【絵本作家・加古里子さん (92) 】 5月2日死去
絵本作家の加古里子さんが、2日、慢性腎不全のため亡くなった。享年92歳。
あたたかいタッチで表情豊かなカラスたちを描き、200万部以上の大ヒットを記録した人気の絵本「からすのパンやさん」や、半世紀以上愛され、累計389万部を売り上げた「だるまちゃんシリーズ」は今年1月にも新作が3冊発売されている。
加古さんの長女である鈴木万里さんによると、子どもたちのファンレターを支えに最後まで創作活動を続け、亡くなる前日にも鈴木さんがファンレターを読んで聞かせていたという。

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【歌手・西城秀樹さん (63) 】 5月16日死去
歌手の西城秀樹さんが5月16日急性心不全で死去した。享年63歳。
1972年、16歳の時に「恋する季節」で歌手デビューを果たし、翌年には「情熱の嵐」がオリコンチャートで初めてベスト10入りし一躍トップアイドルの仲間入り。郷ひろみさん、野口五郎さんと共に「新御三家」と呼ばれ、一世を風靡した。
西城さんは2003年と2011年2度にわたって脳梗塞を発症し、右半身麻痺の後遺症を抱えていたが、「再びキレのあるYMCAをやりたい」とリハビリに励みステージに立ち続けていた。
5月26日に行われた告別式には、歌手仲間やファンら1万4000人が参列し、西城さんとの別れを惜しんだ。3.5kmもの列をつくった参列者には、“ありがとう”と書かれたポストカードが一人一人に手渡された。

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【俳優・加藤剛さん (80) 】 6月18日死去
俳優の加藤剛さんが6月18日胆のうがんのため亡くなった。享年80歳。
加藤剛さんは早稲田大学を卒業後、俳優としてテレビ時代劇「大岡越前」や映画「砂の器」などに出演し、端正な顔立ちと知性あふれる演技で人気を博した。

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【落語家・桂歌丸さん (81) 】 7月2日死去
桂歌丸さん(本名:椎名巌さん)が慢性閉塞性肺疾患により7月2日横浜市の病院で亡くなった。享年81歳。
歌丸さんは15歳の時に五代目古今亭今輔に入門、のちに桂米丸門下となった。1966年に人気演芸番組「笑点」がスタート。大喜利レギュラーとなり、2006年に5代目司会者となるなどテレビでも活躍していた。
晩年も慢性閉塞性肺疾患により入退院を繰り返しながらも、体調をみながら高座に登るなど、落語界のためにと奮闘を続けていた。亡くなった後の「笑点」では名コンビだった三遊亭円楽さんが「最後に一言、言わせてください。『ジジィ 早すぎるんだよ』」と涙をこらえながら、歌丸さんへのメッセージを送った。

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【演出家・浅利慶太さん (85) 】 7月18日死去
演出家・浅利慶太さんが7月13日悪性リンパ腫により都内病院で亡くなった。享年85歳。
浅利氏は慶應義塾大学在学中の1953年に、日下武史(故人)さんら10人で、劇団四季を創立。
「ウェストサイド物語」「コーラスライン」「ライオンキング」など海外作品の翻訳上演や、「夢から醒めた夢」「ユタと不思議な仲間たち」「ミュージカル李香蘭」などのオリジナルミュージカルを手掛け、日本にミュージカル文化を定着させた。
また1983年初演の「キャッツ」では、日本初となるロングラン公演を成功させ、日本演劇界の興行形態を変革した。

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【俳優・津川雅彦さん (78) 】 8月4日死去
俳優の津川雅彦さんが8月4日心不全のため亡くなった。享年78歳。
5歳で映画デビューを果たし、その後も子役として多くの映画に出演した津川さん。1956年高校入学後まもなく日活から映画の出演依頼を受け、俳優としての第一歩を踏み出すと、映画「狂った果実」で石原裕次郎さん演じる主人公の弟役に抜擢されたことをきっかけに“二枚目俳優”としてブレイク。
1987年には伊丹十三監督の大ヒット映画「マルサの女」に出演、2006年には「マキノ雅彦」という別名義で映画「寝ずの番」の初監督を務めた。この年、紫綬褒章、2014年には旭日小綬章を受賞した。
亡くなったのは「おしどり夫婦」として知られた妻・朝丘雪路さんの死去から3カ月余りのことだった。

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【政治家・翁長雄志さん (67) 】 8月8日死去
沖縄県の翁長雄志知事が8月8日すい臓がんで亡くなった。享年67歳。
2014年に辺野古基地移設反対を公約に掲げ、沖縄県知事選に勝利した翁長知事。知事就任以来、一貫して政府が進める普天間基地の名護市辺野古への移設計画に反対し、過重な基地負担を強いられている沖縄の「不条理」を訴え続けた。2015年にはスイスのジュネーブで開かれた国連人権理事会に出席。「基地問題」を「人権問題」として沖縄の歴史を万国共通のテーマとして演説を行った。
2015年10月、辺野古周辺で進められる移設工事を法的に止めるため埋め立て承認を取り消し、国との法廷闘争に突入。しかし、最高裁は翁長知事の承認取り消しは違法とする判決を言い渡し、沖縄県側の敗訴が確定していた。

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【女優・菅井きんさん (92) 】 8月10日死去
菅井きんさんが8月10日心不全のため亡くなった。享年92歳。
菅井(本名:佐藤キミ子)さんは、1926年東京生まれ。OL生活を経て1946年東京芸術劇場研究所に入り、翌年初舞台を踏んだ。
時代劇「必殺」の中村主水シリーズに姑役で出演し、「ムコ殿!」のセリフと共にムコいびりぶりで人気を呼んだ。
1985年に映画「お葬式」などで日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。
1990年に紫綬褒章、96年に勲四等宝冠章を受章した。

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【漫画家・さくらももこさん (53) 】 8月15日死去

漫画家・さくらももこさんが8月15日に乳がんで亡くなった。享年53歳。
誰からも愛された国民的人気アニメ「ちびまる子ちゃん」の作者としてだけでなく、エッセイスト、作詞家などマルチな分野で才能を発揮した。
1965年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれ、1984年に漫画家デビュー。1986年には少女コミック雑誌『りぼん』で「ちびまる子ちゃん」の連載をスタートした。
1990年にはテレビアニメの放送が開始。放送開始当初のエンディングテーマ「おどるポンポコリン」では作詞も担当。164万枚を売り上げ、この年の日本レコード大賞に輝いた。
1991年には初のエッセイ本「もものかんづめ」を出版。文庫版も合わせて累計250万部を売り上げる大ヒットとなった。同じ年にはラジオのパーソナリティーにも挑戦していた。
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