「フェニックス(不死鳥)」で救出される作業員

「ちちち・れれれ!」という掛け声とともに地上に姿を現した「つなぎ」姿の男たち。今回のタイ・チェンライで13人のサッカー少年らが洞窟に閉じ込められたとの一報を聞いたとき、頭に浮かんだ映像だった。

「死を覚悟」した作業員

2010年8月5日、チリ・アタカマ砂漠にある世界最大級のサン・ホセ鉱山で落盤事故は起きた。鉱山で作業中だった33人が生き埋め状態に。

深さ約700メートル。スカイツリーが丸ごと入ってしまう深さである。
生死を確かめるすべもなく、チリ国民も家族も33人の生存を諦めかけていた・・・。

そして、事故発生から17日が経過した8月22日。
掘削ドリルを引き上げると、赤ペンで走り書きしたメモがくくりつけられていた。

作業員が実際に書いた”生存”を伝えるメモ

「われわれは避難所にいて無事だ。33人」
”生存”を伝える待望の知らせだった。

世界中の知恵が集結した現場

そこから狂想曲が始まった。
鉱山があるアタカマ砂漠には文字通り、何もない。
トイレも水道ももちろんない。携帯電話もつながらない。
そこに世界中のメディア2000人が押し寄せた。

作業員の家族や、救出に携わる人々も近くでテントを張り、周辺はさながら「村」のようだった。チリ政府が全面バックアップ。
仮設トイレが作られ、電話の基地局も出来、1か月後にはインターネットがつながるようになった。
それでも、数日いるとパソコンは砂まみれになり故障。
シャワーもなかったため、我々の横に「ベース」を構えていたフランスのテレビ局の女性キャスターはペットボトルの「エビアン」で髪を洗っていた。

アタカマ砂漠の事故現場付近

また、チリ政府は救助のため、NASA(米航空宇宙局)やCDC(米疾病対策センター)など外国の政府、研究機関に支援や助言を仰いだ。中には米軍とともにアフガニスタンなどの戦地で活動する地盤調査会社も含まれていた。
世界中から機械や人材が集まり、結果的に想定よりかなり短期間での救出につながった。当初は4か月かかるとされた穴の掘削作業は半分で完了した。

「奇跡の救出劇」までどう生き延びたのか

落盤事故で閉じ込められた33人は「避難所」と呼ばれる狭いスペースに逃げ込む。そこには事故に備え、緊急の電話があったが、つながらず。備蓄されているはずの食糧はツナ缶などわずかで、飲料水は10リットルしかなかった。

探査用の穴が通じるまでの最初の17日間、作業員たちは48時間おきに「スプーン2杯のツナ、ミルク1口、ビスケット1枚」で飢えをしのいだと、のちに作業員が明かしている。

しかし、ミルクはすぐ腐って飲めなくなった。飲料水もなくなり、仕方なく油分も混じるような水を飲み、作業員の多くが腹痛に苦しんだ。また坑内は高温多湿下のため、体調を崩す作業員も続出。中には体重が10キロ減った人もおり、歯痛やカビにも悩まされたという。

もちろん、太陽の光は届かず、暗闇の中での生活を強いられた。あの奇跡の救出劇まで、この生活は69日間に及んだ。

救出を喜びあう作業員たち

33人のその後

33人は救出直後、ヒーローのようにもてはやされ、アメリカに招待されテレビ番組出演も果たした。彼らを題材にアントニオ・バンデラス主演で映画化もされた。『The 33』(邦題:『チリ33人 希望の軌跡』)

しかし、中には今でもPTSDに悩み、鉱山の仕事に戻れず、定職に着けない人がいる。

事故から3年後。「ちちち・れれれ!」の掛け声でムードメーカーとして知られた「スーパー・マリオ」こと、マリオ・セプルベダさんを伴って再び現場を訪れた。

救出から3年後、初めて現場を訪れたマリオ・セプルベダ氏

マリオさん自身もPTSDのため、救出から3年間、一度も現場に戻ったことがなかった。

最寄りの町から車で2時間弱のドライブ。ずーっとしゃべりっぱなしで饒舌だったマリオさんが現場に近づくにつれ無口になっていった。

そして、現場に到着したマリオさんがまず聞いたのは「De dónde salí?」「僕はどこから出てきたの?」だった。
夜間に展開された救出劇、主役たちはその状況を把握していなかったようだ。

現在は閉山となっているサン・ホセ鉱山の入り口

現在、事故があったサン・ホセ鉱山は閉山し、鉱山を所有していたサンエステバン社は倒産した。
跡地は「観光スポット」となり、救出までの69日間の写真などが展示されている。

博物館に展示されている「フェニックス」

そして、タイ政府観光局(TAT)は、現在少年たちが閉じ込められている洞窟周辺の観光振興を計画しているという。
なんとも気が早い話だ。

(執筆:フジテレビ 国際取材部 中本智代子)