3月に新型コロナで亡くなり、日本中が悲しんだ、志村けんさんの訃報から3カ月。

25日、東京・東村山市の議場には、志村さんを代表するギャグ「アイーン」が響き渡った。

地元・東村山市が、志村さんを名誉市民に選定。
顕彰式には、志村さんの2人の兄が遺影を手に出席した。

志村けんさんの兄・知之さん「弟が亡くなるとは思ってもみなくて...。本当に寂しいです」

2007年、志村けんさん(当時57歳)は「ずっと終わりがないですから、コントは。これからまたやっていきたい」

1976年、ローカル音頭だった「東村山音頭」を志村さんがアレンジし、テレビで披露すると、これが大ヒット。

志村さんの名誉市民選定に、東村山の人たちは「マイナーな都市が有名になったのは、志村けんさんのおかげ」、「やっぱり“誇り”ですよね」、「“親戚の人”っていうくらい、親しみを感じていました」などと話した。

志村さんが長年ひいきにしていたという、東村山市の「笹本だんご店」の店主は、今でも志村さんの姿を忘れられないという。

笹本だんご店・笹本悦子店主「『おつりはいらないから』って言われて、ニコッとして。(だんごを)持って、車に。食べながら行かれました。それが印象的だった。いまだに、志村けんさんのファンの方が来ますね。銅像が建つんじゃないかって、そんな話もちらほら出ている」