金英哲は単なるポストマンではない

史上初の米朝首脳会談に向けた準備がシンガポール、板門店、そしてニューヨークで同時多発的に進められた。会談の成功のためにはそのどれもが重要だが、ハイライトは1日に金英哲朝鮮労働党副委員長がホワイトハウスを訪れ、トランプ大統領に直接、金正恩委員長の書簡を手渡す場面だ。

この書簡に書かれていることが注目されているが、金委員長の狙いは別にある。
金英哲は単なるポストマンではない。

金英哲に与えられた任務は、トランプと直接会って話をすることで、“ディール男”トランプを見定めることだ。
その機会をつくるために金正恩からトランプへの書簡を持たせてもらったのだ。

金委員長がトランプ大統領と初対面で一世一代の取引をやろうというのなら、書き物や映像ではない、生きたトランプ情報を事前に知っておくことが絶対に必要だ。トランプのたたずまい、話し方、機転、立ち居振る舞い、側近との関係性、内面を表す表情や仕草や癖など、“ディール男”の心の内を見抜くための情報だ。

金委員長はこれまでに文在寅大統領や習近平国家主席から、トランプの人物評や応対の仕方などをいろいろ聞かされているに違いない。だが、自分自身の側近が、自分の目となり耳となってトランプに相対し、見聞したままを事細かに報告させる。それが最も信頼できるトランプ情報であろうことに疑いはない。
トランプと相対してテーブルに就き、いざ“取引”という時に有用な情報だ。

金正恩の側近でトランプに会った人はいない

これまで金委員長の側近でトランプに会った者は一人もいない。恐らく1日のホワイトハウスでの面会が、トランプ・金正恩会談が行われる前の唯一の機会になるだろう。ここで金英哲がトランプにだまされたら、金正恩はトランプとの“取引”で極めて不利な立場に立たされることになる。金英哲にどれだけの「人を見る目」が備わっているのか知る由もないが、彼にとってはここが一世一代の勝負所だ。

と考えると、書簡は金英哲が確実にトランプと会えるようにするためのツールと言える。その書きぶりはトランプの期待感をつなぐものであれば足りるし、ニューヨークでのポンペオ・金英哲会談の内容を超えるものではないだろう。

ニューヨークで金英哲副委員長とポンペオ国務長官は、それぞれ金正恩とトランプの名代として、主の望みと思惑を胸に秘めて、相手方の腹の内を探り合った。そして主が最善の決断ができるように、非核化、体制保証、制裁緩和それぞれについて相手はどれだけ歩み寄れるのかを読み、さらにそのベスト・ミックスを見極める。つまり、主が“素晴らしい取引”ができるように、相手の手の中の札を読む。それがニューヨーク会談のポイントだ。

米朝首脳会談は、“独裁者”金正恩委員長に“ディール男”トランプ大統領が組み合わさってここまで進んできた。
歴代大統領や外交のプロのやり方にとらわれず、自らの直観を信じて米朝首脳会談を即決したトランプ。
その後の進め方も、ポンペオCIA長官(当時)のサプライズ訪朝、ツイートやカメラに向かっての「気に入らない」「会談はやめた」発言など、傍若無人ぶりをいかんなく発揮している。

首脳会談については「素晴らしい取引になる」「ディールだ」「ディール!」と連発している。大統領が意識するのは「合意」ではない。あくまで「取引」だ。
私たちも、この米朝首脳会談を従来型の感覚と常識でとらえていたら見誤るだろう。

詰めれば詰めるほど“素晴らしい取引”は遠のく

その意味で、板門店で行われている米朝の実務者協議は微妙だ。過去の経緯や実務を分かっている専門家が非核化の進め方を詰めようとすればするほど、“取引”の余地は狭まってしまうからだ。

例えば、非核化の「期限」としてあがる「今年11月の中間選挙」「2020年の大統領選挙」、あるいは最初の6ヶ月で核兵器を北朝鮮域外に搬出などとされる要求。そこにあるのはトランプの政治的思惑だけだ。

それが専門的知見からいかにかけ離れたものであるかは、北朝鮮の核開発計画を最もよく知るアメリカ人専門家であるスタンフォード大学のジークフリード・ヘッカー教授らが先日公表した報告書の指摘で浮き彫りになった。「北朝鮮非核化への技術ロードマップ」というタイトルの報告書は、非核化には凍結・縮小・廃棄の3段階であわせて10年(政治状況によっては15年)の歳月が必要。さらに核兵器の解体は製造した技術者に行わせるべきで海外搬出は拙速で危険などと指摘している。
この報告書には、CIAの元北朝鮮分析官のロバート・カーリン氏らも名を連ねている。

政治的思惑と現実の間に広く深い溝が広がっている以上、あるいはそうだからこそ、溝を埋める「合意」ではなく溝を飛び越える「取引」を志向するのだろう。
金正恩委員長が体制維持を第一に考えているのと同様、トランプ大統領は弾劾という事態を避け、再選されることを第一に考えている。
そもそもトランプ外交に理念や通すべき筋はない。自分のために利用するだけだ。だから取引と言ってはばからない。
その観点から、トランプ大統領は米朝首脳会談の見せ方や非核化合意の落としどころを最終判断する。
金委員長もそれは良く分かった上で首脳会談に臨む。
そう考えるのが自然だろう。

(執筆:フジテレビ 風間晋 解説委員)