西日本豪雨災害からの復興には、人知れず力を尽くした人がたくさんいた。地域の神社の復旧に奮闘した男性と、その遺志を継ぐ人たちを取材した。
横幅104m 県内最大級の砂防ダム建設
広島県海田町に建設中の巨大な砂防ダム。7月の気温36度を超える猛暑日も、その工事は着々と進められていた。
この記事の画像(19枚)作業員は「びっくりするぐらい大きいです。横幅が104メートルあります。一番下の幅は18メートル、水を通す天端の幅が3メートル。過去30年間に建設された砂防ダムでここが一番大きいそうです」と話す。
その砂防ダムの近くにたたずむ春日神社。
海田町のシンボルとも言われる日浦山中腹に鎮座し、2018年7月の西日本豪雨で大規模な土砂崩れが発生した場所だ。
災害から4日後の2018年7月10日、春日神社の宮総代を務める檜﨑繁樹さんは神社の被災状況を確認していた。
春日神社 宮総代 檜﨑繁樹さん:
ここは大正12年にも土砂が流れている。再建は昭和6年。普通のお宮は参道を上がった真正面に社殿がありますが、山からの土石流を避けるために、社殿の位置を右へ90度振って再建されたわけです。今回の被災で、完全復旧までに10年は見ないといけないでしょうね
再建時に位置を移動させたおかげで社殿はかろうじて残ったものの、土砂は境内を大きく削り取り、ふもとの住宅地へ流れ込んだ。
神社の復旧に力を尽くした”赤のアニキ”
西日本豪雨災害から4年。砂防ダムの建設が進み復旧へと向かう境内には、参拝者が奉納した絵馬がつるされている。その中に”石田史朗さん”という人へのメッセージがいくつか見られる。「石田史朗さんの病気平癒」「ガンバレ史朗さん!」など、どの絵馬にも病気からの回復が祈願されていた。
災害後、春日神社の復旧作業で各地から集まるボランティアをまとめていたのが石田史朗さんだった。トレードマークの赤いTシャツからついた愛称は”赤のアニキ”。石田さんの本職はイベント業で、広島フラワーフェスティバルなどでディレクターを務めていた。春日神社の復旧作業には、知人の呼びかけで加わったという。
石田史朗さん:
春日神社で遊んでいる子どもたちが、将来、災害への備えを引き継げるようにしなければいけない。それが、復旧作業に関わった大人の仕事なんだろうな。その手助けができればと思って
災害直後、現場には重機がなく、岩や木などをすべて人力で動かしていた。
石田史朗さん:
「ユンボとチェーンソーがどうしても欲しい。なんとか手配できないか」という相談を受けて。僕は技術がないので、できることと言ったらモノの調達と人集めぐらい。それで、翌日すぐ重機が手配できたんですよ。僕にできることはそれしかないと思って。復旧作業に参加して2、3日目に宮司さんからポロっと秋祭りの話が出た。「毎年10月にお祭りやってるんですよ」ってね。そこには“今年は無理だろう”っていうニュアンスが含まれていたんだけど、僕は「じゃあ、やろうじゃないの」って思いました
「今、できることは何か?」災害を教訓に
秋祭りに向けた神社復旧の話は地域住民の間にも広がり、作業に参加するボランティアは一段と増えた。男性、女性、子どもから高齢者まで、それぞれができる仕事を分担して行った。
石田さんは、その時の心境を「自分ができることはなんだろうって、常に探していたような気がしますね。みんなもそうなんだろうな。それぞれの立場で、一人一人がすごかった」と振り返った。こうして、災害からわずか3カ月後に行われた秋祭りは、例年以上の盛り上がりを見せたのだった。
春日神社 宮司 齋木至公さん:
夢にも思わなかったですね。神事すらできるかどうか不安だったのに、ここまでにぎやかなお祭りができたのは本当に皆さんのおかげだなって感謝しております
不可能だと思われた秋祭りを実現させた後、石田さんはあることを心配していた。
石田史朗さん:
やっぱりのど元過ぎたらね、災害の怖さを忘れてしまうから。そこですよね。みんなで積極的に形として残すべきだと思うんですよ。絶対、今後の災害に役立つと思うんです
このインタビューから何年も経たないうちに石田さんはガンを発症し、2年近くに及ぶ闘病生活の末、2022年1月に亡くなった。
石田さんを中心に一丸となって成し遂げた秋祭り以降、2週間に1度、神社の総代が集まって境内の清掃をするようになった。
春日神社 宮総代 檜﨑繁樹さん:
頼りにしていた石田さんが亡くなって、宮総代のメンバーも肩を落としたのですが…。ちょうど2023年が春日神社の800年祭の年になりますので、石田さんの遺志を確実に引き継いで立派にやりたいと思います
春日神社 宮司 齋木至公さん:
”今できることは何だろう”と始まった2週間に1回の掃除が今でも続いているのは、とにかく前に進もうと復旧に取り組んだ流れがあったからじゃないかと思います
大正時代に起きた災害の教訓は社殿を守ってきた。そして、西日本豪雨災害の教訓は石田さんの遺志によって引き継がれ、完成を控えた砂防ダムと共に地域住民の命を守ってくれるだろう。望まない、未来の災害から…。
(テレビ新広島)