“外交政策の天才”

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“外交政策の天才”(The Foreign Policy Genius )

”賢明な外交政策指導者”(A wise foreign policy leader)

先日、アメリカで国葬が営まれた第41代合衆国大統領、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ氏、通称パパ・ブッシュの追悼記事は氏の華麗な経歴と外交成果を称える内容で満ち溢れていた。上記はそうした記事の見出しの例である。

世界の巨大イベントを平和裏に

パパ・ブッシュの決断で開始された湾岸戦争
パパ・ブッシュの決断で開始された湾岸戦争

平成生まれの読者諸氏は世界史の教科書で目にしたと思うが、20世紀も終わらんとする1989年・平成元年以降、欧州では東西冷戦の終結とソヴィエトの崩壊、ドイツ統一という歴史的大イベントが続いた。

これらをもたらしたのは一個人の功績に帰するものではないが、これら巨大イベントが平和裏に進行し完了したのは時の合衆国大統領だったパパ・ブッシュの手腕によるところが大きいのは紛れもない事実である。

ソビエトが製造し各地に配備していた核兵器の管理も大きな問題なくロシアに引き継がれたが、これも特筆すべきであろう。

いずれも一歩間違えれば大惨事に発展してもおかしくなかった。 

また、人類史上唯一無二と言っても過言ではない多国籍軍を組織して、サダム・フセインのサウジ侵攻を防ぎクウェートを取り戻したのも、”鉄の女”は異議を唱えるかもしれないが、氏の外交手腕によるものである。

アジアの冷戦構造解消への期待

太平洋戦争に海軍パイロットとして従軍し、後に、北京でアメリカ政府駐在代表やニューヨークの国連大使、更にはCIA長官、副大統領を歴任したブッシュ氏は外交に長けた現実主義者で、激動の時代の西側陣営のリーダーとしては最適だったのである。

その頃、西側諸国の多くの関係者が期待したことが一つある。

それは「次はアジアで冷戦構造を解消する番だ。」という事である。

ひらたく言えば朝鮮半島分断の終結と南北の統一がパパ・ブッシュの下で実現することに、今思えば所詮儚いものだったが、西側外交・安保関係者の多くが淡い希望を抱いたのである。

だが、現実はそうはならなかった。

パパ・ブッシュの葬儀に参列した歴代大統領たち
パパ・ブッシュの葬儀に参列した歴代大統領たち

理由は幾つもあるのだろうが、パパ・ブッシュが1992年の大統領選挙で敗れ、わずか1期4年で、その座を若きアーカンソー州知事、ビル・クリントン氏に譲ることになったのは大きかったと筆者は思わざるを得ない。ブッシュ氏は内政が得意ではなかったが故に再選に失敗した。そして、後を継いだクリントン氏は外交経験ゼロであった。

北朝鮮問題の解決を最優先に

想像になるが、これを、時の北朝鮮の指導者、金日成主席はチャンスと捉えたに違いない。外交・情報に優れ、北朝鮮の後ろ盾である中国やロシアの指導者とも話ができるパパ・ブッシュを篭絡するのは不可能でも、あの若造なら手玉にとれると計算したに違いない。

1994年に北朝鮮の核危機が開戦直前までエスカレートし、結局、ジュネーブ合意でようやく戦争を回避、問題を実質的に先送りしたのが今に繋がっているのだが、その時の合衆国大統領は既に第42代のクリントン氏であった。

パパ・ブッシュの国葬翌日に日本の外交のプロ某氏と「あの時、まだパパ・ブッシュが大統領だったらどうなっていただろうか?」と少しだけ話をするチャンスがあった。「結果は同じだったかもしれませんね。」で短い会話は終わったのだが、果たしてそうだったろうか?これを改めて考えると、やはり、パパ・ブッシュ政権が北朝鮮に本格的に対処することがなかったのは残念でならない。

何故なら、クリントン政権は当時、放っておいても北朝鮮は遠からず崩壊するとタカをくくっていたからである。この大前提が今も誤りであることは自明であるし、その後の所謂ペリー報告で「北朝鮮にどうなって欲しいと考えて政策を立案・遂行するのではなく、北朝鮮をありのままに捉え対応すべき。」(旨)とクリントン政権が末期になって自ら前提を改めたことから考えても、94年当時のクリントン政権の北朝鮮政策が失敗だったことは明らかである。

そこでパパ・ブッシュだったらどうしていただろうか?と言えば、まず間違いなく、中国指導部やロシアの指導部と連携をより密にやっていただろう。それでも中国がアメリカの希望通り動いたとは思えないが、北の核開発にブレーキを掛けるのにもっと協力した可能性は高い。そして、内政への関心が高くないパパ・ブッシュ大統領なら、北朝鮮問題の解決を先送りなどせず、最優先事項として対処し続けた可能性は極めて高い。中国やロシアにプレッシャーを掛けながら、真綿で首を絞めるように、じわじわと北朝鮮を追い詰め続けたのではないだろうか?

その結果がどう転んでいたかは不明である。クリントン時代以降、北朝鮮は時間稼ぎに明らかに成功し、自分達の核兵器・ミサイル開発を大幅に進展させた。だが、当時なら彼らの核開発レベルは現在より格段に低かった。

トランプはパパ・ブッシュの爪の垢を煎じて飲め

追悼式典に参加したトランプ大統領夫妻
追悼式典に参加したトランプ大統領夫妻

 今の第45代合衆国大統領は成果と名声を得ようとする意欲に関しては歴代のどの大統領にも劣らない強さを保持している。しかし、トランプ大統領がパパ・ブッシュのような知識も経験も現実性も忍耐力も持ち合わせていないのを様々な局面で目の当たりにするにつけ、不安は嵩じるばかりである。「トランプなら手玉にとれる。また時間稼ぎができるし、うまくすれば核保有国としての地位をより既成化できる。」という北の目論見に、トランプ氏はまんまと乗せられているだけなのではないかいう疑念が生じてくるのである。事実、すでに最大限の圧力は彼の国の裏側で尻抜けになっている。

北朝鮮の核兵器に掛ける決意は今も基本的に変わっていない。それはディールだけで変わる性質のものではないという現実をトランプ氏は認識すべきである。そして、第45代大統領は第41代パパ・ブッシュの爪の垢を煎じて飲み、もっと現実的な対応をする必要があると筆者は思う。同時に、パパ・ブッシュが北朝鮮政策に本腰を入れることなく、表舞台から去ったことを惜しまずにいられないのである。

(執筆:フジテレビ 解説委員 二関吉郎)

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二関吉郎
二関吉郎

生涯“一記者"がモットー
フジテレビ報道局解説委員。1989年ロンドン特派員としてベルリンの壁崩壊・湾岸戦争・ソビエト崩壊・中東和平合意等を取材。1999年ワシントン支局長として911テロ、アフガン戦争・イラク戦争に遭遇し取材にあたった。その後、フジテレビ報道局外信部長・社会部長などを歴任。東日本大震災では、取材部門を指揮した。 ヨーロッパ統括担当局長を経て現職。