今週、シリーズでお伝えする「あの日をつなぐ」。広島はまもなく被爆77年の原爆の日を迎えます。原爆ドームに向き合い続けたある男性画家の思いを取材しました。

原爆ドームを描く男性。画家の、ガタロさんです。

【ガタロさん】
「原爆ドームの後ろにもきれいなビルが建っとるけど見えないわけよ。わしにはこの原爆ドームしか」

これまで500枚以上、原爆ドームの絵を描いてきました。広島市安佐南区に住むガタロさん。息子は就職で広島を離れ、今は妻と二人で暮らしています。
物心ついたころから絵を描くことが好きだったガタロさんは、これまで長年、基町の商店街で清掃員の仕事をしながら絵を描いてきました。ガタロとはカッパのこと。水の中でも陸上でも自由に生きていけるカッパに憧れて名づけました。

【ガタロさん】
「掃除道具って365日使うわけです。棒ブラシもデッキブラシも雑巾も。その中でしか見えてこない社会ってあるわけですよ。決定的に」

1949年に生まれたガタロさん。父親の義雄さんは原爆投下時、爆心地から800mの場所で被爆。奇跡的に助かりましたが父と弟、妹を失いました。

【ガタロさん】
「50代ぐらいを前後して、いきなり寝てたら鼻血を出すようになったわけ、突然。その時の親父の悲鳴。放射能による二次被害という恐怖は知っていたと思う」

その後、義雄さんは60歳で亡くなりました。

【ガタロさん】
「被爆のことを一切語らなかった。初めて親父に、お父さんどうだったって言ったら、ひとことだけ“地球の最期じゃ思うた”って言うんですよ」

30代のころ、原爆ドームを描き始めたガタロさん。「原爆ドームは何を問いかけているのか」365日、毎日通い考え続けてきました。

【ガタロさん】
「戦争のグロテスクさとか、忌まわしさとか、それは絶対ダメだよということを発し続けないとね。広島に生まれ、広島に住んどる人間の唯一の根っこ。ここに立ち返ってほしいという思いがある。そのために描いてきたんかなと思う」

35年の時を経て今年、再び原爆ドームを描き始めたガタロさん。

【ガタロさん】
「ウクライナ(への侵攻)ということが出てきたでしょ。それをきっかけに再びこの原爆ドームと向かい合ってきた。メディアが報じるウクライナの建造物が破壊された姿、それと原爆ドームがすごく重なる。破壊された町々というのは、ほとんどモノクロームです。白黒です。美しいものはひとつもない。戦争というのは美しいものを奪いとるんじゃね、すべて。描くという行為は立ち止まる行為だから。写メでパチンとやって終わりじゃなくて、立ち止まってほしい。絵を描くというプロセスはそういうことなんです。手を動かして考えること、考えることをやめないでほしい」

先月、広島市西区で行われた展示会。
ガタロさんは、これまで自身の記憶に残る戦後の風景なども数多く描いてきました。

【ガタロさん】
「閉塞した空気、コロナで。生きてるって何だろうか、命ってなんだろうかということを考えだしたわけ、ステイホームしとる間に」

そんな折、ガタロさんが30年前に描いた作品を知り合いが持ってきてくれました。

【ガタロさん】
「ちょっとそれを見たとき、元気が出てね」

展示会のタイトルは「ひとりふたり展」。新たに描いた作品も加えて画家のあきさんと共同で開催しました。

【あきさん】
「展示の仕方も、ガタロさんの絵だけをここにまとめる。私のはこっちというふうにするかなと思っていたんだけど、ガタロさんがそれじゃ意味がないと言って、ごちゃごちゃにしてほしいって、それは絶対にこだわられていたんです」

【ガタロさん】
「デコボコがいいんだってこと。フラットに整理するんじゃなくて、絵のうまい下手を見るんじゃなしに、デコボコがいいんだって。それがおもしろいんだってこと」

1年以上前から開催が決まっていた展示会。しかし、そこで予期せぬことが起こります。
ロシアによるウクライナ侵攻です。

【ガタロさん】
「広島の人間として心が痛む。それで急遽ああいったポスターを作ったんです。小さな力かもわからんけど、戦争に対しての意思表示はしておきたいなと」

ガタロさんが展示会のため新たに描いた作品のひとつが正義の象徴ともいえる”月光仮面”。

【ガタロさん】
「どこの国もわしんとこが正しい言うとる。わしの平和が正しいんだって言ってるわけ。
それは本物かなと思うんです」

この日も元安川のほとりにガタロさんの姿がありました。
(原爆ドームを描く~核 絶対否定~)

【ガタロさん】
Q:きょうの一枚はどうですか?
「もうちょっと感情をあらわに表へ出してもよかったね。ただ毎日感情が違って毎日違った原爆ドームを見てしまう。原爆ドームはわしみたいにべらべらしゃべるわけじゃないんですよね。いつも黙ってたっとるだけなんよ」

無言で佇む原爆ドーム。そのメッセージを私たちは受け止めることができているのでしょうか。

【ガタロさん】
「原爆ドームの前に正面に据えて立った時ぐらいは、戦争はダメだ、核はダメだということは言うべき。それをまた実行すべき。えらそうなことを言いまして、すみません。だけどここへ来て立ち止まって描きよればヒロシマと向かい合うことができるからね」

いま、ヒロシマから何を学ぶべきなのか。私たちに問われています。