去年8月、東京・港区の白金高輪駅の構内で、大学の後輩だった男性に硫酸をかけ、重傷を負わせた罪などに問われている花森弘卓被告(26)の初公判が20日に行われた。

小さな声で「間違いありません」

黒のジャージ姿で傍聴席に軽く会釈をして入廷した花森被告。そのがっちりとした体格は、逮捕時とはあまり変化はなかった。花森被告は、人定質問で名前を名乗ったものの、その声を聞き取ることはできず、裁判長から何度か言い直すよう促された。その後、「花森弘卓です」と口にしたが、その声も小さかった。

潜伏先の沖縄から都内に移送される花森被告(去年8月)
潜伏先の沖縄から都内に移送される花森被告(去年8月)
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事件が起きた地下鉄・白金高輪駅(去年8月)
事件が起きた地下鉄・白金高輪駅(去年8月)

花森被告は2つの罪で起訴されている。1つ目は、去年4月、大学の部室において、後輩の男性(以下「Aさん」)の両腕をつかんで転倒させ、顔面を拳で1回殴った暴行罪。2つめは、白金高輪駅の構内で、Aさんとは別の後輩の男性(以下「Bさん」)に硫酸をかけて、全治3カ月のけがをさせた傷害罪だ。

裁判長から、起訴内容に間違いないかと問われた花森被告は、「間違いないです」と、これまた小さな声で答え、起訴内容を認めた。弁護人も起訴内容を認め、量刑で争う姿勢を示した。では、なぜ、花森被告は硫酸をかけるという行為にまで至ったのか。初公判で行われた検察側と弁護側の冒頭陳述などをもとに、事件の経緯を振り返りたい。

昆虫好きな少年が大学へ

1996年6月、日本人の父と中国人の母との間に中国で生まれた花森被告。2歳の時に、日本に移住し、生活を始めた。小学校ではクラスになじむことができず、「思い通りにいかないと手が出ることがあった」という。一方で勉強には熱心で、昆虫や生物が好きな少年だった。

花森被告に対する裁判は9月20日から始まった(東京地裁)
花森被告に対する裁判は9月20日から始まった(東京地裁)
初公判で花森被告は、起訴内容を認めた(今月20日 東京地裁)
初公判で花森被告は、起訴内容を認めた(今月20日 東京地裁)

中学生になってからは忘れ物が多く、教師から何度も注意されたが改善しなかった。また、東日本大震災の発生後、放射線などを不安に感じた母親の意向で、いったん中国に戻ったが、進学のため再び日本に戻ってきたという。

しかし、高校でもクラスになじめず、「他者の言動に過敏になり、被害妄想が見られる」こともあったという。そして琉球大学農学部に進学。1年生の時は、アルバイトをしたり、友人と一緒に昆虫を採りに行くなどして穏やかに過ごしていた。

「いじられキャラ」と母の病死

花森被告は、大学2年になると、映画研究会に入会。この時の同期がAさんやBさんだった。同期ではあるものの年齢は1つ上だった花森被告。Bさんから「敬語を使った方がいいか」と聞かれたが「同期だしいいよ」と言われたので、AさんやBさんはタメ口で交流していた。

大学生当時の花森被告。2年からは映画研究会に加入したという。
大学生当時の花森被告。2年からは映画研究会に加入したという。

映画研究会の中で花森被告は、新入生歓迎会でトレーニングのコーチを買って出たため、「コーチ」と呼ばれたり、俺っちという口癖から「俺っち」とも呼ばれていた。いわゆる「いじられキャラ」だったそうだ。

大学2年の終わり頃、花森被告の母親がガンで病死。その後、花森被告は琉球大学を退学。実家に戻り、静岡県内の大学に編入した。父親も高校2年の時に病死していたため、実家では1人暮らしだった。実家に戻ってからは、大学の友人たちとは疎遠となっていた。

「不審者に放火される」被害妄想も

そんな中、花森被告が、実家の前で、不審な男を見かけたという。そもそも、実家の中は、片付けができていない上、ガレージは開けっぱなしだった。そんな生活を見かねた叔父は、「不審者に入ってこられる。放火でもされたらどうする」などと注意したそうだ。

自宅のある静岡県から逃走する花森被告(去年8月 静岡駅)
自宅のある静岡県から逃走する花森被告(去年8月 静岡駅)

花森被告は、この「不審な男」を、AさんやBさんらと結びつけ、「攻撃される、放火される」などと考えるようになったという。不安に思った花森被告は、「不審な男」が誰なのか確認しようと考え、Bさんに会いに行くことにした。

