった。
「切除するのはずっと迷っていました。一度は手術をキャンセルしました。でも体力のあるうちにやってみようと決心しました。」
結局、右乳房を三分の一とリンパを切除した。
私が生きることを疑わない息子
齋藤さんは、手術後、抗がん剤、放射線治療など全ての標準治療を行った。
がんは、治癒という言葉を使わない。5年たって再発の可能性がほとんどない時に寛解する、という言葉を使う。がんの再発率は、種類によって大きく異なる。
「孤独は孤独だった。がんになっていろんな事を心配することが重荷でした。心配するくらいなら希望をもてばいいと思ったんですが、どうしていいのか・・・。
それが、当時2歳の息子をみて、勇気づけられたのです。
彼は、私が普通に生きていくことを何の疑いももっていなかったんです。」
人を遠ざけ、自分の殻に籠もるようになっていた齋藤さんだったが、無邪気な息子の姿をみるにつれ、何とか乗り切ろうと気持ちが変化していった。退院してからは、藁をもすがる思いでがん患者の会などへ足を運んた。
そこで、出会ったのが、『がん哲学外来』。
がんの不安を抱える患者や家族の心のケアに役立つよう、順天堂大学の樋野興夫名誉教授が2008年に提唱したもので、がん哲学外来から派生したがん哲学カフェが全国150箇所に広がっている。
齋藤さんは、がん哲学の教えに出会い、光を見い出した思いだった。
「がんは自分の細胞だし、不良息子のようなものだとわかったし、どんな風にがんと共に生きていけばいいのか考えるようになりました。」
齋藤さんは、がんと向き合って充実した人生を送りたいと強く思うようになっていた。
話せる環境を作りたかった
齋藤さんは、退院してから「がん哲学カフェ」を松本で初めて立ち上げた。
「松本がん哲学みずたまカフェ」月1回、お茶を飲みながら地域の人々が集って語らう。がんで悩む時、みんなで支え合って辛いことが解消できる場になっている。
「がんになって他の人の痛みもわかってあげたいと思うようになりました。」
あるカフェの時、40代の息子が膵臓がんに罹っているお母さんがやってきた。
自分ではどうする事もできない悲しみに、泣きながら心の内を語るお母さん。参加者は、話をじっと聞き、静かに共感する。齋藤さんも涙にむせんだ。
そして、泣きながら言葉を発する。
「悲しみは解決できないけれど、ここのみんなと語りあうことで解消できる」
世の中には、解決できないことが沢山ある。でも、仲間と一緒に少しでも解消できて楽になることができる。
齋藤さんが、がん哲学外来が提唱する、“言葉の処方箋”を与えた瞬間だった。
がんと生きる“言葉の処方箋”
2人に1人ががんに罹り、3人に1人が亡くなる時代。
これからはがんとどう向き合って生きていくかが問われようとしている。
齋藤さんの生き方はヒントを与えてくれる。
“言葉の処方箋”は無料で副作用なし。
家族、友人、仲間、子供でも・・ 誰でも与えることができる。
齋藤智恵美さんの物語は映画化された。
ドキュメンタリー映画「がんと生きる言葉の処方箋」 下記映画館で公開。
5月3日より新宿武蔵野館 5月11日より名古屋シネマスコーレ
6月8日より大阪 第七藝術劇場 6月15日より京都シネマ他順次上映
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