心をままを大声で叫ぶ自由

この記事の画像(8枚)

「私はブッシュが大嫌い!」
“I hate Bush! “

ワシントンの某ジムのインストラクターがウォーキング・コースの途中でホワイトハウス前に差し掛かると大声で必ず叫んだ言葉である。

時の大統領は共和党のブッシュ(子)で、熱心な民主党支持者であったインストラクターは余ほど彼が嫌だったのだろう。ウォーキングのレッスン中であることなどお構いなしであった。ホワイトハウスの警備に当たるシークレット・サービスの要員の耳にも彼女の叫び声は届いていたはずだが、もちろん、誰からも咎められたりしなかった。

以上は、そのインストラクターの世話になっていた妻から筆者が聞いた話である。

あのインストラクターなら今でも「私はトランプが大嫌い!」と毎回叫んでいるかもしれない。だが、テロ警戒が厳しくなった現在でも、これだけなら咎められる事はない。

『天安門広場』や『赤の広場』で叫ぶと・・・?

日本でも首相官邸前の歩道で「安倍辞めろ!」と一瞬叫ぶだけなら職質さえされないかもしれない。ロンドンのダウニング街の首相官邸前でも同様である。

無届で大規模集会を開き、暴れたり交通を妨げたりしない限り、嫌悪の表明も厳しい批判も先進国家では基本的に自由だからである。

だが、北京の天安門広場で「共産党独裁反対!」「習近平辞めろ!」と叫んだり、プラカードを持って抗議したらどうなるか?
モスクワの赤の広場で「プーチン辞めろ!」等とやったらどうなるか?ダマスカスの大統領官邸前は?平壌では?
ただでは済まないだろう。

行方不明になったサウジアラビア人記者

行方不明になっているサウジアラビア人記者 ジャマル・カショギ氏
行方不明になっているサウジアラビア人記者 ジャマル・カショギ氏

自国の政策に批判的なサウジアラビア人の記者がトルコのイスタンブールにあるサウジアラビア領事館に入ったきり行方不明になっている事件は、この“批判する自由”のリスクを改めて浮き彫りにしている。

トルコのサウジアラビア領事館に入っていくジャマル・カショギ記者
トルコのサウジアラビア領事館に入っていくジャマル・カショギ記者

行方不明の記者ジャマル・カショギ氏はアメリカ在住でワシントン・ポスト紙にしばしば寄稿、母国の事実上の最高権力者・ムハンマド皇太子が進める改革やサウジのイエメン軍事介入などを批判していた。ポスト紙の報道によれば、それが気に入らないとムハンマド皇太子自身がカショギ氏の拘束を指示していたとの情報があるという。

ムハンマド皇太子
ムハンマド皇太子

カショギ氏の行方は今も不明で、トルコ当局は領事館内で殺害された可能性が高いと見ていると報じられている。

殺害への関与を否定するためにサウジアラビア総領事館内部が公開された
殺害への関与を否定するためにサウジアラビア総領事館内部が公開された

カショギ氏が本拠地にしていたアメリカは修正憲法第1条で表現の自由を保証している。報道の自由もこれに含まれる。

そのアメリカで活動をしていた記者が、批判的な記事を書いていたというだけで母国政府の要員に拐かされ、しかも殺害された可能性が高いとなればアメリカは黙っていない。

議会やメディアを中心に、事件の解明を徹底的に求めると共に、事件の関係者にアメリカ国内法に基づき制裁を加えるよう要求する声が上がっている。

アメリカとサウジアラビアの関係

サウジアラビアのサルマン国王(右)
サウジアラビアのサルマン国王(右)

アメリカには、重大な人権侵害行為や汚職に関わった人間に対して、どの国の人間であっても、アメリカにある資産を凍結したり、ヴィザを没収したりすることができる法律がある。
これを適用して関係者を処罰し、更に、場合によっては、サウジとの関係を見直すべきというのである。

アメリカにとってサウジは同盟国であると同時にアメリカ製兵器の上得意の顧客でもある。その王室と深い繋がりがあると言われるトランプ大統領の歯切れが妙に悪いのが気になって仕方ないが、事件がうやむやに終わってしまうような事だけは許してはならない。

不可欠なのは“批判の存在”

健全な国家・社会を保つためには批判の存在は不可欠である。

批判を封じ込めれば政治家が暴走し役人は堕落する。不正が蔓延ってしまうのが世の常である。だから、我々は批判することを恐れてはならない。濫用は許されない。が、躊躇いは無用なのである。

その批判が気に入らないからと、政府の権限と要員を使い、自国民を、保護したのではなく拉致し、殺害までもやったなぞという非道の蛮行が罷り通れば、誰もが口を閉じ、見て見ぬ振りをするようになってしまう。それでは、間違いなく悪が蔓延る。

だからこそ、我々はこれをうやむやにしてはならないのである。

冒頭に記したワシントンの小話と東京にロンドン。
対する北京・モスクワ・ダマスカス・平壌。
その違いに注目していただきたい。

そして、この違いが人々の暮らしにどれほどの違いをもたらしているかに思いを馳せて欲しい。
批判する自由を守り、伝えていこう。

(執筆:フジテレビ 解説委員 二関吉郎)