LINEで「沖縄に行くので宿泊させてほしい」と連絡を取ったが、Bさんは多忙だったため断ったという。その後も連絡を取り続けたが、夜中に起こされたり、卒論で忙しかったこともあり、Bさんは、花森被告のLINEを「ブロック」したそうだ。

”やることリスト”に「硫酸かける」

弁護側によると「被害者らに真意を確認しようとしたものの連絡が取れず、一層不安が募ることになった。このような中、2021年2月頃、被害者らからの襲撃に備えるため、インターネットで器具や材料を買い、硫酸を作り始めた」という。

犯行当時の白金高輪駅での花森被告の様子(去年8月)
犯行当時の白金高輪駅での花森被告の様子(去年8月)

一方、Aさんについては、去年4月、映画研究会の部室で再会した。花森被告は、Bさんの居場所などを聞き出そうとしたが、Aさんは取り合わなかったという。そこで花森被告は、「おまえ、1年生の時の態度悪かったよな。土下座で謝れ」などと言い暴行を加えた。これが1つめの事件である。

AさんからはBさんの所在は聞き出せなかったものの、大学のホームページなどから、Bさんの就職先を特定した花森被告。花森被告の自宅から見つかったレシートの裏には「やることリスト」が書かれていた。その一番目に書かれていたのが「硫酸をかける」だった。

被害者を追いかけ回し そして硫酸を

事件1カ月前の去年7月、花森被告はBさんと接触。BさんはAさんから暴行事件のことを聞いていたのでタクシーで逃げようとしたが、花森被告はタクシーにも乗り込んできた。花森被告は「自宅に来たか」などと聞くもBさんは否定。話をまともに取り合ってもらえなかったため、「Bさんに対する不安や恐怖感が一層高まった」(弁護側)という。

勤務先近くで、Bさんを尾行する花森被告(去年8月)
勤務先近くで、Bさんを尾行する花森被告(去年8月)

そして、事件当日、花森被告はBさんの勤務先まで行き、数時間にわたって周辺を徘徊しつつ、Bさんが出てくるのを待ち続けた。その後、退社したBさんを追いかけ、白金高輪駅の構内で硫酸をかけた。

以上が初公判で明らかになった事件の経緯だ。「攻撃されるかもしれない」という”思い込み”から、AさんやBさんに、危害を加えたとされる花森被告。弁護側は、花森被告が自閉スペクトラム症とPTSDと診断されており、これらが事件に影響したと主張した。

「いじり」も事件を誘発か

花森被告にとって、自閉スペクトラム症由来である「固執」により、気になり始めると、色々なことが、頭から離れなかったという。このため、「攻撃されるかも知れない」という不安や恐怖も膨れ上がることになる。また大学時代の「いじり」についても、事件と関係しているという。

弁護側は、森被告が自閉スペクトラム症とPTSDと診断されていると主張している。
弁護側は、森被告が自閉スペクトラム症とPTSDと診断されていると主張している。

弁護側は、「個性的な趣味や性格、容姿などをいじられたり、からかわれることもあった。これらのいじりやからかいは、被告人にとっては追い込みをかけられていると感じた」として、これらの「いじり」などによりPTSDを発症し、精神的に不安定だったと主張している。

「いじり」について、法廷で読み上げられたBさんの供述調書では、「嫌がったとは思えなかったが、自分が思った以上に、嫌なことだったのかと感じた。しかし、硫酸をかけられたことの理不尽さには耐えられない」と訴えた。

被害者にヤケドの痕「人生設計を狂わされた」

検察側は花森被告について、3カ月間の鑑定留置を行い「責任能力に問題はない」として起訴している。犯行時の精神状態はどのようなものだったのか、今後、精神科医の証人尋問が行われる。

被害者の男性は、事件後の去年12月、FNNの取材に応じた。
被害者の男性は、事件後の去年12月、FNNの取材に応じた。
被害者の男性には、くっきりと残るヤケドの痕が見られた。
被害者の男性には、くっきりと残るヤケドの痕が見られた。

「一度しかない人生設計を狂わされた。被告人には最高に長い罰を受けてほしい」と訴えるBさん。やけどの痕が残っており、左目は、目薬をさし続けなければいけないなど、今も”苦しみ”が続いているという。

初公判では、検察側と弁護側の主張から、事件の大まかな背景が明らかになった。動機は何だったのか、なぜ硫酸をかけるまでに至ったのか。今後、行われる被告人質問で、花森被告の口から明らかにされる。

(フジテレビ社会部・司法クラブ 高沢一輝)