「観察映画」という独特のドキュメンタリー手法で、数々の映画を監督してきた想田和弘氏。

2005年に制作した『選挙』は国内外で高く評価され、短縮版は約200カ国でテレビ放映し、アメリカの放送界で最高栄誉とされるピーボディ賞を受賞した。

観察映画として9作目になるのが、現在シアター・イメージフォーラムなど全国で順次上映中の『精神0(ゼロ)』だ。「病」に「老い」、そして「夫婦愛」とは何か?この作品が描くテーマについて、想田監督とプロデューサーの柏木規与子氏に聞いた。

想田和弘監督(左)とプロデューサーの柏木規与子氏(右)は、夫婦で映画制作をしている
想田和弘監督(左)とプロデューサーの柏木規与子氏(右)は、夫婦で映画制作をしている
この記事の画像(7枚)

「いま自分は“今生の別れ”に立ち会っている」

『精神0』の主人公は、精神科医の山本昌知医師。ベルリン国際映画祭などで絶賛された想田監督作品『精神』(08年)の主人公の1人であった山本氏は、「本人の話に耳を傾ける」をモットーに患者主体の精神医療を実践し、入院中心だった精神科医療の変革に力を尽くしてきた。

そんな山本氏が82歳にして突然引退することになり、映画は岡山にある山本氏の診療所で引退に戸惑う患者の姿から始まる。

山本氏は精神科医として「患者の話に耳を傾ける」ことをモットーとしてきた
山本氏は精神科医として「患者の話に耳を傾ける」ことをモットーとしてきた

――『精神』に続いて山本医師を撮ろうとしたきっかけを教えてください。

想田監督:
『精神』を撮影した時は患者さんにしか興味がなくて、山本先生は「眠そうな顔をして話を聞いている先生」くらいの印象しかなかったです。しかし、患者さんが神か仏のように慕っていて、だんだん凄い人だと分かってくるのですね。

僕は事前のリサーチをしないで映画を作るのですが、聞いてみると、山本先生は60年代に閉鎖病棟の鍵を外す運動の先駆者でもあったのです。だから次は、山本先生を主体にした映画を撮りたいと思っていたのですが、2018年に患者さんから「来月、先生が引退されるので撮った方がいいんじゃないですか」と連絡があって、いま撮るしかチャンスはないなと。

――映画の冒頭は、最後となる診察の場面から始まりましたね。

想田監督:
実は導入部分の診療所のシーンは、いきなり引退した先生を映しても『精神』を観ていない人にはわかりにくいと思って、テレビでいうと「紹介カット」的に撮っておこうと思っていました。しかし、撮影している時に「いま自分は“今生の別れ”のような場面に立ち会っているのだな」と思って、ちゃんと撮らないといけないなとギアを入れ替えてじっくり撮らせてもらいました。

柏木氏:
今回は先生が引退された後、どういう生活をされるのかを撮影しようと。ですから、映画のタイトルも「人間・山本」という感じになるかなと思っていました。

観客は徐々に芳子さんが病を患っていることに気づく

山本氏は認知症を患う妻芳子さんと2人で暮らす
山本氏は認知症を患う妻芳子さんと2人で暮らす

――撮影前からテーマは引退後の夫婦愛と想定していたのですか?

想田監督:
それはないです。なるべくテーマを想定しないように撮るのが観察映画なので、頭をまっさらにして行き当たりばったりでカメラを回しました。

テーマを入り口として考えてしまうと、撮影や編集がいつも「ない物ねだり」になってしまいますよね。決めているのはじっくり観察させてもらうことだけ。ですから、「老い」とか「別れ」とか「夫婦愛」といったテーマは、結果的にそうなったということです。しかも、作品に見出すテーマは観客によって異なります。

――引退後、妻の芳子さんとご自宅で2人暮らしをする様子が映し出されますが、台所に洗い物がそのままになっていたり、家の中が散らかっていたりして、観客は徐々に芳子さんが認知症であることがわかってきます。

想田監督:
観客の経験値や観察眼によって、芳子さんが病を患っておられることにかなり早い段階で気づいたり、最後まで気づかなかったりされますね。

柏木氏:
あのご自宅のシーンは、想田が1人で撮影した部分です。私は大体、撮影に同行するのですが、あの時は私の予定が合わなくて。もしあの場面に私が同行していたら、あれこれとつい台所のお手伝いをしてしまって、あの様な老夫婦の赤裸々な家庭生活は浮き彫りにならなかったと思います。ご夫妻には大変なおもてなしをしていただいて本当に恐縮でしたが、想田1人の撮影でよかったです。

「たぶんラストになるだろうな」という予感があった

観客からは「夫婦愛を考えさせられた」という言葉が多かった
観客からは「夫婦愛を考えさせられた」という言葉が多かった

――芳子さんの友人宅に2人が訪問したシーンでは、友人の昔話を通して、山本先生が仕事に熱心なあまり患者さんを自宅に泊めたり、芳子さんが若い頃からご苦労されてきたことを観客は知るのですね。

想田監督:
実はあのシーンは最後に撮影しました。それ以外は数カ月前に撮っていたのですが、山本先生から「よかったら芳子さんの友達の家に行くので撮影しないか」と提案があって。興味津々だったので、撮らせてくださいと。

柏木氏:
実際、あの時の会話は本当に楽しく、居樹さん(山本氏の友人)はあの映画で使った何倍もの時間、次々とごく自然にお話をして下さいました。その気楽な楽しい流れに乗って、ついつい核心的なエピソードが自然に飛び出してきたという感じでした。

――山本先生が芳子さんの手を握りながら、墓参りにいくラストシーンが印象的でした。お墓が足元の悪い場所にあって、足腰が弱い芳子さんをかばう山本先生をハラハラしながら観ていましたが、映画を観た人からは「あのシーンに泣いた」「夫婦愛を考えさせられた」という感想が多かったです。

想田監督:
あの場面は、撮影しながら「たぶんラストになるだろうな」という予感がありました。山本先生と芳子さんの人生がぎゅっと凝縮したような場面だと思っています。

柏木氏:
あそこも想田が1人で撮影した部分です。編集時に初めてあのシーンを見た時は、想田の冷血さ加減(笑)を改めて噛み締めながら、手に汗を握りました。私がその場にいて飛び出したりしなくて良かった。想田、よく頑張ったと(笑)あのシーンから見えてくることは多大だと思います。

次回作はミシガンで50年ぶりに出所した男性に密着

映画には道端の猫のシーンが続く。「僕は猫が好きなんです」と想田監督
映画には道端の猫のシーンが続く。「僕は猫が好きなんです」と想田監督

――改めて、想田監督の「観察映画」について伺います。これはドキュメンタリーとどう違うのでしょうか?

想田監督:
観察映画はドキュメンタリーと違うというより、「ドキュメンタリーとは本来こうではなかったか?」と僕が考える手法であり、スタイルです。僕はテレビで7年間ディレクターをやっていましたが、本当は事前に台本を書いたりリサーチをしたりすることは不要だし、ナレーションやテロップや効果音も要らないんじゃないかと思っていました。でも、テレビ局からは許されなかった。

そこで、映画では真逆をやってやろうと。観察映画のやり方は、現実を自分が見たままに描く発想なので、葛藤が生じないのですね。撮れたシーンからテーマが出てくる感じですし、先に構図ありきの「絵作り」もやりません。自分の体験を映像に翻訳することだけを考える感じです。

――最後に、コロナ禍で映画産業全体が厳しい状況ですが、『精神0』はオンラインの映画配信を行っていますね。

想田監督:
映画館の営業がやっと再開しましたが、コロナ前の2~40%くらいで、ピンチが続いていますね。オンライン配信を行う「仮設の映画館」では、映画界全体でサバイバルしなければと、映画を配信して劇場に課金の半分が入る仕組みにしました。

柏木氏:
「仮設の映画館」をつくった3月頃は、高齢者の方々に映画館に来てくださいと声をかけられない状況だったので、お客さんが安心して観られる方法を考えました。でも結局、ネットでは高齢者の方がアクセスするのが難しくて、「やっぱり映画館に行きます」と言われて。自分たちが思っている以上に、映画館は皆が集うための楽しい場所だったのがわかったので、より作りがいがあるなと思っています。

――次の上映作品はどんなものになりますか?

想田監督:
2016年から2017年に、アメリカのミシガン大学に客員教授として招かれたのですが、その時、50年ぶりに刑務所から出てくる人と出会って、出所の瞬間から密着して撮影させてもらいました。これをなるべく早く出したいなと思っています。

――それはまた楽しみですね。ありがとうございました。

画像:(c)2020 Laboratory X, Inc

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。